人類への復讐

第1話 絶望の果てに

 燃えている……………燃えている…………ただひたすらに、燃えている………

 

固くて、冷たくて、それでいて熱い。焼けた地面に頬を擦り付けられ、悲鳴をあげる肉体を他所に少年は目の前の光景に争わんとただ叫んだ。

目前には瓦礫の山。赤く燃ゆる村を背景にそこには十字架に架けられた一人の少女の姿。王国騎士団に追われる村人の断末魔がまるで化け物の発狂のように少年を襲った。


「なんでこんなことするんだ?!僕たちは何もやってないはずだ!!」


 一人の兵士に頭を押さえつけられたまま叫ぶが、誰も反応しなかった。それどころか十字架に一人の兵士が近づいていく。その右手には一振りの剣。


「………やめてくれ………やめてくれ!頼む!!」


 少年は必死に許しをこう。なぜ……どうして……自分の無力さを、理不尽なこの世界に必死に語りかけ、少年は叫んだ。


「彼女だけはやめてくれ!!!やるなら僕を殺せ!!!!」


 兵士は少年を見向きもしない。ただ緩やかに、ただ静かに。処刑台で待つ一人の少女に神の裁きを与えんと剣を振り上げた。


「やめろーーー!!!!」


 何かが転がってくる。転がってきた物と目が合った。その今は動かぬ唇に、かつて愛した双眸に少年はあり得ざる幻想を目の当たりにする。


「……おえっ……うう……ヴォロヴォロヴォロヴォロヴォロヴォロ………」


 喉に込み上がってきたものを全部吐き出した。もう少年を押さえつけていた者はいなくなっており、立ち上がって彼女の元へ駆け寄る。


 恐る恐るその物体を抱き上げ、縋るように声をかけるが当たり前のように返事はなかった


「おい!………起きろよ!…………頼むから…………」


 祈る様に叫び続けるが、当然返事はない。やっと恋人の死を実感したのか、少年の頬を静かに何かが流れ落ちる。


 いつまで泣いていたのだろう。少年の目からはもう透明な涙は出ていない。その代わりに燃えるように紅い血涙が絶えず……ゆっくり……ゆっくりと地面に滴り落ちる。もう周りから叫び声は聞こえず、燃え盛る炎の音が地平線に燃える星が顔を出すまで響いた。


 





 いつまでこうしていたのだろうか。気づくと太陽は高く上り、かつて村だった場所に炎の影はない。しかし、そこは見るも無惨な姿に豹変ひょうへんしていた。少年はかつての恋人を抱きしめたまま立ち上がり、生き残りを求めて歩き出す。


「……誰か………生きている人はいませんか………」


 震えた声で何度も叫ぶが返事はない。所々には黒く変色した肉塊が転がっているだけ。あの人はいつも買い物に行くと声をかけてくれた肉屋のおじさんだ。その隣で瓦礫から上半身だけ出した人はおそらく口が悪かったが根は良かった果物屋のおばさんだろう。こっちはいつもペットと遊んでいた子だろう。ペットを抱きしめたまま死んでいる。


 一人一人の死体を確認しながら歩いているとふと思い出したことがあった。


「母さん、父さん………」


 村のはずれにある少年の家はここからかなり離れたところにある。あそこなら火は届いていないだろうし、家は何年も手入れをしていない茂みに覆われ隠れるように建っている。


「あそこなら大丈夫かもしれない………」


 少年は走り出す。僅かな希望だけを頼りに。まるで絶望で覆われた世界に唯一の光を見つけたように………


 少年は走った。ただひたすら。息が上がり、苦しいはずなのに。やがて家があるはずの場所まで来る。ここまでは火がこなかったらしい。茂みをかき分けるとそこには少年の家が今も変わらず建っている。


 少年は安堵あんどした。将来を誓い合った最愛の恋人を目の前で殺され、自らが愛する生まれ故郷を焼かれた。それでも両親は生きている。これからはここじゃないところで両親と平和に暮らしていこう。この村を忘れることはできないが、少年には何の力もない。ただの平凡な少年にやれることなど何もない。なぜこの村が襲われたかなどどうでもよい。そんな平和な未来を思い描きながら少年は勢いよく玄関のドアを開ける。


「母さん!父さん!」


 部屋を開けると少年の両膝が地につく音と少年が今まで大事に持っていたものを落とす音が静かな室内を揺らした。この家はあまり大きくない。玄関を開けるとすぐに食事をするテーブルがあり、いつもは温かな笑顔で少年を迎えてくれる両親がいる。


 無論、今日もいた。両親は椅子に座っている。ただし暖かな笑顔はない。それもそうだ。両親の首は机の上に転がっているのだから。


 少年は崩れ落ちる。四肢が床から離れなかった。うつむいたままピクリとも動かない。動けない。


 いつまでこうしていたのか、いつからか少年は右手で床を殴り始めていた。もう涙は出ない。出し尽くして、出す水分も残ってなくて、ただ双眸からは血を垂らすだけ。


「………………ころす…………………ころす………………ころす…………殺す…………殺す………殺す!……殺す!!…殺す!!!」


 少年が床を殴る度に床が震える。まるでこの世の理不尽を呪うかのように。まるで己の守りたいものを守ることができない己自身を呪うように。まるでこの世に神がいるのなら一体何をしているのだと神を呪うように。


 少年はただ床を殴りつけた。陽が暮れても殴り続ける。少年の手からは血が出ていた。それでも、痛みに手が悲鳴をあげようとも殴り続ける。朝日が昇って少年の手が変色し腫れ上がっていても。


その日が終わる頃には少年は床を殴る力が弱くなっていたがまだやめなかった。また太陽が登った頃、少年の髪は全ての光を反射するように白く、目は血の色に染まり、右手は赤黒く変色しきっていた。


 おそらくもう殴る力が出ないのだろう。はたからみれば、少年は床を撫でている様にしか見えない。このままいけば少年はこのまま死ぬだろう。


 いつしか少年は力つき、床に倒れ込む。そんな時である。何の力もなかった平凡な村人であった少年が世界を変えるほどの力に目覚めたのは。


(あなたを見て神が嘲笑あざわらっています。あなたに神から加護が与えられます。)


 少年は顔をあげ、立ち上がる。瀕死の少年は生まれたての子鹿のようだ。しかし、目は死んでいない。


(どうかあなたの復讐に神の導きが在らんことを)


 これは全てを失った少年の悲しくも美しい殺戮劇



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