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しかし僕は魔剣は振らず、身を低くして迫る二枚のチャクラムの間を駆け抜けた。
この身に纏った外套が、より正確にはその内側に仕込んだ竜の鱗が、軽量の飛び道具なんてものともしない事を知っているから。
物影に潜む暗殺者に向かって、一気に間合いを詰める。
一瞬感じた、首を誰かに掴まれたかのような抵抗感も勢いのままに振り切って。
そう、後を追う二枚のチャクラムは、獲物を追い詰める牙でありながらも囮でもあるのだ。
暗殺者が対象を仕留める手段は、首に感じた違和感の方である。
一週間前と二週間前、殺された二人の諜報員は身体を切り裂かれ、けれども首を折られて死んでいた。
あれは殊更に残虐性を強調する為だけにそうした訳じゃない。
僕が感じた違和感、抵抗感は、首を圧し折ろうとした暗殺者の見えざる手。
あぁ、チャクラムを自在に操るのもまた同じく、暗殺者から伸びた不可視の腕である。
つまり今相対してる暗殺者が使う神術は念動力。
もう既にこの世界から去ってしまった友人の一人、神官であったマルテナが使った神術と同じもの。
だからこそ僕は、その弱点も知っている。
先程は見えざる手、不可視の腕なんて言い方をしたが、念動力は実際に手を伸ばして物を掴み動かす力じゃない。
離れた物体に働きかけ、思い通りに動かす力だった。
尤もそんな風に表現すれば大して違いを感じられなかったり、見えざる手を伸ばして物を掴んで動かすよりも、便利な力に思うだろう。
ただ実在する腕を使って物を動かすのと違い、離れた物体に働き掛けるには、強いイメージや集中力を必要とするのだ。
単純に相手を押したりする程度ならともかく、先程のように僕の首を折ろうとするなら、二ヵ所に異なる方向からの力を的確に加えねばならない。
そうなってくるとどうしても必要となるイメージは複雑で、力の行使は決して簡単ではない筈だった。
故に先程のように僕に勢いで念動力を振り切られるし、このように近距離まで踏み込まれれば、咄嗟の対応に能力の制御は雑になる。
間近に捉えた暗殺者はステレオタイプな黒ずくめでなく、旅の最中の神官といった風情の服装で、地味で落ち着いた顔の中年男性だった。
しかし左右の腰に一本ずつ吊るした剣が、どうにもその格好には似合わない。
僕は腕の一本を落として決着をつける為に、そこで初めて魔剣を振るう。
些か乱暴な手段だが、腕を失う程の損傷、痛みを負えば、念動力の神術を扱う程の集中は行えなくなるだろう。
……そんな風に思っていた筈なのに。
振るった魔剣は、暗殺者が咄嗟に抜き放った刃に寸でのところで受け流されて、しかも闇にコソコソと潜んで相手を追い詰めるばかりの輩が放ったとは思えぬ鋭い切り返しが飛んで来た。
その刃は横に飛んで避けたけれど、あぁ、僕は少しばかり動揺してる。
魔力を込めて切れ味、頑丈さを増したこの魔剣で、ヨソギ流の技を振るえば、本来は鉄の剣の一本や二本は軽々と切り裂く。
それくらいに僕の魔剣と、鋭さを重視したヨソギ流の、カエハの剣の相性はいい。
にも拘らず暗殺者は、僕の一撃を剣で受け流した。
見た限り、特別製でもなんでもない単なる鉄の剣で。
流石に僕の魔剣を受け流した部分は大きく抉れてしまっているが、それでもまだ壊れていない。
鍛冶師でもある僕が相手の武器を見誤る筈がないから、だとすれば特別なのは剣ではなく、暗殺者の剣の技量だ。
更に先の一合で僕の魔剣の危険を理解したのか、次に振るった剣とはもう彼は打ち合わない。
身のこなしで避け、こちらが剣で受けられない角度から刃を振るう。
既に暗殺者は、両の腰の剣を抜き、左右の手に一本ずつの剣を握ってる。
冗談だろう?
