第39話


 魔物は、獣が魔力と呼ばれる力の影響によって変化したものや、或いはその末裔だ。

 大抵は元となった獣より大きくて力も強いが、別に邪悪な存在と言う訳じゃない。

 魔力自体も、自然の中に存在する力の一種だった。

 謂わば魔物は、魔力を取り込んだ獣が進化した姿ともいえるだろう。


 だが邪悪ではないとは言ったけれど、多くの魔物は狂暴である。

 何故なら彼等は強いから。

 並の生物では自分には勝てないとの自負が、魔物を傲慢で好戦的にさせていた。

 故に人は自分達の生活を守る為、そんな魔物を倒して数を減らしてくれる、戦いに長けた冒険者を必要とする。


 ……のだけれど、どうやら今回はその冒険者も間に合いそうにない。

 さっさと逃げれば良かったのに、果樹が心配でその場を離れられなかった農夫達を、グリードボアは疎ましく思ったのだろう。

 食事を一時中断し、怒りの目を彼等に向けて、ガツガツと地を蹴り威嚇を始めてる。

 そのままグリードボアが襲い掛かれば、その結末は惨劇だ。


 僕は止むを得ず地に荷を置いて、弓を取り出し矢を番えて構えた。

 別にあのグリードボアに何らかの罪があると言う訳じゃない。

 森から迷い出て、好奇心の赴くままに移動したら、そこに偶然にも豊富な餌が、果樹の並木があっただけ。

 人の世界を知らぬし理解せぬ獣や魔物に、目の前の餌を喰らうなと言う方が無理である。


 だがそれでも、あのグリードボアは狩らなければならない。

 仮に旅の最中に、僕を襲おうと近寄ってきた魔物なら、誤魔化しやり過ごして遠ざける手もあるだろう。

 実際、僕は旅の途中に魔物の気配を感じたら、なるべく隠れてやり過ごす様にしているし。

 けれども農夫を狙う以上、止める手立ては狩るしかなかった。


 ヒョウと音を立てて、矢は放たれる。

 僕の放った矢は狙い違わず、グリードボアの左前脚を真横から射貫く。

 角度次第では鉄の矢ですら弾かれる厚く固い魔物の皮。

 だけど先程放った矢の鏃は、同じく魔物であるグランウルフの牙を削って作った特別製だ。

 射手の腕次第では、魔物の骨すら貫くだろう。


 突然の痛みと動かなくなった左の前足に、グリードボアの突進は転んで止まった。

 その目は自らを傷付けた憎い相手、つまりは僕を捉えて怒りに燃える。

 しかし僕を見てしまった以上、彼の起こした騒動も幕だ。

 もう一本、僕が構えて放った矢は、やはり狙い違わずグリードボアの眉間を、そしてその奥にある頭蓋も貫き、脳へと届く。


 幾ら生命力が高いグリードボアであっても、脳が壊されれば命はない。

 身体を動かす命令が出せなくなるから、呼吸も心臓も止まる。

 魔物の中には複数の脳を……、あぁ、いや、魔物だけじゃなくて他の生き物でも、複数の脳を持つ種は存在するから油断は禁物だが、倒れた姿を見る限りグリードボアの息の根は完全に止まった。

 因みに魔物以外で脳が複数存在する生き物は、この間も食べたタコ、この世界では八足と呼ばれたアレがそうだ。

 何でも一本の足に一つの脳を持つんだとか。



 まぁさて置き、ここから先は時間との勝負だ。

 今回、僕はグリードボアを殺した。

 だが人を救う為だったとは言え、殺して終わりではグリードボアの死は無益な物となってしまう。

 それ故に僕は、グリードボアの皮を剥ぎ、その肉を喰らって消化し、自らの血肉とする責任がある。

 ……と言う名目で食べたいと言うのもあるけれど、とにかく食べなきゃならない。

 剥いだ皮だって、鞣してマントやブーツに加工しよう。


 それは僕の性分であり、流儀だった。

 狩った獲物は、食べられるなら食べる。

 食べられなくとも皮や牙等、使える素材を剥ぎ取って、何らかの形で役立てる。

 その殺しを無益な物には、あまりしたくないから。

 グリードボアの解体は少しでも急がなきゃならないのだ。


 尤も本当ならば、無駄な事など何一つ世界にはないのだろう。

 生き物も死ねば、魂は輪廻に還り、躯は食われずともやがては土と化す。

 人も獣も魔物も変わりなく、世界から見ればその生き死にも意味はなく、されど無駄な存在は何一つない。


 ……なんて風に精霊の様に考えたなら、僕の性分や流儀は単なる感傷に過ぎないのだけれど。

 僕はやっぱり変わり者だから、そこまで割り切るのは好きじゃなかった。


 深い森のハイエルフ達なら、人間の命も魔物の命も変わらないのだから、無闇に関わる意味はないとでも言うだろうか。



「お、おぉぉ! すまない、アンタ、助かった!」

 グリードボアに威嚇をされてた農夫が、漸く状況を把握したのか、僕に向かって礼を言いながら駆け寄って来る。

 弓を仕舞い、荷物を担ぎ、僕はグリードボアへと向かう。


「無事で何より。えっと、不躾で申し訳ないんだけれど、狩った獲物を解体して肉を冷やしたいから、水場にあんな……い、と一緒に、運ぶのを手伝ってくれると助かるんだけど」

 僕も彼の無事を喜び、そのついでにと言うには少し図々しいが、一つ頼み事をした。

 だって一人で運ぶの無理そうだし。

 幾らグリードボアが荒らしたとは言え、ここは果樹園の中だ。

 丹精込めて世話をしている木々の傍で解体して血が流れれば、農夫達も決して良い気はしないだろうから。


「おぅ、わかった。台車を持って来るから、少しだけ待ってくれ。あんな大物だもんな。確かに急いで解体した方が良い」

 だから僕の頼みに農夫も同意し、それどころか台車まで貸してくれるらしい。

 台車の礼は、どうせ一人じゃ食べ切れないし、グリードボアの肉を農夫達に分けよう。


 僕は硬い魔物の皮を割く為に、鏃と同じくグランウルフの牙から削り出した、大振りのナイフを抜く。

 今晩のメニューはグリードボアのステーキだろうか。

 折角の猪肉は鍋にして食べたいとも思うのだけれど、少なくともこの辺りには味噌がない。


 山の宿、温泉、山菜と猪肉の鍋料理……、ふと思いついてしまった贅沢な欲求を満たせる場所は、この世界にはあるのだろうか?

 世界は広く、ハイエルフの寿命は長いから、あるなら探しに行ってみたいと、そう思う。

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