第24話 夢想!

 暑い。


 下北駅周辺のとあるライブハウス。その中に一室だけ、今にでも溢れるのではないかと思わせるほど、多くの人々でいっぱいになった場所がある。隣の人と身体が当たるだけで体温が上昇しているのにも関わらず、そこにまた盛り上がっているファンの熱狂も加わり、俺の額にも何粒か汗が生まれてきている。


 現在時刻は午後五時五七分。ライブ開始まで残り五分もないといったところだ。


 結局、俺たちは矢野咲さんと話すことができないでいた。それだけではない。さらに俺は今、立花と紫月さんと離れてしまっている。そこまで大きいライブハウスではないのだが、これだけ多く人がいると、そこで知人と一緒に行動するのは難しい。


 一度ここから出た方がいいかもしれない。


 そんなことを考えていると突然、前方に位置するステージ上部に備え付けられているライトが六色に点灯。黄、赤、紫、緑、青、桃の順に、それまで真っ暗だったらこのライブ会場を染め上げていく。


 それが終わると、ステージに一人の人物が出てくるのが見える。それは、イメージカラーイエローの少女だった。彼女は、黄色のワンポイントのある純白の衣裳に身を包みながら、マイクに声を入れるように、大きな声を出す。


「皆さん、お待たせしました!」


 その甲高い声が、会場に響くと同時に、室内にいた人間が一斉に声を上げる。耳が痛い。身体が、声によって圧迫される。男性女性に限らず、皆恥を忘れ、本来の自分たちを解放するかのように、笑い、叫ぶ。


「それでは! 生まれ変わった新生『ニナクペンダ』の初ライブ! まずはこの曲で行ってみましょう! これから皆さんを、私たちが彩る三色の、いや、六色の世界に連れて行ってあげます!」


 彼女がそう言い終わると同時に、今度はステージが白色のライトに照らされる。スピーカーからは彼女たちのファーストシングルが流れ出し、さらに両脇から残り二人の現メンバーと、三人の新規メンバーが登場する。その中には勿論、矢野咲舞の姿もある。


 この前会ったときとは着ている服も、メイクも全くと言っていいほど違う。純白のドレス型の衣装には、フリルがついており、可愛らしい。そこにメンバーカラーのピンクが入っており、全体のシルエットも引き締まっている。


 つい、視線を彼女に奪われる。もしかすると、俺は感動しているのかもしれない。ずっと夢を語り続けてきた一人の少女が、アイドルになった。夢を叶えたのである。俺がすでに諦め、引き返そうとしていた棘の道を、彼女は進み切ったのである。


 矢野咲さん、正確には夜乃さくらという一人のアイドルのことを凝視していると、気付けばメンバーである六人がステージ真ん中に並び立ち、一曲目のイントロが終わりを迎え、彼女たちは歌い始めようとしている。


 新体制となった彼女たちの一曲目。俺の心は、そんなパフォーマンスへの期待で埋め尽くされる。マイクを口元へと近づけ、一度呼吸をする。そんな彼女たちの初々しさにすら、つい見とれてしまう。


 彼女たちの歌声が響き始める。その瞬間だった。


「夜乃さくら!」


 観客席の中心。多くのファンが蠢く暗闇の中、一人の少女が声を上げた。マイクでも使っているのかと思わせるほどの声量に、思わずステージ上のメンバーたちのパフォーマンスが止まる。そして、声を上げた少女の周りにいた人間たちが、彼女から距離をとったことで、先ほどの声の主が、人込みの中から姿を現した。


 立花である。


 彼女は、池袋駅で俺や紫月さんに提案した方法で、この事態を食い止めようとしているらしい。彼女の右手にはどこからかくすねたのであろうマイクが握られており、その瞳は矢野咲さんただ一人を見つめていた。


 立花は、周りの反応に一切動じず、話を再開する。


「いや、矢野咲舞! あなたが、矢野咲さんがやっていることは、ただ現実から逃げることでしかないの! それじゃダメなの! まだ遅くない! ううん。始まってすらいない! これから現実の世界で、あなたはアイドルを目指すんだ!」

「うるさい」


 突然、立花の話を遮るかのように、矢野咲さんが低い声でそうに告げる。


 立花が何かしたのだろうか。警備員が入ってくることはなく、会場には淀んだ空気だけが流れている。そして、自然と周りの連中の視線は矢野咲へと移っていく。


「……あんたに何が分かるの? 私のこと何も知らないあんたに! なんでそんなことが言えるの。私にはもう、これしかないの!」


 一人の、まだ高校生の少女から発せられその台詞の中には、この世界の残酷さや厳しさ、理不尽さに対する大きな怒りが籠っているように感じる。


「なら、もう仕方がない」


 言いながら、立花は矢野咲さんめがけて右腕を突き出す。俺は、彼女のこの動きを見たことがある。そんなことを考えている間にも、彼女の手の前には、いつか見た陽炎のような世界の歪みとともに、一輪の花が咲く。