そう思わざるを得ない。
長く剣の修練を積んだ僕とまともに斬り合えるのは、同じく長く剣の修練を積んだ達人か、多大な剣才を持って生まれた者、剣の天才のみだとの自負がある。
つまり目の前の暗殺者は、見た目と裏腹に寿命の長い種族でもない限り、剣の天才なのだろう。
神術に剣の才、両方を手に生まれて来るなんて、僕が言うのもどうかと思うが、なんてズルいのだ。
僕の動揺に斬り合いの圧が薄れたのか、繰り出される斬撃に、飛来するチャクラムが加わり出した。
実に厳しい展開である。
あぁ、このままだと、僕は負けてしまうだろう。
今はチャクラムの操作にのみ使われている念動力だが、僕の動きの癖を掴んだなら、隙を見つけて武器を奪うか、首を圧し折りにくる事は間違いない。
全く、もう、なんて予想外だ。
こんなところで、ふと懐かしさを感じるなんて、僕も大概どうしようもない。
だって、ほら、今の状況は、まるでマルテナとクレイアスを、同時に相手しているようなものだから。
マルテナは念動力以外に治癒の神術も使えたし、クレイアスの武器は両手剣だったけれど、そんな違いは些細な事だろう。
なんだか不思議と、少し嬉しさを感じてる。
昔、考えた事があるのだ。
マルテナやクレイアスがいた白の湖は、フルメンバーであったなら、もしかすると僕の命にも届きうると。
それを少し、思い出した。
だけど、足りない。
僕が大きく手を振るうと、迫り来るチャクラムが風に吹き散らされる。
そう、足りないのだ。
この場には、アイレナが足りてない。
白の湖が僕の命に届きうるのは、全てのメンバーが揃っていたらだ。
エルフとハイエルフ、その違いはあれど、アイレナの精霊術師としての実力は一流だから、僕とアイレナ、二人が同時に呼び掛ければ、最終的に僕の声が勝つにしても、精霊は少し戸惑うだろう。
その隙をマルテナが念動力で抉じ開け、クレイアスが切り込んで来たのなら、僕の命に届く可能性がある。
でも目の前の暗殺者には、精霊に呼び掛ける手段はないから。
精霊の力には抗えなかった。
チャクラムを散らした後も風は止まらず渦巻き荒れ狂い、耐え切れずに地より引き剥がされた暗殺者を真上へと吹き飛ばす。
そして更に今度は上空から地へと、暗殺者の身体を叩き付けるように強く吹いて、あぁ、そう、ダウンバーストって言うんだっけ。
地に叩き付けられた暗殺者から、四方に風が広がって消える。
その場所は公園の、丁度巨狼の像の前。
割と加減なしの攻撃だったが、どうやら暗殺者は、何とか生きてはいる様子。
もちろん意識はないし、意識を取り戻したとしても暫くは、或いはもっと長い時間、立ち上がる事もできないし、当然ながら念動力に集中なんてできやしない。
これ以上は不要だろう。
精霊の力に頼らねば勝てなかった人間を、剣で殺すような真似はしたくない。
放っておいても助けた老人が呼んでくる応援が、暗殺者を回収する。
だから僕は次へと、マルマロスの町を出て、シグレアを出て、ラドレニアの聖都に向かう。
全ての事を引き起こした元凶に、今回の件の報い、不幸を届けに。
それから三ヵ月後、ラドレニアの聖都でビスチェーア大司教の保有する、彼の権威の象徴でもあった聖堂が、砂と化して崩れ去るという大きな事件が起きた。
それだけでなくその跡地前には、振り上げた拳を地に振り下ろさんとする、石の巨像の姿があった。
人々は噂をする。
ビスチェーア大司教は豊穣神の怒りを買い、神によって遣わされた石の巨人が、彼の聖堂を粉々に打ち砕いたのだと。
だってそうでなければ、一晩の間に聖堂が崩れ去り、あんなにも巨大な石像が出現するなんて、どう考えてもあり得ないから。
……なんて風に。
でも、多分きっと、マイオス先生がこの巨像を見れば、イメージが甘いって叱られるんだろうなと、そう思う。
手で彫りながらイメージを高めるならともかく、大雑把なイメージを一度に地の精霊に伝えたのでは、まぁ雑にもなろうと言うものだ。
だけどそれでも、数年前の僕には岩山を出現させる事はできても、こんな風にちゃんとした石の巨像は生み出せなかった。
いずれにしてもこれでビスチェーア大司教の権威は失墜し、大司教の地位も剥奪される。
その後に彼がどうなるかは、僕の知った事じゃない。
ただ地位と権威で他者を踏みつけていた者が、その権威と地位を失えば、因果は応報するだろう。
ビスチェーア大司教の今後を決めるのは、彼自身のこれまでの行いだった。
故にこの件は、僕にとってはこれでお終い。
さぁ次は、……僕は一体どこへ行こうか。
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