11:罠
よく刈りこまれた生垣に囲まれた小奇麗な平屋。
間賀津邸の第一印象はそれだった。
玄関までの飛び石も奇麗に掃除され、ゴミ一つ落ちていない。美子がインターホンを鳴らすと、しばらくの後に落ち着いた男性の声が帰ってきた。
『はい? どちらさまですか?』
美子はインターホンのカメラに顔を近づけ、舌をべろりと出してみせた。
「どーも! マドモアゼル寿美子の異界探訪って動画配信やってますマドモアゼル寿美子でーす! 本日は邪眼に関係しちゃったんでやってまいりましたあ! あ、居留守とかめんどい事はやめてくださいねぇ。あのアパートでうろうろしてた式神を打ったのはあんたでしょ? この家から同じ霊力を感じるんだよねえ! ねえ、娘さんについてちょっと話を聞かせなさいよぉ!」
「ちょ、おまっ――」
俺が美子に言うべき言葉を探しているうちに、かちゃりと鍵の開く音がして玄関が少し開いた。
だが、それだけだった。誰も出てこないし、物音もしない。
「……え? 今、その武文さん? ここにいるんですよね?」
俺が声を潜めると御頭さんはにっこりと笑った。
「うちの見張りはそう言いましたが、幻覚を見せられた可能性はありますね。しかし、玄関は開いた。つまりは――」
美子はノブを握ると扉を開けた。
「すいませーん! マド寿美でーす! あなたの破滅をお持ちしましたー!」
俺は思わず美子の頭をばしりと叩く。
「いった!!」
「なんじゃそら!?」
「いや、まんまや。わしら、このクソに破滅をもたらしに来た地獄の天使やん?」
なんだそのキャラは、と俺がツッコむと同時に声が聞こえた。
『ご近所の手前もありますので、おあがりください』
男の声。静かで低い冷静な声だった。美子がおばちゃんに首を傾げる。
「肉声に聞こえなくもない。どう?」
おばちゃんは印を結び、やや俯いていたが、いつもと違う調子でぼそりと呟く。
「……式神の気配」
美子がさっと俺の前に出る。
「あたしの背中に密着してて! 御頭さんとムラシーはおばちゃんに密着!」
玄関から続く長い廊下には右側に大きな窓が何枚もあったが、木でも茂っているのか酷く薄暗い。その薄暗い中で何かがざわざわと動くのが見えた。風で木が動いた――というわけでもなさそうだ。
美子はいきなりパンッと手を打った。
「来るわよ! きひひひひ!!」
美子は笑いながら手を鍵状にして脇に垂らすと、わきわきと動かし始める。さっと目の端で何かが動いた。
玄関横の敷石の上に影が動いている。
美子の手の影だ。そして、そこから別の影――いや、真っ黒い物がさっと離れていったのだ。美子が廊下の奥へ叫んだ。
「へったくそねえ、あんた! アパートいた奴もそうだけど、今時自分の名前付きの式を打つなんてどういう神経してんのさ!? そんな紙っぺらに毛の生えたゴミみたいなもので、あたしにケンカを売るなんざ百年早いっての! まあ、売る気なら買うけどね? あんたぐちゃぐちゃになるわよ? で、あたしらを家に入れるの入れないの? もしかしてビビってる? んん?」
一瞬の静寂の後、またも冷静な男の声が聞こえた。
『現在取り込み中なので、そのままおあがりください』
ぎしり、と足元が軋む。
「ったく、出迎えもなければ、お茶の一つも出ないなんて無作法にもほどがあるんじゃないの!? ねえ、イダケン!?」
「いや、土足の俺らが言えたもんじゃねえだろ」
美子が言うには、靴を脱ぐなんて自殺行為らしい。まあ、そうなんだろうけども、家の廊下を靴で歩くなんて人生初――そういや、ついさっき土足で部屋に上がったか、と俺は自分で自分にツッコむ。
ともあれ、罪悪感はやはりある。最初の数分のうちに間賀津武文が出てきたら、謝ってしまったかもしれない。
