第120話
風の精霊に急かされながら、僕はやがて駆け出した。
人喰いの大沼を抜けてからまだ然程に時間は経っておらず、本格的に身体を休めてもいないのにって気持ちはあるけれど、でも今は好奇心が勝ってる。
だって風の精霊が誰かに、或いは何かにこんなに強い興味、執着を示すなんて、僕としても気になったから。
これが水や火の精霊なら、まだ話は分かるのだ。
何故なら水は基本的には流れ行く物だけれど、時には留まる事もあり、人を含む多くの生き物の生活に、密接に関与してる。
だから以前に出会った泉に宿る水の精霊は、自分を崇めていた部族やその末裔に心を寄せていたし、エルフのキャラバンで採用した紙芝居に出てくる精霊は、水の精霊だった。
火も人の生活に密接に関与し、特に鍛冶師に対しては炉に宿る火の精霊が自然と力を貸してる事も少なくはない。
更に人の中には燃え盛る火の中に神性を見出し、長く火を灯し続けて信仰の対象とするケースがある。
そういった関わり方がなされている場合、精霊が寄り添おうとする事も皆無ではないだろう。
でも風の精霊の場合は、確かに好奇心は旺盛なのだが、一つ所に留まらない性格だから人の営みにはあまり興味を示さなかった。
僕やエルフ達、ウィンのような、彼らを視認できる者の傍には長く留まってくれる事もあるけれど、それはあくまで例外である。
そんな風の精霊が、誰かを助けて欲しいと助力を乞うてくるなんて、実に面白く、興味深く思う。
あぁ、でも、考えを整理してる間に答えが分かってしまったかもしれない。
因みに地の精霊は、自分の上で生きる物達への興味が殆どないが、一つ所に留まる性質であり、また執着心もかなり強いから、一度気に入った相手には積極的に力を貸す。
但しその助力に、地の上で生きる者達が気付ける事も、やはり殆どないのだけれども。
そうして暫く走り続けると、やがて見えてきたのはとある遊牧民の居住地。
遊牧民と聞くとあてどなく草原を行く人々って印象を受けるけれど、実際には年に数度、家畜が牧草地の草を食べ尽くさないように定期的に移動してるだけで、そのパターンもある程度は決まっているそうだ。
しかし幾ら定期的に、ある程度のパターンに従って移動しているとはいえ、その都度住居を分解し、家畜に乗せて運ぶのだから、どうしても居住地の設備は簡素となる。
そう、例えば大陸中央の町なら当たり前に存在する防壁も、その居留地には存在せず、簡単な柵によって守られるのみ。
故に外敵からの攻撃に、遊牧民の居住地はどうしても防衛に向かない。
今、眼前の居住地は何者かによって攻められていて、陥落はもう、そんなに遠くなさそうな印象だった。
正直、面倒な事になったなと、そんな風に思う。
だって僕は人間同士の争いに、好き好んで関与したくはない。
しかも何故争いが起きているのか、そんな事情すら、何も分からないのに……。
だけど風の精霊はそんな事はお構いなしに、びゅうびゅうと吹いては早く助けてと耳元で騒ぐ。
まぁ、仕方ない。
普段から散々に精霊に頼ってる僕なのだ。
逆に精霊に頼られたなら、それに否とは言えぬ。
それはハイエルフの性である以上に、人として当たり前の事だった。
僕は居住地に向かって駆けながらも、手を翳す。
居住地を襲っているのは、騎兵が二十程だろうか。
馬に乗って走りながら、居住地に向かって矢を射かけてる。
一応は居住地側も天幕を障害物として隠れながら弓矢で応戦しているけれど、戦闘員の数は襲撃者の半分以下で、しかも急いで応戦しているからだろうか、鎧すら身に付けていなかった。
あの様子では、弓での打ち合いが終わって騎兵が突っ込んで来たならば、すぐに蹴散らされてしまうだろう。
「風の精霊よ」
僕はそう呼び掛けて、手を下に向かって強く振るう。
風の精霊は僕の意思、イメージを共有して、その力で再現した。
騎兵達に向かって、空高くから風が勢いよく舞い降りる。
しかしそれは、当たり前だが単なる強いだけの風じゃない。
降る風は束ねられ、空気を固く圧縮し、砲弾と化して騎兵たちの頭部や肩を狙う。
次の瞬間、油断し切っていた騎兵達の、身に付けた兜や肩当が弾け飛ぶ。
頭部への衝撃は意識を断ったり、或いは戦意を挫く効果がある。
肩への、腕へのダメージは弓を主武器とする彼らには痛手だろう。
また突然の攻撃に驚いたのはダメージを受けた騎兵を背に乗せた馬も同様で、驚きに暴れるその背から、数名が振り落とされた。
だけど風の攻撃は、全員を狙った物じゃない。
僕が風で打ったのは、二十の騎兵のうち、丁度半分の十騎のみ。
それ以上を傷付けてしまえば、彼らは仲間を見捨てて逃げねばならなくなる。
つまり死者か捕虜が出てしまう。
でも半分までなら、彼らは傷付いた仲間を回収して撤退する道を選ぶ事が出来る筈。
そして襲撃者である騎兵達は賢明だった。
正体不明の攻撃を受けて即座に、彼らは負傷した仲間達を回収して撤退を選ぶ。
混乱に立ち止まるでなく、無謀にも攻撃を続けるでなく、ましてや総崩れになるのでもなく、纏まりを欠かずに撤退を行えるのはかなり賢い。
どうやら僕は、もしかしなくても厄介な相手に喧嘩を売った形になるのだろうか。
襲撃者が退いた後には、騎兵を振り落として逃げた馬が数頭散っている。
けれども居住地の人々が、貴重な財産である筈の馬を回収しに行く様子はなくて、皆が平伏して僕が辿り着くのを待っていた。
……うん、怖い。
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