緑の魔術の国(3) エスロ博士

7、国王陛下、敗北す


「ハイエルフ文字とは、面白いもんだのう」

 鬼神、本を眺めながらうなった。

 緑の魔術の国から本を贈られて以来、嫌々ながらも勉強しとるんである。

「巨人文字はとても覚えられんが、これなら覚えれそうだわい」

「・・・」

 そばに居った長男。無言で、顔を上げた。

 すっ・・・と筆を取り上げ、手元の板切れに一筆したためる。

 この筆は三男が造った。ハイエルフの筆をまねしたんである。板切れはただの板切れである。巨人がたまーに木工するとき出る余りにすぎぬ。これに墨汁で文字を書く。真っ黒になったら、目がひとつしかない母が回収して、かまどに放り込んでご飯を炊く。

 三男は器用なので、かんなで薄く削いだペラペラの木片を使ったりもしおる。これは火がつきやすいので母には好評、丸まってしまうので父の鬼神には不評であった。

 さらさら。

 長男、書き終えた。

 板切れ無言で突き出してきおる。

「なんじゃ?」

 鬼神は突き出された板切れを見た。

 すると、なんとしたことか。

 巨人文字で、見事な文章が書いてある!

<俺又同感。巨人文字便利然乍難解。拝陽字冗長然乍簡易、良発明哉。>

「ぬう!」鬼神は驚いた。「おまえ、巨人文字が書けるのか!」

「若干」

「あなどれん奴!」鬼神、歯ぎしりした。「・・・ぬう! まったく、読めん!」

 長男、うっすらと得意気な表情をした。

 この息子、無口なのでおとなしく見える。だがその本性、けんか好きで負けず嫌いなことは次男にも劣らぬ。こやつが冷静なのは「冷静なほうが勝ちを拾える」と知っておるから。つまり、かしこいけんか好きなんである。

 じつに自分そっくりだわい! と鬼神は思うておったが、みなさん御存知の通り、鬼神は冷静な男でない。

 長男の『勝った』の顔に、鬼神、沸騰(ふっとう)。

 自分も板切れ引っ掴んでやり返した。

<私チ、ノウ里ウ。コレヘ中マ四白イ旅ゴダ。>

 こちらはハイエルフ文字混ざりである。

 鬼神、頑張った。

 よく書けた! 自分ではそう思っておる。だが残念。あちこち間違っておる。

「父上下手糞。誤字多過。子供哉」

 長男、巨人文字的にしゃべった。

「ぬう! おまえがいま、何と言うたのかはわからぬ。

 だがばかにされたことはわかるぞ!」

 鬼神、長男の板をぶんどる。

「おまえの評価なんぞアテにならん! おーい、おまえ! これ! これを判定してくれ!」

 2枚の板を妻のところへ持ってった。

 目がひとつしかない妻、双方の書を見て「息子の勝ち」

 鬼神はがっくり崩れ落ちた。


8、国王陛下、べんきょうす


「なんで負けたんだろうのう」

 鬼神、夜も眠らず考えた。

 目がひとつしかない妻、特になんも言わぬ。ちくちく編み物をしておる。

 彼女は機織り(はたおり)が得意で、編み物はひまつぶしである。本職としてなんか造り、それに疲れたら息抜きに別なもんを造る。これが巨人。とにかくなんか造っとる生きものである。とにかくなんかぶっ壊しとる鬼神とは正反対である。