だが、行けども行けども誰もいない。薄暗く奥が見えない廊下を曲がると、また同じ廊下があり左右に部屋がある。その間に大きな窓がやはり左右にある。どの窓も大きな庭の同じ風景が見えている。
きっと、幻覚なんだろうが――なんとも薄気味悪い。
美子やおばちゃんは
「な、なあ、そんなにムカつくなら窓から庭に出てみねえか?」
俺の提案に美子は、ふふんと嘲るように笑う。俺はむかついたので鋭いデコピンをした。ぎゃああっと
おばちゃんは腰に付けたポーチから小さくて赤い物を取り出した。
「何それ? ハンマーっすか?」
「車の窓を割るやつよぉ。いざって時に使えるのよねぇ、これが」
おばちゃんはそう説明しながら、躊躇なく窓にそれを勢いよく振り下ろす。うわっと身構えた俺。だが、窓は鈍い音を立てたが、まったくの無傷だった。
「……防弾ガラス?」
俺のボケっぽい感想をスルーして、御頭さんが腕組みをして天井を見上げた。
「しかし古典的な幻覚ですねえ。応用が感じられない」
「そうなんですか!? こ、こういうの普通なんですか!?」
「まあ霊的犯罪者――悪い陰陽師とか霊能者とか呪術師はよくやりますねえ。中には即死級の罠を混ぜたりする奴もいますが、そういうのには技術がいるんですよ。この迷宮にはそれが感じられない」
美子が頭をぼりぼりと掻く。
「玄関の式神で判ってたけどね、こいつ腕はへぼいみたいね」
「これでへぼなのかよ……」
美子は面倒だな、と呟くと村篠さんを指差した。
「ムラシー! 何が見える?」
ああ、そうだ、と俺は振り返る。村篠さんはこういう術が効かない人だったはず。
だが、村篠さんはいなかった。
「あれ? え? なんで?」
美子がううんと頭を掻いた。
「向こうさんがへぼだったからよ。多分、幻覚の発動が遅かったんで、ラグができた。で、最後尾のムラシーだけは普通に廊下を歩いてる――いや、多分、待ってくれてるかな?」
『おお、やっぱりそんな事になってんのか』
虚空から村篠さんの声が聞こえた。
『いや、足踏みしながらずっと同じ場所にいるお前らは、中々間抜けだぜ』
あ、そういう感じになってんのか……。
「ムラシー、もうちょっとそこで待ってて。あんたが下手になんかすると、あたしらが出れなくなるかもしれないから」
『了解。一服するわ』
ふうっとタバコの臭いが近くからした。
「じゃあ、サブカメラマンとして、あたしもつけなくちゃねぇ」
おばちゃんはそう言って、頭にカメラを装着した。
「……で、なんでこんな幻覚を仕掛けてきたんだ?」
俺の質問に、美子はふむと小さく微笑んだ。
「『見られたくない物』が『安置』してある、ってところじゃないかしら?」
「『見られたくない物』が『安置』? ってか、この間賀津って奴はなんなの? さっき陰陽師って――」
「ああ……さっき、昔話を思い出したって言ったでしょ? あのねえ、この国のそっち方面の歴史を見ていくとね、間賀津って名前が必ず出てくるのよ」
「へえ! じゃあ、その――有名人の家系?」
おばちゃんが、そうよぉ、とお道化た声を出す。
「こっちの道に深く入ったら、絶対に聞く名前なのよ。
『ああは、なるな』って」
はい? と多分マヌケな顔になる俺。
美子が鼻の頭をごしごしと擦り、また足を踏み鳴らした。
「まあ、簡単に言うと――大昔に
「おおう? 何を言い出した?」
美子は俺にしなだれかかる。
「ああ、疲れた。ちょっち、休憩。
で、その皇って一族は『自分ら優秀っす』ってな感じで調子ぶっこいちゃってね、日本の乗っ取りを計画して『邪眼持ち』の軍隊を作り上げようとしたわけよ」
「は、はあ!? それって――」
御頭さんが後を引き継ぐ。
「ところが、詰めが甘い連中だったらしく、計画は阻止された。主だった者達は処刑され、一族の名と術は剥奪されたのだそうです」
おばちゃんが鼻を鳴らす。
「で、連中が新しく名乗った名前は――もうわかるわよねぇ?」