「火大……アグニ……‼」


 ついその名称を口にする。


「……矢野咲さん。私はあなたのために、世界のために、あなたを止める……!」


 そう彼女が口にしたときだった。自然と身体が前進した。一歩踏み出したことで、そのまま両足が動く。気付けば、俺は立花の前に立ちふさがっていた。


「立花さん‼」


 そして、彼女を威嚇するように、大声を上げる。


「……何?」


 彼女は不思議そうな表情でこちらを見ている。恐らく俺の行動に理解が追い付いていないのだろう。正直、俺にも分からなかった。俺は何故、彼女の前に立ちふさがっているのだろう。俺は何故、矢野咲さんを守るようなかたちで、両腕を広げているのだろう。


 その理由を俺よりも先に、理解したのかもしれない。立花は怪訝な表情を浮かべて言い放つ。


「……どいて」


 彼女の声はどこか冷たい。しかし、俺は引き下がらない。


「嫌だね。……立花さん、こんなことして何になるんだよ‼」


 勝手に口が動いているような感覚だった。しかし、これは誰かに言わされているような言葉ではない。本当に、心の中で思っていることが、淡々と言語化されていく。


「矢野咲さんの夢を壊したところで、世界はよくなるのかよ‼ こんなことして、本当に世界は救われるのかよ‼ これが本当に、お前にとって正しい行いなのかよ‼」


 そう叫んでいる間、突然視界が桃色の光に包まれた。俺の目前だけではない。今いるライブ会場全体が、淡いピンク色に染められていく。


「……ごめん、山上くん。もう、時間がないの」


 小さな声で、そう聞こえた気がした。そのとき、ついさっきまで俺の前にいた立花が、すぐ横に来ていることに気付く。


「行くよ! 火大・アグニ!」


 彼女の声が、会場に響く。同時に、オレンジ色に輝く閃光が、矢野咲に向け放たれ、世界を包んでいた光は、桃色から真っ白なものへと変わった。


  ◆  ◆  ◆


 意識が戻ると、そこはまだライブ会場の中であった。何があったのか。状況を確認するために、辺りを見渡す。ステージ上には、一曲目のAメロを歌う『ニナクペンダ』のメンバーたちがいる。しかし、何かがおかしい。そこで踊り歌っているのは、五人しかいない。


 よく見ると、ピンク色のメンバーが、矢野咲舞が倒れ込んでいる。


 そのことに気付いた他のメンバーが、歌うのを止めて、悲鳴を上げる。しかし、その光景に違和感を覚える。矢野咲の周りにいる彼女たちの反応は、同じにグループのメンバーが倒れてしまったことに対するものではないように見えるのだ。


 そんなことを考えながら、その様子を見ていると、黄色のメンバーが矢野咲にかける声が聞こえた。


「……あなたは、誰ですか?」


  ◆  ◆  ◆


 数時間後。帰宅するべく、田舎と都会の中間にあるような駅で、椅子に腰かけ、一人で電車を待っていた。ホームとホームの間から空が見える。夕日など残っているはずもなく、そこには全てを覆ってしまうような暗闇が広がっているだけである。


 現在時刻は二二時二〇分。あれから、俺は立花たちに合流するでも、矢野咲のもとに訪れるでもなく、一人東京の街を歩き回った。こんな時間になるまで、そんなことをしている理由は、自分でもよく分からない。もしかすると答えを求めていたのかもしれない。俺はこのあとどうするべきなのかという、問いへの答えを。


 しかし、あの街で答えが見つかるはずなどなかった。


 それだけではない。そんな状態の俺に追い打ちをかけるかのように、あの街は俺に、この世界の闇を見せてきた。


 肩を落としながら栄養ドリンクを一気に飲み干す会社帰りのサラリーマン。手ぶらで他人を睨みつけながら漫画喫茶へと入っていく男性。ビルとビルの間の影に佇み、スマートフォンとにらめっこしながら誰かを待つ中学生くらいの少女。駅の入り口に寝そべる老人。


 まさに、地獄のような場所だった。


 勿論、これは俺の主観に過ぎない。それでも、一人の人間にそう思わせるほどに、この国を代表する大都会は、闇に染まっていた。


 世界の黒い部分を見るたびに、俺は恐怖に蝕まれた。そして俺が、俺に尋ねてくるのだ。「本当にこの選択は正しかったのか」と。それは、立花の前に立ちふさがるという選択についてではない。俺が、俺に問われている選択。それは、本当に日本芸術大学を受験するという選択についてだ。


 俺は、そのことが一番怖かったのだ。


 あっさりとステージから降ろされてしまった矢野咲。最後までお互いの気持ちを理解することができなかった立花。何かを諦めてしまったかのような顔をしながら、必死に生きて行こうとする東京の人々。


 彼ら彼女らのことを思い返すと、怖いのだ。この世界は俺が思っている以上に甘くないし、厳しい。夢が叶うなんてことはなく、何かを妥協しなければ、生きて行くこともままならない。そう思う度に、俺は生きていくことができるのか、このくそったれな世界で。そんな不安が生まれる。


 俺の目に入ってくる景色は、ホームの蛍光灯に照らされ、目が痛いほど明るいはずなのだ。それなのに、そこに光は一つもなかった。

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