第8話 いつでも彼は敬語を使う。

 だるい。


 久しぶりに非日常へと片足を突っ込み、気分が高揚していたのも束の間。俺は重い足取りで、生徒会室へと向かっていた。本日は文化祭前日ということで、朝からクラスの出し物の準備をする日となっている。というか、本来なら一週間ほど前にその期間が設けられるのであるが、今年は色々と行事が重なり、文化祭が一か月ほど延期となってしまい、よりにもよって期末テストの翌々日からという鬼スケジュールになってしまったため、準備期間は今日一日しかないのだという。無論、文実にもそのしわ寄せが来ており、俺は今日中に全校生徒分の文化祭ポロシャツ、係Tシャツを配布しなければならない。勘弁してくれ。


 俺は重い足を無理やり引きずりながら、生徒会室の扉を開ける。


「うっす」

「うぃー」


 室内には一人、小沼こぬまという文化祭実行委員の人間がいた。とりあえずテキトーにあいさつを交わし、さっと作業に取りかかろうとする。現在時刻は九時。目の前にはシャツが大量に入った段ボールの山。俺はこれらを配布開始予定時刻の十時までに、クラスの人数ごとに分けなければならない。


「終わるのか、これ」


 俺は不安を感じ、小沼へと助けを求める。


「小沼さん、すんません、すんません、すんません。この仕事ちょっと手伝ってもらえないですかね?」


 小沼という男は、良くも悪くも頭がおかしい。だから俺も、この男に合わせるため、少しばかり頭のねじを外し、話しかける。


「いやー、山上さん。僕もまだまだ仕事あるんすよねぇ。すんません、すんません、すんません。頑張ってねん」


 言いながら、小沼は手元に散乱していた資料をかき集め、そそくさと生徒会室から出て行ってしまう。一瞬怒りの感情も浮上したが、あいつもあいつでクラスの出し物をチェックしたり、そのための資料をつくったりと、中々の量の仕事を抱えている。まぁ仕方がない。俺は一度大きな溜息をつき、学ランを脱ぎ捨て、腕を捲りつつ作業を始める。


「はぁ、疲れた」


 作業に取りかかろうとした瞬間、先ほど小沼が閉めていった扉が開き、廊下から和泉さんが入ってくる。


「あっ、山上くん。お疲れさま」

「うっす」


 相変わらず、俺の返答はテキトーすぎる。相手は俺に対し「お疲れ」とねぎらいの言葉をくれているのに、何だよ「うっす」って。本当、俺は異性への耐性がない。


「記念品の仕事?」


 彼女は、俺の返答に関しては気にも留めていないといった様子で、新たな話題を振ってくる。


 俺が今仕分けしているTシャツなんかは、文実では記念品と呼ばれている。文化祭が行われたことに対する記念か何かなのだろう。とりあえず、和泉さんの問いに対する俺の回答はイエスだ。


「えぇ。まぁそんな感じです。和泉さんは?」


 自分の番で話を止めることに抵抗を感じ、無理に話を延ばす。本当は異性との会話なんて、できれば避けたいものなのだが、止めるのもそれはそれで悪いイメージを与えかねないと考え、つい躊躇ってしまう。


「私は、とりあえず放送の仕事が終わったところ。一〇時からの前夜祭のリハまで休みかな」


 どうやら、彼女も仕事と仕事の合間というだけらしい。それもそうか。彼女は文実内で俺が属する総務係の副係長。下っ端の俺よりよっぽど忙しいだろう。先ほどまでだるがっていた自分が恥ずかしく感じる。それと同時に、折角の休憩時間を、俺との生産性のない会話に消費させてしまっていることへの申し訳なさも感じざるを得ない。


「なるほど」


 俺は短い言葉で、強引に会話を切り上げようとする。


 しかし、和泉さんにとってはそんなことはどうでもいいらしく、こんな俺にも話しかけてくれる。


「手伝うよ! 何すればいいかな?」


 これはあくまで俺の推理だ。それによると、恐らく彼女は人と時間を共有する際に訪れる沈黙が苦手なのだろう。その考えが気まずさから来るものなのか、自身の理想像だからなのか、理由までは分からない。しかし、話しかけるなとでも言いたげなオーラをふんだんに醸し出している俺に話しかけに来るということは、何かしらの考えあるがあると俺は思う。


 何はともあれ、俺にとっても彼女にとっても、これ以上無理に会話を続けることは苦痛になるはずだ。彼女もそう思っていることだろう。ちなみにこれは、推理ではなく経験則だ。


「いや、大丈夫っすよ。それより、クラスに顔を出せるうちに行ってあげた方がいいのではないですかね」


 一切クラスに貢献する気のない男が何かほざいている。


 ここまで言っても、彼女は屈しない。和泉さんのコミュニケーション精神は筋金入りだ。


「私は大丈夫だよ。それに山上くんには色々と迷惑かけちゃっているし」

「では、お言葉に甘えさせていただいて」


 なるほど、そういう考え方もあるのかと脳内で気持ちの悪い答え合わせを実施しつつ、彼女の善意を甘んじて受け入れる。


  ◆  ◆  ◆


「――ふう。何とか終わったね」


 九時四〇分前後。一通り作業を終えたところで、和泉さんが話の取っかかりをつくる。


「思っていた以上に大変でしたね。本当一人じゃ終わらなかったと思います。ありがとうございました」


 どこに効いているのか自分でもよく分かっていないストレッチをしながら、返答する。


 三十分ほど一緒に作業をしているが、やはり目を合わせて話すなんて偉業は成せない。机の上に散乱したトランプを眺めつつ話すのが精一杯だ。


 そんなことをしていると、彼女は視線を遮るかのように、俺の目前に回り込んでくる。


「どうしました?」

「和也くん、折角同じ係になったんだし、もっと気軽に話しかけてくれていいよ」


 彼女のように一日何十人もの人たちと話している人間からすると、俺のようにぎこちない話し方しかできない奴は、正直面倒なのだろう。「申し訳ないです」と謝罪を入れる。


 しかし、和泉さんはそれでも納得できていないのか「まぁいいや」と告げたあと


「そろそろリハーサルだから行くね」と言い残し、生徒会室をあとにする。

「俺、何かまずいことしてしまいましたかね」


 それから十分ほどで、俺はTシャツ、ポロシャツ配布のために立花と合流。段ボールを配布予定場所となっている会議室へと運び出した。


 そして現在。俺は立花に、先ほどまで生徒会室で行われていた一連の出来事の概要を話している。人間には好意を抱いている相手には、積極的になると、信憑性のなさそうなネット記事なんかで目にしたことがある。もしかしたら和泉さんはそうなのではないかと、淡い期待を抱きつつ、立花からの返答を待つ。ただ、よくよく考えてみればそんなことあるはずがない。仕事は遅く、会話もろくにできないような人間を、誰が好きになるというのだろうか。当然、立花もそのように、いやそれ以上にきつい言葉を吐く。


「山上くん。それはあまりにも異性慣れしてなさすぎないかな。うしし」

「うぇ」


 思わず変な声も出てしまう。


「山上くん。君は何故に、そこまで敬語を使いたがるのかな?」


 彼女の問いについての解を探す。


 確かに、俺は敬語を使うことが多々ある。ここで一つ「異性にモテたいからではないか」という解が思い浮かぶ。敬語を用いることによって、紳士アピールでもしたいのかもしれない。ただ、俺は同性にも敬語で話しかけることがある。特に、あまり話したことのない人間なんかが相手だと、それは顕著に見られる。ここまで自身を客観視したが、以降が浮かばない。


 気付くと、時計の長針が十二の数字を追い越していた。

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