第26話 矢車竜次の鉄拳

 散りゆく銀杏の葉が、視界を黄金色に染めている。校舎から校門までの道の両側には、枯れてしまった草木が、歩行を妨げるほどに散布していた。


 乾燥した風はうっとうしいほどの寒さを乗せながら、俺の顔面から軽々と体温を奪っていく。


「……さみぃ」


 つい、世界に対する愚痴が漏れる。


 最近は夏と冬の境目がなくなってしまっているのだろう。気付いたときには、すでに街中を大寒波が襲っていた。さらに、その威力は尋常ではない。クリスマスが近いということもあり、雪でも降ってしまうのではないかとさえ思う。


 寒さを緩和するべく、両手を制服のポケットから、トレンチコートのポケットへと移動する。コートの方が厚い記事でできているため、暖かい。


 ゆっくりとポケットへと手を入れていくと、スマホが振動していることに気付く。電源をつけ、ディスプレイに表示されているメッセージの文面を確認する。送信元の欄には矢野咲さんのアカウント名がある表示されていた。彼女と連絡先を交換したのは、中学を卒業する寸前、当時の担任へのサプライズを考える際だ。よく残っていたな。


 醜い記憶を思い出しながら、メッセージを読んでいく。


『和也、この間はありがとう。最終的に夢は叶わなかったけど、あのときかばってくれてうれしかった。本当にありがとう』


 この間というのは、彼女がレコードの力を酷使したハロウィンライブで、俺が立花と対峙したときのことを言っているのであろう。ありがとう、か。過去に片思いしていた相手からのそんな何気ない言葉に、つい頬が緩む。そんなことをしていると、矢野咲さんから次のメッセージが送られてくる。


『私にとって、アイドルっていうのはとっても大きな夢だったし、ずっと憧れていた存在だった。でも、もう諦める』


「諦める」という彼女からの言葉。その三文字の短い言葉が、俺の胸を強く締め付ける。


 なんでだよ。なんでそう簡単に諦めることができるのか。確かに、アイドルという夢は、叶えるのが困難かもしれない。俺のように意識の低い人間なら、きっと簡単に挫折してしまうようなものだろう。


 しかし、彼女は違うはずだ。彼女はあんなことで諦めてしまうような、弱い人間ではないはずだ。何故なら、俺に夢を追いかけることの素晴らしさを、思い出させてくれた人物なのだから。数か月前の記憶を呼び覚ましながら、俺は彼女に、身勝手な理想像を押し付ける。


 ずっとずっと夢を追い続けてきた矢野咲さんが、何故こうも簡単に諦めてしまうのだろう。勿論、この結論は彼女なりに考えに考え抜いて出したもののであることに変わりはないはずだ。そんなことは分かっている。頭では十分理解している。けれど、心はそれを受け付けようとしないのだ。


 夢を語り、夢をみて、夢を目指し続ける。そんな矢野咲舞という同級生。彼女の存在は俺にとって、とても大きなものだったのだろう。そのことを自覚する。


 立ち尽くしていると、再び彼女からメッセージが届く。


『さっき、立花さんと話したの。それでようやく理解できた。アカシックレコードの力を使って夢を叶えるということが、どれだけ醜いことだったのか』


 昔から、他人の心を読むのは苦手だ。こう考えているのではないか、ああ思っているのではないか、そんな感情は抱くものの、結局のところ、それらが当たっていたという経験はほとんどない。


 それでも、俺は他人の裏にある考えや思いを探ってしまう。正確に裏の感情を捉えることはできないかもしれない。けれど、他人が俺に見せているものが真意はでない。そのことだけは、自信を持ってはっきりと言えるのだ。彼らが言葉や表情で俺に示してくる感情は、ほとんどが偽物。その裏には真実がある。その考えだけは、いつからかずっと脳裏に焼き付いている。だから探る。彼女の裏にある本当の感情を。


 文章を読み終え、俺は一つの疑念を抱く。


 矢野咲さんは、夢を諦めさせられたのではないか。立花の言葉によって無理やり諦めるように促されたのではないか。そんな根拠のない疑念が、俺の頭を埋めつくし、いつからかそれが真実であるかのように、脳が錯覚していく。


 勿論根拠なんてない。立花が何故そこまでするのか。理由だって分からない。確証なんてないに等しい。けれども、俺はその答えに納得してしまう。


 毎日のように歌やダンスの練習をして、そのためにバイトまでして、親の期待を裏切らないようにと勉強も続けている。そう、彼女は言っていた。明らかに普通の高校生ではできないことを、彼女はずっと続けていたのだ。俺のような人間はすぐにでも抜け出す過密スケジュール。それを彼女は続けていた。そして、そのことについて話す彼女の表情は、天真爛漫でとても素敵な笑顔だった。


 その笑顔を思い出すと、俺はそれを守りたいと思ってしまう。彼女の夢は、笑顔は、世界によって壊された。残酷なシステムを持つ、この世界によって。


 掌に震えを覚え、スマートフォンを覗く。すると、彼女から新たなメッセージが来ているのに気付く。


『もう、大丈夫だから』


 大丈夫だから、か。矢野咲の言葉に、何かがつっかかっているように感じる。彼女は真意を隠している。そう感じてならないのだ。


 俺は彼女に夢を取り戻してもらいたいのはないか。心の中で、そんな考えが渦巻いてくる。


 身体を一周させ、校舎の方へ振り返る。そして、それを睨みつける。この世界に対する感情をぶつけるような、鋭い目で。


 そして覚悟する。この世界と戦うことを。


  ◆  ◆  ◆


 一歩一歩、力を込めて道を進む。自分の意思を確かめるようにゆっくりと。目指しているのは俺が所属するクラス、三年三組。


『着いたよ』


 階段を上っていると、スマートフォンが振動するのを感じる。起動すると、そこには緑山からの連絡が来ていた。「着いたよ」というその言葉は、数分前に俺が緑山と大志送った召集のメッセージに対するものだろう。俺が彼ら二人を教室に呼んだのだ。


「すまないな、急に呼び出して」


 言いながら、教室の扉を開く。わざわざ駐輪場から戻ってきたという緑山と、自習室にでも行っていたのか、荷物を持たずに佇む大志がいる。


「おせぇよ」

「どうしたん? やーかー」


 言葉の強い緑山に対し「悪い、悪い」と軽く謝罪しつつ、二人のもとへと歩み寄る。


「いやいや、俺は指定校で受かっているからいいけど、大志はまだ受験が終わっていないんだからさ」

「本当に申し訳ない」


 緑山の言葉を受け、俺は再度謝罪の言葉を述べたのち、本題に入る。


「実は……二人にお願いがある」

「やーかーがそんな改まってお願いなんて珍しいね」


 そう言う大志を差し置き、緊張を悟られないよう一呼吸置いてから、俺は淡々と言葉を紡いでいく。


「……二人に……アカシックレコードに接続して欲しい」

「は?」

「どういうこと?」


「は?」が緑山で「どういうこと?」が大志。勿論、そのような言葉が来るのは想定していた。二人の疑問を解消するように、俺は求められている説明をする。


「俺の中学時代のクラスメイトに、矢野咲舞さんって子がいるんだが、彼女が二か月前にアカシックレコードに接続して、アイドルになろうとしたんだ。そしてそれを、俺たちは否定した。二人のときと同じように」


 ゆっくりと話していく俺を、二人は神妙な面持ちで見ている。


 そんな彼らに対し、俺は自分の心の中にある気持ちを、投げかける。


「……でも、後悔しているんだ。俺は……彼女の夢を叶えたい。彼女のアイドルという夢を叶えるために、大志のタイムリープの力を使いたい。緑山と二人でやれば、アカシックレコードへの接続がしやすいはずなんだ。だから……‼」


 勿論、理解はしている。俺が否定した彼らを、もう一度アカシックレコードに接続させるということがどういうことか。緑山の異能バトルへの憧れ、大志の時空を超えるということへの執着心。それを否定したのは、紛れもなくこの俺なのだ。自分の世界から引きずり出した張本人が、今度はもう一度それをしろと言い出す。こんなにも最低なことがあるだろうか。


 それに、彼らを説得したところで、アカシックレコードの力を借りることができるとは限らない。


 それでも、俺には自分を止めることができない。身勝手な理由であること、身勝手なやり方であること、身勝手な判断であること。そのことを理解していても、頼むことを止めるこがはできなかった。


 二人の表情を覗う。


「……やーかー……」


 細々とした声で、大志が呟く。緑山は何も言わず、ただこちらに視線を向けている。


 俺は、その不安定な無言の時間から脱却しようと、言葉を紡ぐ。本当は、身体ごと逃げてしまいたい。そんな空気感である。それでも、ここで逃げるわけにはいかない。


「都合のいいことを言っているのは、分かっている。分かってはいるんだ。でも‼ ……それでも……頼むっ‼ 力を、貸してくれ」


 その言葉を口にした瞬間、大きな音を立てながら教室前方のドアが開く。


「山上氏っ!」


 その叫び声とともに、俺の左頬に衝撃が走る。


 俺は大きな音を立て、尻から床に倒れ込んだ。両腕に一気に体重がかかったのか、関節に痛みが走る。瞼を何度も開け閉めしながら、焦点を合わせる。


「……竜次」


 反射的に左手で頬を抑えながら、ぽつりと友人の名を呟く。


 そこにはいたのは、こちらに握り込んだ右手をこちらに向け、二本の足で、地面をしっかりと踏みしめた矢車竜次であった。背後に見える蛍光灯の光によって、竜次の表情をうまく確認することができない。しかし、明らかによい感情を持っているようには見えなかった。


 竜次は、姿勢を整えながら視線をこちらに向け、ゆっくりと重そうな口を開く。


「山上氏。あんた、何しとるん?」


 目に涙を浮かべているようにも見える。その奥にある鋭い瞳で、攻撃するかの如く、俺のことを見つめている。目が合った瞬間、彼は大声で話し始める。


「なんとなく、廊下で話は聞いていた。前に言っていた、東京での女のことやろ?」


 俺は口には出さず、ゆっくり首を振ることで肯定の意を示す。


「山上氏の気持ちは分からんでもない。矢野咲氏があんたにとってどれほどの存在なのかは分からんけど、少なくともこんな行動に駆り立てるほどではあったんやろうな。でも、そっちは二人をアカシックレコードから切断させたんやろ! だったら、これ以上二人を巻き込むのは違うんじゃないのか!」


 口調は普段の竜次のものである。しかし、その奥には強い感情があるのが分かる。


 何もできない。彼の言葉に、何も言い返すことができない。


「すまない」


 そう言い残し、俺は逃げるように教室をあとにした。

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