59 - いつもの光景
「しっかし、さっきの女の子。なかなか生意気言ってくれるじゃないの。あたしの強さなんて、推し量れてないくせに」
孤児院から宿屋に戻っている途中に、ケルは不満そうに牙を剥き出しました。
「しゃあないよ。ケルちゃん、一見したら背丈の低いワンちゃんやし。こんな子が熊ですら殴り倒すって聞いたら、誰だってびっくりするて」
菜優は宥めるようにケルに言い聞かせます。実際にケルは中型犬程度の大きさしかなく、
二人はそんな話をしながら、夜のルナーを歩きます。街灯こそありませんが、酒場や宿屋などから漏れ出る光のお陰で、それなりに明るくあります。闇目にも慣れてきて、多少なら道や壁も判別できるようになってきました。菜優は元きた道を思い出しながら、宿屋へと向かいました。
昼でもぶつかって来てスリをしようと企む輩が多かったので、日も暮れ落ち世界が夕闇に包まれた今、どれだけのスリが菜優を狙っているでしょうか。菜優は恐々としながら、カバンとポーチを抱え込むように持ち直しました。
ようやく宿屋に辿り着く頃には、とても短い距離だったにもかかわらず、菜優はくたくたになっていました。カウンターに立っていたナルラが菜優の姿を認めると、「お、おかえりなさませ」と呟きながら口元を緩めました。
自分の部屋に戻りカバンとポーチを下ろします。扉を見れば鍵がついていたので、それを閉めてからベッドに潜り込みました。やがて睡魔が意識を取り込んでいって、菜優は夢の世界へと誘われます。
夢の中で菜優は、あの孤児院の前に立っていました。庭の方を見ると、なんとケルが子供達を背に乗せて楽しそうに走り回っているのです。菜優ですら背に乗せて走れる彼女のことなので、きっと出来ない事はないのでしょうけれど、菜優以外の人間に対してあまり心を開かないのが彼女です。子供達を背に乗っけて、あんなに楽しそうに走り回るなんて、とても想像し難い事でした。
夢の中での友達は、自分の写し鏡と言いますし、夢の内容というのは、自分の願望そのものだと言う説もあることを、菜優は思い出していました。もしかしたら菜優自身が、あの子供達と仲良くしたいという願望の現れなのかな?と、夢の中の菜優は不思議なほど冷静に分析していました。
目を覚ますと、そこは宿屋のベッドの上。天井があるので、星空が見えることはありません。その事に安堵しながら、東に漂う日の柔らかな光と、ひんやりとした空気に包まれて、菜優はうんと伸びをしました。
朝食を食べようと食堂に向かおうとして、菜優はなにやら揉め事のような気配を感じとりました。少しばかり覗いてみると、いかつい男の人たちに恫喝されているナルラの姿が見えました。ナルラは態度こそ引け気味ですが、それでも退くことはありません。
菜優は居た堪れない気持ちになって、指輪の力を呼び起こしながら、エーテルソードを抜こうとしました。そして勇み出ようとした矢先に、ケルが立ちはだかりました。
「ケルちゃん?」
首を傾げながら、菜優は問います。
「やめておきなさいよ。あれはアイツが売られた喧嘩なんでしょ?ナユが首を突っ込むこともないじゃない」
「でも…」
「でももなんでも、よ。あんたが首を突っ込んで、後々報復されるのを良しとする人なんだったら、止めてないわよ。お人好しなのは結構な事だけど、あんた、なるべく敵を作りたくない
ケルの言い分は、もっともだと思いました。けれど菜優は、じりりと押されているナルラを放ってはおけません。先日のおどおどとした態度から、彼は気の弱い人なんだろうなという印象を持っていました。それに、彼もまた自分と同じ子供のようにみえます。だから、今もとても怖い思いをしてるに違いないと、菜優は考えていたのです。行こうか行かまいか迷っているうちに、菜優は背中から声をかけられました。
「おはようございます、ナユさん。昨日はよく-あれ、どうされたのですか?」
振り返ると、そこにはマリーの姿がありました。菜優は視線の先をちょいちょいと指差します。
「ああ、ナル兄なら大丈夫ですよ。そこんじょそこらのチンピラになんか負けませんので。それより、朝ごはんはいかがです?」
菜優は意外そうな表情を浮かべながら、マリーの方を見ました。その直後に金属が激しく打ち合われた音がして、菜優は玄関の方へと振り向き直しました。そこには手斧を振り下ろす盗賊の姿と、右手に盾を構えて、斧の攻撃を受け流すナルラの姿がありました。
別の盗賊も同じように攻撃をしかけてくるも、今度は左手に構えた盾で受け止める。後ろから投げられた手斧は、マントから飛び出てきた右の副腕の盾で受け止めて、死角からの攻撃は盾を構えた左の副腕を外に出して対処しています。
一体、何本の腕と、何枚の盾が出てくるのでしょう。ナルラは身に降りかかる攻撃の波を、四本の腕と四枚の盾を器用に使って受け止め、いなし、弾いて、突き飛ばします。四つの手が回らない時でも、まだ盾を構えた副腕がマントの影から飛び出てくるのです。あと何本副腕の余りがあるかは読めませんが、余裕はまだまだありそうです。
やがて男達が疲弊して、肩で息をするようになると、ナルラは今度は四枚の盾を全て前へと構え、ゆっくりと迫るようににじり寄っていきます。そして、脅すように言うのですが、
「……まだやりますか?き、傷つきたくないなら、で、出てってください」
と、こんな気弱な口調のままなものですから、盗賊達は怯みもしません。盗賊達のうちの一人が前に勇みでると、手にした斧を振りかざしました。ナルラはそれを盾で受け止めると、他の盾の縁で盗賊の脇腹を殴りつけました。それに怯んだのを確認すると、四枚の盾を正面に構えて突進し、盗賊を突き飛ばしました。
その戦いぶりは、菜優に一縷の不安さえも感じさせないほどでした。盗賊達は、ナルラの守りを全く崩すことが出来ません。どころか、盾しか持っていないはずのナルラが時折攻勢にでて、盗賊達を押し退けてしまうほどです。やがて盗賊達が「覚えてろよ!」なんて三下風情が吐き捨てそうな台詞を吐いて逃げ出していきました。ナルラはようやく一息をついて、腕をマントの下へとしまいました。その様子を見届けたマリーが、菜優の方を向いて言いました。
「ね、言ったでしょう?ナル兄だって、伊達にこんな街で商売やってないんです。チンピラの一団くらい、容易く蹴散らせないとルナーで商売なんてやってられないんですから」
菜優は、宿屋の中に戻ってくるナルラの姿を追いながら、マリーの言葉を思い出していました。ナル兄は、チンピラになんか負けないって。それを知っていて、かつ自信を持って言えるってことは、以前にも何度かこんな喧嘩騒ぎのようなことがあって、マリーがそれを見ていたと言う事だと、菜優は推測しました。菜優は巻き込まれたくないなと思いながら、マリーに聞いてみました。
「ねえ、あんなことって、ここではよくあることなの?」
「そうですね、よくあることです」
「怖い街やな」
「そうでしょうか?ここはルナーですから、自分の身は自分で守らないと」
それを聞いた菜優は、なるべくならこんな、治安の悪い街、長くは居たくないなと思わされるのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます