第35話 「世界よ、変われ」
「……立花さん」
上毛高等学校から北に数分。無数のブロックが複雑に並べられるかたちでつくられた道を進むと、それほど大きくはないものの、街の中心にあるためか中々な雰囲気を醸し出している駅が見えてくる。コンクリートで出来た壁は汚れ、周辺には「ローラースケート禁止」の文字の上に赤色のスプレーで「うるせぇ」と書かれた、一目でこの周辺の治安の悪さを教えてくれる看板が何枚か設置されている。
駅は一階に改札や券売機、二階にホームといったいわゆる高架駅。入り口は、南口と北口の二つがあり、建物自体は東西にのびている。改札は南口から入って右、東の方向に数メートルほど進んだ位置にある。
俺は今駅の南口の前に来ている。
一階の壁は、半分ほどがガラスになっており、そこから俺のいる方向に向かって、LEDの淡い光が漏れ出している。それを浴びながら、駅の中を覗くような体勢で、彼女は、立花瑞希は佇んでいる。
「山上くん」
俺の声に反応し、彼女は振り向く。嬉しい気持ちと、悲しい気持ち。そのどちらも秘めているといったような表情である。初めて会ったときから彼女はいつも笑顔であった。誰かを助けるときも、大きな問題を抱えているときも、何かを必死に模索しているときも、どんなときも、彼女は笑顔を保っていた。だからだろうか。彼女の様子を見て、俺は不安を感じてしまう。
「どうしたの?」
彼女は、本当は俺がすべて知っていることに気付いているのだろう。俺がここにきている理由も分かっているが、自分からは話したくない。そんなふうに考えているように見える。
「どうしたの? じゃないですよ。散々連絡無視しておいてそれはないでしょう。一か月近く無視されるなんてこと、陰キャ歴の長い俺にもそうそう起こるようなことじゃないですよ。あっ、スマートフォンの機種を変えただなんて言い訳は通じないですからね。最近のSNSじゃアカウントを引き継ぐなんてことは容易にできるし、実際俺の告白めいたポエムメッセージを無視した中学の同級生は、機種を変えてしまったって言っていましたけど、クラスのグループにそのアカウントのまま入っていましたから。というか、俺もグループ入っていたってことにさえ気付かなかったのかよ。どれだけ俺のこと見えていなかったんだよ」
「山上くん。それ、自分で言っていて悲しくならないのかな」
いつもしているように俺の自虐エピソードを赤裸々に語ると、彼女も同じような調子で、言葉を返してくる。
「なるに決まっているだろ」
自分で自分の声のトーンが変わったことに気付く。
おかしなテンションでいこうと思っていたが、うまくいかない。そう自覚し、なんとか元の調子に戻す。
「悲しくなりますよ。人から無視されるのは。助け合って、励まし合って、意見をぶつけ合って、一緒に世界の平和を守ってきた、あなたから無視されるのは」
そう言うと、立花は右手を握り胸の前に持ってくる。恐らく彼女も考えているのだろう。俺に言葉を、どのように返すべきなのかを。思い返せば、俺は彼女と話すとき、今立花が浮かべているような、何とも言えない表情をしていた。自分のうちにあるものの中から、外に出してもひかれてないような意見と、それを表現することのできる言葉を探すために、小難しい表情になってしまうのだ。
「……ごめん」
間を空けて彼女が発した言葉は、とても小さく、弱い。
「山上くん。このままだと、世界が危ないの。矢野咲さんのことだけが原因じゃない。ここ数年。世界は、ずっと病んでしまっている。皆が皆悩みを抱え、世界に絶望して、失望して、自分だけの世界を求めている。それが小説や漫画、アニメの世界のようになって……」
彼女は淡々と、世界の状況を説明する。
けれど、そんなものはどうでもよかった。もう、彼女の中に結論は出ている。彼女は何があっても、アカシックレコードを世界から分離させるだろう。
俺はもう、彼女のことを知っている。立花瑞希とはそういう人間だ。
自分の考えを曲げず、周りの人間を巻き込んで、必ず正解を導く。それが、俺の相棒だ。
「……だから!」
「分かっている」
「山上くん……」
「あなたが選んだことですから。きっと、そこに間違いはないんでしょう。」
「……!」
「行け‼」
「……!」
「そして、世界を変えろ‼」
「……‼」
「お前の望む世界に書き換えろ‼」
自然と口に出していた。
「皆が、アカシックレコードなんてものを使わなくても、俺たちが見つけたような、無数の幸せを見つけられるような、そんな世界に、お前が変えろ‼」
「山上くん……」
「お前が、お前自身が世界なんだろ。変えろ。いや、変われ‼」
「……うん」
俺の言葉に、彼女は頷く。
「行け‼」
俺の言葉を聞き、彼女は進む。
世界を変えるため。アカシックレコードを、この世界から分離させるため。
彼女は、駅の方へと身体を向ける。
彼女は、進む。新たな世界へ。
俺は、彼女の背中を押す。
けれど。
俺は、それを止める。
「待って」
きっと俺は、情けない表情をしているのだろう。振り返った彼女は、悲しそうな顔で、俺のことを見つめている。
「待って……ください……」
それでも、彼女が止まることはない。
「……ごめんね」
身体を翻し、駅の方へと視線を戻す。
自動ドアがゆっくり開き、彼女は蛍光灯の明かりに包まれていく。
コツンコツンと、彼女が道を進む足音が、静かな街にこだまする。俺と彼女が出会った街に。
俺は一瞬、視線を落とす。耐えきれなかった。消えゆく彼女の姿を見ることに。
次の瞬間。見上げると、そこに立花瑞希の姿はなかった。
最後に見た、彼女の表情を思い出す。
とても悲しそうな、彼女の表情を。
いいのか、本当にそれで。
いいのか、最後に見る彼女がそれで。
いいのか、最後の記憶が、悲しいもので。
ふざけるな、山上和也。こんなところで終わっていいわけないだろう。こんなところで筆をおいていいわけないだろう。彼女から笑顔を奪ったまま、逃げていいわけがないだろう。
俺は自分自身を否定する。
まだ、終わるわけにはいかない。
動け、山上和也。今やらなければ、一生後悔する。
叫べ、山上和也。今言わなければ、一生引きずることになる。
まだ間に合うんだ。
手を伸ばせば届くんだ。
走れ。
走れ!
走れ‼
「俺は……‼」
覚悟を、望みを、選択を、声に出さずとも、しっかりと心の中で言葉に変える。
俺は、あいつの背中を押してやる。
矢車竜次と約束したのだ。立花瑞希から逃げないと。対話して、意見をぶつけ合って、そして分かり合うと。
紫月美望と約束したのだ。立花瑞希を安心させると。世界から、アカシックレコードを分離させると。
俺の心に残っている様々な記憶が、俺の背中を押す。
俺は、その一歩を踏み出す。
俺は、地面を蹴る。
駅へと駆ける。
そういえば俺は、今まで面と向かって、彼女のことを呼び捨てしたことはなかった。ふと、そんなことを思う。彼女の名を呼ぶのは、これが最後だ。最後にしなければならない。俺は自分の中の感情すべてを乗せて呼ぶ。
親友の名を。
仲間の名を。
相棒の名を。
「立花……‼」
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