「うーむ。許せん。負けたままでおることは」

 鬼神。

 どうすれば息子に勝てるであろうか。ちくちく編み物をする妻のそばで考えた。

 自分は、なんで文字を間違ったのか。注意して書いたつもりだったのに。1字1字、注意して・・・

 鬼神はふと妻の手を見る。

 目がひとつしかない妻、ちくちくと編み物をするその手の動き、まるで平らな道を歩くかのよう。

 見た目にとても複雑な編み物が、にゅるにゅると川のように、妻の手元から流れ出してくる。

「うーむ。まるで、手が勝手に動いとるようだのう」

「勝手に動くのですわ」

「巨人はすごいのう」

「慣れれば、誰にでもできることですわ」

「慣れ・・・」

 鬼神。

 しばらくして、はたと膝を打った。「そうか!」

 そして筆と板切れを持ってきた。

「なあ、おまえ! すまんが、ちょっとこの私の文章、正し書きしてくれんか」

「はい」

 さらさら。


 × <私チ、ノウ里ウ。コレヘ中マ四白イ旅ゴダ。>

 ○ <私モ、ソウ思ウ。コレハ中々面白イ遊ビダ。>


 じっと見ていた鬼神は叫んだ。

「やはりそうか! これでわかったぞ。おまえ、ありがとう!」

 そして夫婦の部屋を飛び出し、長男を見つけて叫んだ。

「おおい! わかったぞ! 私が負けた理由が」

「父上。其理由、聞頂思」

 長男、また巨人文字的にしゃべった。これが気に入ったらしい。

 鬼神も聞き慣れ、なんとなく理解できるようになってきた。

「その理由、聞かせてほしいというのだな? よかろう!」

 鬼神、威張る。

「よいか息子よ。書は、戦なり!」

「戦?」

「そうだ。おまえ、相撲を取るとき、動作ひとつひとつを頭で考えるか?

 えーっと、まずは右腕を相手の首に回して押さえ込む。

 えーっと、次は左腕を相手の右脇に差し込んで腕を殺す。・・・なーんてことを、考えておるか?」

「其訳無」

「そんなわけがないな? そういうことだ!

 考えながら手を動かしたんでは、だめなのだ!

 考えんでも、自然に、手が動くようにする。それが訓練だ。

 そうでなくては勝負にならぬ。

 文字も同じだ!

