第202話


 木剣を手に、シズキと向き合う。

 気力は満ちて体調も良好、天気は晴れだが暑くなく、かといって寒くもない。

 普段は風通しのいい道場だけれど、今はぴたりと風も止んでる。


 こうしてヨソギ流と向き合うのは、もう随分と久しぶりだ。

 手合わせの機会自体は旅の最中にも少なくはなかったが、ヨソギ流が相手というのは、やはり僕にとって特別感がある。

 前は、そう、ウィンと試合をした時だろうか。

 あぁ、いや、ジュヤルの決闘を受けた時かもしれない。

 だがそのどちらよりも、今のシズキはずっと手強い相手だろう。

 そう、たとえ彼の肉体が既に老い、かつての力を失っていたとしても。


 真正面から向き合えば、どうしても昔を、初めて出会った十歳の少年だった彼を、思い出す。

 カエハの子。

 双子の片割れ。


 シズキは出会った時から、出来た子だったと思う。

 よく教育を受けていて、受け答えもしっかりしてたし、流派を継ぐという自覚はまだなかったが、剣に対しても真剣だった。

 年齢から考えれば、弁え過ぎてるといっていいくらいに。

 あぁ、その点でいえば、もう一人のカエハの子、ミズハの方がやんちゃだったか。

 ただその内に、父を知らぬ寂しさを秘めていた。

  

 するりと、シズキが動く。

 いつ動き出したのかもわからぬ程に、滑らかに、素早く。

 ふと気付けば既に彼は間合いの中にいて、そして木剣が振るわれている。


 ガッと乾いた音を立てて、シズキと僕の木剣がぶつかり合う。

 辛うじて、僕の迎撃が間に合った。

 いや、シズキの動きを認識した時には、既に僕の身体は勝手に動いていたのだ。

 身に刻み込んだ経験が、ヨソギ流の技に反応して、気付けば攻撃を防いでいたというのが、多分正しい。

 後は、そう、長物の扱いを学んだ僕は、以前よりも警戒する間合いが広くなっている。

 それが功を奏したのだろう。


 だが今は運良く助かったが、もうこんな幸運は品切れだ。

 だってシズキなら、敢えてヨソギ流の動きで僕を動かし、それを逆手に取るのも容易い筈だし。


 シズキの一撃を防いだ事に、周囲からは驚きの声が漏れている。

 観客は、シズキの子や孫、それから道場の弟子達。

 大っぴらに手合わせがあると触れて回った訳じゃないのに、自然と人が集まった。

 それは先代の当主として、シズキがどれだけ周囲の敬意を勝ち取っているかの証左だ。


 ……まぁしかし、今はそれはさておくとして、思った以上に僕とシズキの技量には差があるらしい。

 ヨソギ流を習い始めてからの年月は僕の方が長いけれど、その人生の中でより密度を濃く、多くの時間を剣に捧げたのは間違いなくシズキだった。

 その上、彼はカエハと、あのクレイアスの剣才を受け継ぎし者である。

 差があるとは予想はしていたけれど、いやはや中々に厳しい現実だ。

 僕だって大陸の東部への旅で、仙人に武の手ほどきを受けたりと、実力は格段に上がっている筈なのに。


 このまま技量の差に委縮して待ちに入れば、何もできずに封殺される事が目に見えている。

 それはあまりにつまらない結末だろう。

 今回の手合わせに、勝った負けたはさして重要じゃないけれど、一方的に封殺されては僕の全てを見せられないし、シズキの全ても見られない。

 その結末は、些か情けなさ過ぎるんじゃないだろうか。


 シズキは孫達に、僕を父のような存在だと紹介してくれた。

 それは本当に、とても嬉しい言葉だったのだ。

 あの寂しさを秘めたシズキが、本当の父を知り、彼と触れ合って、その上で僕の事をそう言ってくれたのだから。

 だったら少しばかり、格好を付けない訳にはいかないと思う。


 呼吸を止めて、気を細く鋭く、僕は自ら前に出る。

 そこから始まるのは、途切れる事ない連続攻撃だ。

 シズキの倍も三倍も動き、手数で相手を圧倒していく。


 但し手数を重視しつつも、一撃一撃に重さと鋭さは必要だ。

 生半可な一撃を放てば、今のシズキにはあっさりと見切られてカウンターを喰らうから。

 僕は多くの攻撃を繰り出しながらも、一撃一撃に手は抜かない。


 そしてそれは、僕がカエハに習った剣でもあった。

 あぁ、いや、僕の剣は全てカエハに習ったものだが、これに関しては恐らく、ヨソギ流でも僕だけが習った剣である。

 準備が整わずとも体勢を崩しても、鋭き一撃を放つ剣。

 カエハが僕の為に習得し、伝えてくれた剣なのだ。

 それがあるからこそ、攻撃の度に体勢を崩しながらでも、僕は鋭い一撃を放ち続けられている。

 攻撃を繰り出す動きを利用して体勢を立て直し、次の攻撃でまた体勢を崩し、そうして途切れる事なく、剣を放つ。


 止む事なき連撃を、捌くシズキの顔色が僅かに変わった。

 カエハが、心技体の全てを兼ね備えた、才ある息子には不要だと伝えなかった剣。

 それを以て僕がそのシズキを攻め立てているなんて、なんて皮肉な話だろうか。

 だけどこうして、老いたシズキと剣を合わせればわかる。

 ……確かにシズキに、この剣は必要なかった。


 膂力もスタミナも、僕が遥かに上回る筈なのに、シズキは途切れる事なき攻撃を、全て確実に捌いていく。

 正面から繰り出した剣も、崩れた体勢から跳ね上がるように襲い掛かる剣も、確実に。

 生半可な剣士なら、いや、たとえ一流と呼ばれる剣士であっても、十秒と防げぬだろう剣の嵐を、全て。

 僕は崩れながらも鋭く攻撃を放つ術を身に付けたけれど、シズキはそもそも大地に生えた山のように崩れないのだ。


 ならば激しい嵐も、永遠には続かない。

 止めた呼吸が、永遠に止めたままではいられないのと同様に。

 あぁ、僕がカエハと同じ所に立ってたなら、いかにシズキであろうとも、この剣を全て防ぎ切る事なんてできなかった筈なのに。

 僕はそれが、……とても悔しい。


 僅かに鈍った剣撃の間を突いて、シズキの木剣が僕の喉に突き付けられる。

 静かに、綺麗に。


 それで手合わせは終了だ。

 シズキは納得したように頷いて、木剣を引いて一礼をした。

 僕も同じく剣を引いて一礼をするが、息の荒さが隠せない。


 久しぶりに、清々しい程に、完敗である。

 僕はやっぱり、まだまだ弱く、目指す先はずっと遠いか。

 その実感は悔しさと、……でも不思議な喜びを、僕に与えてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る