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 その日、何時ものように工房を訪れる為にマルマロス伯爵の館の敷地に踏み入ろうとした僕は、守衛に行く手を阻まれた。

 これまで二年以上もここに通い、顔を見知って、言葉も交わした事のある守衛に。

 彼はとても申し訳なさそうに、

「伯爵様は、もう貴方に教える事は何もないから、今すぐにでも町から立ち去るようにとの仰せです」

 そんな風に言葉を伝える。


 あぁ、成る程。

 マイオス先生なら、そう言うだろう。


 あの事件がマルマロス伯爵への脅しなら、諜報員が二人犠牲になった程度で、話が終わる筈もなかった。

 次の犠牲者は諜報員でなく、マルマロス伯爵に近い誰かになるかもしれない。

 例えば、そう、伯爵の館に出入りする流れ者のエルフなんて、脅しに使うには後腐れもなくて格好の存在じゃないだろうか。

 だからマイオス先生は、すぐにでもこの町を離れろと、顔も見せずにもう教える事はないなんて言い方をしたのだ。


 何とも、実に腹立たしい。

 もちろんそれは、僕の身を案じてそう言わざる得なかったマイオス先生に対してじゃない。

 僕がこの町を立ち去れば、脅しの為に殺される人間は、彼にもっと近い誰かになるだろう。

 家臣団か、或いはマイオス先生の息子の誰かも対象になる。

 まぁその手が貴族に伸びるまでは、流石に多少の猶予はあると思うのだけれど、それだって確実な話じゃなかった。


 だけどそれでも、マイオス先生は一刻も早く町を離れろと、僕に言う。

 彼の気持ちを考えれば、怒りなんて抱けるはずがない。

 僕が不愉快に感じ、腹立たしく思うのは、マイオス先生にそんな言葉を吐かせたこの事件の犯人に対してだ。


 この事件が、マルマロス伯爵に何らかの要求を飲ませる為の脅しなら、そうであると匂わせられる材料が必要となる。

 そうでなければ幾ら脅しに脅えたって、要求がわからなくてどうしようもないなんて、間抜けな事態になってしまうから。

 マイオス先生は当然ながら誰が、何の為にこの事件を起こしているのかを知っていて。

 僕も申し訳ないとは思ったけれど、彼と補佐のバレストラ・カイアント子爵の話を盗み聞き、それを把握していた。


 故に僕は行く手を遮る守衛に対し、

「うん、わかったよ。だけど一つだけ先生に伝えて欲しい。『全てが解決したら、また何時かお会いしましょう』って」

 言伝を残してその場を立ち去る。

 強引に押し通る事は、実はそれほど難しくはない。

 あの守衛だって、僕がその気になれば止められない事は理解しているし、恐らくは傷付けるような真似はするなって指示もされていただろう。


 だから通る心算なら通れたけれど、顔見知りの守衛を困らせてまで我を押し通す意味はないから。

 仕方ない。

 この町とは、充実していた学びの日々とも、これでお別れだ。


 元より鍛冶の、彫金の心得があり、更に地の精霊と会話をしながら石に触れれる僕は、像を彫る技術を身に着けるのは早かった。

 まだ一流とは言えないだろうけれど、今後も自分で研鑽を積んでいける程度には、技術も知識も与えて貰ってる。

 ……僕にまだ足りないのはマイオス先生のような表現力だが、そればかりはもう、自分で探求していくしかないだろう。


 それ故に、この町を立ち去る事にも、納得はしてる。

 ただ後一つだけ、片付けはしなければならないだろうけれども。



 教会は、豊穣神を崇める者達の信仰の場で、その総本山はラドレニアの聖都だ。

 豊穣神を崇める宗教の教えは穏やかで、地の恵みに感謝し、同じ地に住む他の種族との共存を謳ってる。

 実際、豊穣神の神官には落ち着いた善良な者が多い。

 例えば、そう、僕が森の外の世界に出て来てすぐに世話になった冒険者グループ白の湖、そこに所属していた神官、マルテナのように。


 但し当たり前の話だけれど、善良な者が多いからと言って全ての神官が清廉潔白であるかといえばそうではなかった。

 特に多くの人が集まり、強大な権威に伴い富も集まる教会の総本山では、表向きを綺麗に取り繕うからこそ、裏ではドロドロとした権力闘争と無縁ではない。


 まぁ僕は教会組織に何の敬意も持っていないからざっくりと並べると、教会では偉い順に法王、大司教、司教、神官の身分がある。

 法王は教会のトップで、大司教は聖都に三人、それから豊穣神を崇める宗教が広がるそれぞれの国に一人ずつ、その大司教を支えるのが司教で、神官が人々に教えを説く末端だ。

 尤も次の法王は聖都付きの大司教から、全ての大司教の投票で選ばれるだとか、神官の中にも先達が偉いとか、神術の使い手は特別扱いだとか、細かく違いはあるという。


 さてここで重要なのは、『次の法王は聖都付きの大司教から、全ての大司教の投票で選ばれる』ってところだった。

 つまり政治力の争いである。

 そして政治には当然ながら贈り物がつきもので、今回、マルマロスで起きた事件は、この贈り物を巡っての闘争が原因らしい。

 何故なら教会で贈り物と言えば、豊穣神が齎した宝だなんて称される大理石は、その最たる物だから。

 また大理石で造られた聖堂は神の権威を、ひいてはそこの管理者である大司教の権威を高め、ラドレニアでは権威には富が付いて来る。


 要するに既にマルマロス伯爵はとある大司教と親しい関係を築き、その派閥に大理石を多く輸出してるが、その輸出枠を奪い取りたい別の派閥が脅しを掛けて来たのだ。

 それも教会組織が影に抱える暗部、神術の使い手でもある、腕利きの暗殺者を用いて。


 脅しを掛けてきた派閥の長は、やはり聖都付きの大司教の一人であるビスチェーア。

 遠く離れた場所にいる彼こそが、このマルマロスの町で起きてる殺人事件の黒幕だった。

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