第36話

「フン、最初から回り諄いことなんかせず、全員ぶっ殺しちまえばいいんだよ! 黒武者だの、不滅だの、大層な二つ名を掲げてる割にはあっさりと敗れやがって。俺様がそんなガキ、とっとと片付けてやるよ!」


 トーマスが僕を睨んで、そう口にする。


「いや、トーマス殿では勝てないよ。君に契約させた精霊……〈毒霊竜ヒュドラ〉は、確かに強大な大精霊の一柱さ。ただ、それを考慮しても黒武者はトーマス殿よりずっと強かった」


 だが、ヨハンが口を挟んだ。


「なんだと……?」


「精霊の格ではトーマス殿はマルク君に負けているよ。僕も残念だけれど、大精霊ネロディアスの契約者と正面から戦えるだけの力は持っていないんだ」


「今さっき偉そうに宣戦布告したと思えば、今度は敵いませんだと……? 俺様は、貴様の計画に全てを賭して乗ってやったんだぞ! 今更分が悪いだのとほざかれて、引き返せるか! あのガキも、タルマンも、この俺様がぶっ殺す!」


「安心してくれ、トーマス殿。大きな計画を起こすときには、切り札を用意しておくものだ。この場で使いたくはなかったけれど、仕方がないね。『侯爵領の乗っ取り』自体は諦めることにしよう」


 ヨハンはそう口にすると、左腕を天井へと掲げた。

 手の甲の精霊紋が輝く。

 赤紫色の紋章で、ドラゴンが描かれている。


「諦める……切り札……? おい、ヨハン、どういうことだ! その精霊紋は、俺様のヒュドラと同じ……!」


「特殊契約だよ。トーマス殿、覚えているだろう? 君の精霊契約の魔術式は、僕が記してやったものだ。本当の〈毒霊竜ヒュドラ〉の契約者は僕なんだよ。君はあくまでも、マナの濃いタルナート侯爵家の血を利用した媒体……生贄に過ぎない」


「な、なんだと……!?」


 トーマスの腕が赤紫の輝きを帯びる。

 どうやら彼の腕にも、ヨハンと同じ精霊紋が刻まれているらしい。


「君のように権力に拘泥する愚か者に、僕が大精霊の力を与えるとでも? ヒュドラは僕に従い、君からマナを引き出してこの世界に顕在する。それが僕とヒュドラの契約さ。君なんかの精霊融合ではマルク君には勝てないよ。でも、大精霊の召喚は燃費が悪くてね。君のマナを、血肉を……魂を、丸ごと捧げる必要がある」


「ふざけるなよ、ヨハン! お、俺様を、ヒュドラ召喚のための捨て駒にするつもりか! そんなことをすれば、貴様はタルナート侯爵家の血筋を失い、領地の乗っ取りは叶わなくなるぞ! か、考え直せ!」


 トーマスの身体を、毒々しい赤紫色の光が包んでいく。

 トーマスは苦しげにその場膝を突いた。


「ひっ……!」


 トーマスから逃げようとしたティアナ様の肩を、ヨハンが掴んだ。


「僕にはまだ彼女がいる。乗り気ではないようだが……なに、全てを片付けてから、ゆっくりとティアナ嬢を説得するさ。それに僕の目的は王国に動乱を齎して秩序に歪を作り、〈真理の番人〉が台頭する隙を作ることだ。最悪、侯爵領のことは諦めてしまってもいいんだよ。トーマス殿……我々の仲間に、君のような穢れた人間は最初からいらなかったんだ」


 トーマスを中心に、赤紫色の大きな魔法陣が展開される。


「ふざけるな……ふざけるなよ! 俺様が……使い捨ての、生贄だと!? たっ、助けてくれ、ヨハン! 俺様はこんなところで死ぬ器ではない! 俺様は……!」


「精霊召喚! さぁ、彼の魂とその血肉を糧に、顕在せよ〈毒霊竜ヒュドラ〉!」


「俺様は、あああ、アアァアアアアッ! グゥォオオオオオオオオ!」


 トーマスの身体を紫の鱗が覆ったかと思えば、膨れ上がっていく。

 天井を崩し、全長十メートルはあろうかという巨体へと変貌した。

 三つの大きなドラゴンの頭部が、僕達を見下ろす。


「いくらネロディアスの契約者といえど、精霊召喚された大精霊に生身では敵わないだろう! 真の世界のための礎となるがいい!」


 ヨハンが両腕を広げてそう叫ぶ。


「……十年前にトーマスを殺し損ねたツケを、こんな形で支払うことになるとはな」


 タルマン侯爵様がヒュドラの頭を見上げて、絶望したようにそう口にする。


『……これは厄介であるな。今までの敵とは格が違うぞ。魔毒持ちの大精霊とは、さすがに分が悪い……。館から逃げて街へと誘導して距離と時間を稼ぎ、核となっている男のマナが尽きるのを待つのが一番なのだが……そうは言っても、マルク、そちは逃げないのであろうな』


「ごめん……ネロ」


『全く、ほとほと強情な者と契約してしまったものよ。後悔など、微塵もしておらんがな! さて、マルク、やるぞ!』


 僕は刀を抜き、ヒュドラと対峙した。


「……ああ、君はこんな状況でも、正面からヒュドラへ挑もうというのか。君のような人間こそ、僕は〈真理の番人〉に欲しかった。君を配下にできなかったこと……心から惜しいと思っているよ。さぁ、ヒュドラ、叩き潰せ!」


 ヨハンの言葉と同時にヒュドラが動いた。

 大きな紫の尾が僕へと目掛けて放たれる。


「速っ……!」


 僕は精霊融合の触手で床を叩いてその反動で移動し、寸前のところでヒュドラの尾を回避することができた。

 ヒュドラの尾は容易く床を削り、壁に大穴を開けて崩す。


 僕は息を呑む。

 今……一瞬反応が遅れていたら、そのまま叩き潰されていた。


「……確かに、今までの相手とは格が違うみたいだ」


「精霊界と現界は世界の在り方から根本的に違うんだ。現界の生物には到達しえない、圧倒的な力……金剛石の如く鱗! しかし、そんなものでさえヒュドラにとっては本分ではない。真に恐ろしいのはヒュドラの生み出す魔法毒だよ。まさか人間一人殺すために大精霊が召喚されたことなんて、人の歴史にこれまでなかったことだろう。マルク君……これは君への手向けだ。ヒュドラの力をたっぷりと味わうといい!」

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