48 - 夢は夢で終わらない

 菜優は目を覚ましました。目を覚ましたそこは、暖かに広がる光の中、相変わらず白が埋め尽くすような光景でしたが、壁は白いレンガ、床は白い石畳で出来ていて、さっきの夢とは違う世界に来たのだと認識するには十分でした。


 しかし、菜優が眠りについた神殿は中に灯りの一つもなく、中の様子など窺い知れなかったはずです。それなのになぜ今、菜優は壁や床の色がわかるほどに明るいのでしょうか。


 はたまた、これもまた夢の中なのでしょうか。外から差し込む光だけでは、神殿の中の様子を窺い知るには不足しているでしょうし。それに、いきなり中がいきなり光で照らされたとして、誰がその光をつけたのでしょう。その気配に、ケルが気が付かないわけがありません。


 菜優はまた夢か、と思いながらまた眠りにつこうとしました。昨日の疲労が取れていないのか、まだ体は重たいままでしたし。


「ナユ、そろそろ起きなさい。こんなところで立ち止まってる暇はないわよ」


 菜優を起こす声がします。菜優はまだ寝ていたかったですが、また怒鳴られて起こされるわけにもいきません。菜優はううんと唸りながら起き上がると、改めて周りの様子を確かめます。見ると、神殿の中には夢で見たままの五つの像があり、それぞれがどこからともなく暖かな光を放っているようでした。


 ああ、だからこんなにも明るかったのか、と菜優は合点しました。像がなぜ光っているのかは皆目検討がつきませんでしたが。おおかた、神のご威光というものなのでしょう。電球らしい電球もなく、篝火らしい篝火もありませんが、光っているのならそういうものなのでしょう。菜優は考えることを諦めました。


「ううん、起きる。ケルちゃん、どんな感じ?」


「カサカサと動き回る音はするけれど、おおかた、野生動物じゃないかしらね。あえてこちらに寄ってくる気配はないし」


「うん、そう。んじゃ、起きる」


 菜優は夢現なまま必死に体を起こし、寝ぼけ眼をごしごし、なんとか目を覚まそうとしました。そのとき不意に、こつん、と硬い感触が指からしたような気がしました。なんだろうと思って見ると、左手の中指に、小さな翠玉の嵌められた金の指輪が光っているのです。


 菜優は驚きました。その指輪は、まさに夢で見た指輪そのものだったからです。それに、よくよく観察していると、ただならぬ力のようなものを感じられます。まさかな、と思いながら、試しに呼んでみる事にしました。


「スクルドちゃん、聞こえる?」


 …やはりというか、返事はありません。あの夢はこんなものをくれたけれども、やはり夢は夢だったのだ、と諦めた、そのときでした。


「んん?早速こまっちゃったぁ?」


 なんて、間延びした声が聞こえてきて、菜優はさらに驚きました。本当に夢で聞いた通り、スクルトに通じたようです。ですが、まだ困ってもない今、彼女の力を借りることもないでしょう。


「ううん、試しに呼んだみただけ」


「そっかぁ。んじゃまたねぇ」


 そう言って、声の主とは一旦別れを告げました。ケルの力でどうにもならなそうな時でも、とりあえずスクルドの力を借りれそうです。菜優はそのことを確かめ終わると、神殿の外へ出ようとしました。が、その時。


「ナユ、誰か来るわよ。多分、人間だと思う」


 ケルが、何者かの気配を察知しました。菜優の全身に、ぴりりと緊張が走ります。どこかに身を隠そうとあたりを見回しましたが、神殿の中には神像が五つほどあるだけで、身を隠せそうなところなどありません。


 菜優は慌てて考えました。例えば、スモークボールを投げて強行突破するのはどうでしょう。もし菜優を追ってきている人たちで、ぶつかった瞬間に捕まえられる危険性もあります。それに、よくポーチの中を確かめて見ると、スモークボールの在庫はもうありません。


 あるいは神像の後ろに潜むのはどうでしょう。運が良ければやり過ごせるでしょうが、像がカバーできる範囲はそれほど広くなく、少し回り込まれるだけで見つかってしまう危険性もあります。


 あるいは、スクルドの手を借りるのはどうでしょう。スクルドの力の全貌はわかりませんが、水流に巻き込まれた菜優を掴み上げ、「飛ぶよぉ」という合図とともにどこか別の場所に飛んだような記憶が、朧げながらにあります。


 菜優は、これだ、と思いました。そしてすぐさま、さきほど呼びかけたばかりのスクルドを呼んでみます。


「スクルドちゃん、力を貸して!」


「いいよぉ。モイラ様が眷属ワルキューレ・オブ・モイラの力、十分に楽しむといいよぉ!」


 そう言って、指輪からの声はぷつりと切れました。ややあって、指輪から不思議な光が噴き出すように溢れ出て、菜優の体を包んでいきました。


 菜優の全身に、甲冑がはめられていきます。その様はさながら美少女戦士アニメの変身バンクのようで、これがアニメやったら立派なBGMがつけられるんやろな、なんて、菜優は考えたりしていました。


 やがて光は四方に霧散して、中からスクルドの甲冑を着た菜優が現れました。太ももや腕を大胆に露出したそのデザインを改めて見て、顔を赤らめました。


 やがて神殿に入ってきた人たちと視線が合います。向こうは菜優を不審者と認知したらしく、ピッチフォークをこちらに向けて臨戦態勢です。しかし一方の菜優は、争う気なんてこれっぽっちもありません。ケルを脇に抱き抱えて、夢に見た通りに飛ぶ準備をし始めました。


 その時、菜優の脳内に膨大な量の映像が流れ込んできて、混乱し始めました。しばらくすると、それらは全てこれから起こるだろう未来を指し示していて、こうすればこうなる、ああすればああなると、かなり詳細に描かれていることがわかりました。


 なるほど、未来を司る神の眷属ワルキューレの名に相応しく、未来を予知する力があるようです。だから菜優は、思いつく限りの手段をとった結果どうなるかが、瞬時にわかったのです。


 先んじて、スクルドがやったように飛んだらどうなるのか、という未来を見てみました。途中の映像が歯抜けになっているのが不可解ではありましたが、どうやら周りに誰もいない林の真ん中に降り立つことが出来そうです。それに、しばらく未来には、追手がやってくることもなさそうです。


 そこまで分かれば菜優は、迷うことはありませんでした。ケルを脇に抱えたまま、思い切りよくジャンプしました。


「飛べぇ!」


 菜優はジャンプの頂点に辿り着くと、その場で逆上がりをしたかのように、世界がぐるんと回るのが分かりました。そして回った世界が元に戻ったかと思うと、そのままぽすっとその場に落ちました。気がついた時にはあの甲冑は外れていて、元の服を着ていました。


 エーテルに酔った時と同じような気持ち悪さと、ふざけてぐるぐる回りすぎて酔った時と同じような気持ち悪さが、同時に菜優を襲いました。菜優は着地したまま地面に臥せって、荒くなった息を必死に整えます。


 確かに予知した通り、誰かが追ってくる気配はありません。けれど、あまりの気持ち悪さにグロッキーになってしまって、しばらくその場に蹲ったまま動けなくなるのでした。

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