「……それが、間賀津?」
御頭さんが頷き、俺にぐいっと顔を近づけてきた。
「まあ、正確に言うとお偉いさんから『強制された名前』なんですね」
「うわ、それは――呪いみたいなもんじゃないですか……」
「そうです。でも連中は秘かに知識と技術を代々伝え続けていたわけですね。まあ、見逃されていたってのが正しいんですけどね」
「と、というと?」
「いえね、一応歴代のお偉方から監視対象とすべしって言われ続けてきたんですが、昔すぎるうえに、一族の規模が先細りすぎて、現代だと監視対象から外れ――」
美子が嘘こけ、と不機嫌な声を出した。
「どうせ、永いこと書類の束の向こうで行方不明になってたんでしょ?」
御頭さんは、失敬な、と胸を張った。
「予算の規模により、監視対象には限りがあるんです。我々は万能ではないのです」
「んじゃ、なんで即座に反応できたのよ?」
美子のジト目に、御頭さんは更に胸を張った。
「私はこの役所についてから趣味で大昔からの書類全てに目を通しております。ですので、即座に思い当たったというわけです」
ドヤ顔の御頭さんと、その向こうに延々と続く廊下。なんだか、酷くうんざりとしてきた。
「なあ、これって強引に破れねえの? さっきみたいに、ぐーっと気合いれて――」
できるわよ、と美子はあっさりと言い右手を廊下の奥へ向け、ぐっと左に捻った。途端に目の前の景色がずるりと左に渦を巻いた。
「う、うわわわっ!?」
「ね? でもこれやるとさ、幻覚の素地になってるこの家にダメージが入るのね。あたし的にはこの家ぶっ壊してでも間賀津を捕まえちゃえと思うんだけども、そっちのヘビモヤシは『お話』したいんしょ?」
ヘビモヤシこと御頭さんは
「とうとう御頭君にもツッコむようになったのねぇ。さすがねぇ」
「あんた、ホント逸材ねえ!! ってわけで、もうちょっとだけうろうろするわよ」
「いや、でも、これって出れねえんじゃねえの?」
美子は、と思うでしょ? と下を指差した。美子とおばちゃんの足元には無数の引っ掻傷がある。そしてそれは図形だか文字だかに形を成していた。さっきから足を踏み鳴らしていたのは、この準備だったのか。
「おおう……流石はプロ! かっけぇ……」
「でしょ!? もっとよ! もっと褒めなさい!!」
俺が賛辞を更に並べると、美子はうへへへと笑いながらダブルピースに絶頂顔を作った。
「よーし、映さないでくださーい。放送禁止でーす。 アヘ顔はやめろつったろ! 撤収!」
俺はそう言っておばちゃんの頭についてるカメラの前に手を
「あなた、ホントぅにこういうの初めてなのぉ? 手馴れた感じがするんだけどぉ」
「ああ……なんかもう、流れに身を任せることにしました」
美子がゲラゲラ笑いながら俺の肩を叩くと、一際大きく足を二回踏み鳴らした。そのまま左足を擦り気味で前に出すと、右足を素早くぴったりとくっつける。そしてそのまま軽く三度飛んだ。
ばりん。とどこか遠くで花瓶か何かが割れるような音がした。おばちゃんが摺り足で一歩間に出ると、ボディブローのような右の掌底を繰り出した。
はっとする。
廊下が普通になっていた。突き当りが見えているし、薄暗くもない。
俺の後ろにはいつの間にか咥え煙草の村篠さんがいた。
「こ――これ……村篠さん、撮りました?」
「いや、お前らが足踏みしてるのは撮ったけどね。ちなみに、お前らのカメラに映ってるかどうかは判らねえ。大体はノイズが入ってて使い物にならねえんだ」
「ま、それは後のお楽しみにとっとくとして……さって、何を隠しているのかなあ?」
美子はうきうきした感じでそう言いながらずかずかと進むと、左手の襖をすらりと開けた。
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