 ひとつひとつの字を身体が覚え、すらすらと流れるように書けるようにならねばならんのだ。

 どうだ? 書は、戦なり!」

「成程納得」

「納得したか。私も納得したのだ。

 息子よ、前回は見事であった。だが次は私が勝つ! 再戦してくれ!」

「望所也。いつでも受けて立ちましょう、父上」


「私、私、私、私・・・」

 それ以来、鬼神は必死になって字を書いた。

「身に着けるのだ。自然に書けるようにするのだ。勉学に、近道なしじゃ」

 自分を励ましながら。

「も、も、も、も、そ、そ、そ、そ・・・」


9、エスロ博士


「う、う、う、う、思、思、思、思・・・」

 字の特訓に打ち込む鬼神。

 その姿を、ハイエルフの男が目撃した。

「・・・陛下は、なにをなさっておられるのですかに?」

「主人と息子どもは、『お手紙の戦い』をしております」

「お手紙の戦い」

「互いに短い手紙を書き、文字の美しさ、内容で、勝敗を決めます」

「ははあ! 歌会(うたかい)のようなものですに」


 歌会とは、ハイエルフの優雅な遊びである。

 集まって輪になり、それぞれ筆を取って、紙に短歌を書く。そして、その歌を順番に歌い上げる。

 全員が歌ったら、主催者が優勝を決定。贈り物をするというものである。


「歌会ほど、雅びなものではありませんが。

 こうして真剣勝負をし、主人も息子どもも、めきめき上達しております。

 エスロ博士。あなたのおかげですわ」

「私の?」

 ハイエルフの男は首をかしげる。ローブの首元で、黒い丸石の首飾りが揺れた。

「博士が差し入れてくださった本が、2人の勝負のきっかけなのです」

「おお」


 このハイエルフの男。

 名を、エスロという。

 魔術大学に所属する、博士である。

 初めての外交使節で本を贈ってきた魔術師が居りましたね。あれが、このエスロ博士であったのだ。

 エスロ博士。

 生命に関わる魔術が専門。見た目は若いが、すでに本を何冊も書いておられる。

 巨人の王が手を叩いて興奮した(そしたら雷が落ちたんでしたね)、あの本も、このエスロ博士の著作である。


「本が刺激となり、知的勝負が始まるとは。

 まこと、お贈りした甲斐があったというものですえ」

 エスロ博士はにっこりした。

「こちらに新しい本もお持ちいたしました。

 王妃殿下ご希望の、我が国の文化風俗のわかる流行本も探しておきましたえ」

「いつもありがとうございます。博士」

 目がひとつしかない王妃。

 博士にお茶を勧めて、話を始める。

「・・・それで、博士。例の秘密研究のほうは、いかがですか?」

「はい。進めております」

「私が聞いたうわさでは、博士はまた予算を減らされたと」

「あなや。王妃殿下のお耳に入るとは」

 博士は人指し指で髪をかいた。

「その通りでして、とうとう助手を解雇する羽目になってしまいましたえ」

「なぜ、そんなに資金集めに苦労なさるのです?」

「私たちの資金は、部族からの寄付と、大学からの予算によっております。

 私は弱小部族出身、研究内容も『秘密』ゆえ、寄付を集めるのは困難なこと。

 そして、寄付額は予算の参考となりますに・・・」

「寄付の少ない研究者は、予算も少なくなると?」

「はい」

「なるほど。

 ですが、やはり、わかりません」

「なにがおわかりになられませんに?」

「学長のおぼえめでたい博士ですのに、無理は利かぬのですか?」


 エスロ博士は、魔術大学の学長の強い推薦によって外交使節に選ばれたという。

 もともと魔術大学には外交使節の枠はなかったという。しかし、学長がエスロ博士をねじ込んだのだ。学長は建国の英雄で、この御方が強く言うたことは通るんだそうである。

 目がひとつしかない王妃も、このこと、うわさで知っておったのです。


「いいえ。予算のごとき毎年の事では、多数派の意見、たいせつです。

 我が国は、多数派に従うことでまとまっておりますゆえ」

「そうですか・・・」

 目がひとつしかない王妃、お茶を呑む。

「ご苦労をなさいますね」

「なあに、私1人ならば、もはや予算に困ることもありませぬ。

 いっそ『機密が守りやすくなった』と考え、邁進(まいしん)いたしまする」

 そこに鬼神が勉強を中断してやってきた。

「やあ、博士。いつも本をありがとう。おかげで、息子と楽しんでおる」


10、博士、冷や汗をかく


「これは陛下」

「いやいや、立たんでもよい。礼なんぞ、歓迎式で十分だ」

「は・・・。」


 外交使節が来たら『歓迎式』というものをやる。ということに、最近はなっておる。

 エスロ博士は、これに出ておる。当然である。

 しかし鬼神は出とらん。緑の側が文官と魔術師ばかりだから、こちらも国王は出さんのである。

 だから、『歓迎式で十分だ』とか言うても、エスロ博士は鬼神にあいさつしとらん。

 しかし鬼神がいらんというのにやるわけにもいかんので、博士、しょうがなく、座る。


「あなたもどうぞ」

「うん。いただきます」

 鬼神が茶を呑み、エスロ博士も茶を呑む。そこで、

「どうだ。うちに来る気になったか?」

 鬼神がいらんことを言うので、エスロ博士、むせた。「げほげほ」

「あなた。それはいけませんと申したではないですか」

「なんでじゃ。博士は、寄付がもらえず、苦労しとるそうじゃないか」

「誰からお聞きになられたのです?」

「いま話しとったのが聞こえたわい。私は、耳がいいのでな」

 鬼神、地獄耳。

 どうやら『聞こえとるぞ』ということを告げるために来たようである。あと、サボり。

「あなた。

 あなたがうかつなことをすれば、エスロ博士は、裏切り者呼ばわりされるのですよ」

「なあに、心配はいらん。他のハイエルフとは、口も利かんからのう」

「いばることではありませんわ」

「博士がやりたいように、パパッと進めれんもんなのか?」

「それが人間の社会というものです、あなた」

 エスロ博士、冷や汗。

 そこへ、今度は巨人の王がやってきた。

「お揃いじゃな。お邪魔いたしますぞ、陛下」

「おお、義父上。どうぞどうぞ。研究のほうはどうです?」

「それはもう、まことにエスロ博士のおかげをもってじゃ。よい人材を引き抜いてくれた」

 エスロ博士はまた茶でむせた。

「いけませんぞ、義父上。そういうことはいかんのだ。人間の社会というものはな」

「まあ、あなたったら」

「わっはっは。いまのは冗談じゃからして、心配はいらんぞ。

 エスロ博士の立場は考えておる。ちゃあんと『技術交流』という名目を立て、取り決めもしてあるのじゃ。

 早速じゃが、今日も頼むぞ、エスロ博士」

「はい、工房長閣下」


 巨人の王はこのところ『工房長』と名乗っておる。

 鬼神が国王なのに、自分が『巨人の王』ではまずかろうという、巨人の王らしい配慮であった。

 まあ態度はぞんざいなままであるが。


 工房長とエスロ殿は連れ立って出てゆく。

「博士は大人気だのう。おまえにももてるし、義父上にももてるし」

「あら、珍しい」目がひとつしかない妻は笑った。「嫉妬ですか、あなた」

「ちがうわい」

 鬼神も笑った。

「どうやら、緑の魔術の国、私がぶん殴って倒すというわけにもいかんようだな、と思うたのだ」

「まあ。そんなつもりでいらしたのですか」

「うむ。最後の最後には、ぶん殴れば済むだろうと思うておった」

 目がひとつしかない妻は笑った。「あなたは本当に軍神でいらっしゃいますね」

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