第19話「休息」

インゲルス山脈へ続く道を一心に歩んでいた。


 道の両側を挟む森は山脈に近づくにつれて、勢いを増していき、道に差し込む光さえ奪っていく。


 樹々の隙間から垣間見える森の奥は闇に包まれている。

 聴覚だけが頼りだ。

 その聴覚が感知する情報は樹々の間をすり抜けていく風が奏でる葉音、山脈から響く雷鳴ぐらいか。


 風が樹々の隙間から吹き過ぎていく。

 一瞬だけ遠方から苦し悶える声が聞こえた気がした。



 それを気のせいだと判断して歩き続ける。


 と、しばらくして一つの光景に目を細めた。


 

 樹々の間から木造でできた建物を瞳に映したのだ。

 築年数はかなり経ち、外壁は経年から色褪せて、木材で何度も修繕された跡が残されている。


 とても綺麗とは言えない見栄みばえで、見窄みすぼらしいといえる。


 そのような建物は、一つでは無い。

 複数の建物が密集しており、小さな集落らしきものが形成されていた。


 だが、この光景に疑問が生じる。


 取り出した地図のどこに目を通しても、この集落の存在は記載されていないからだ。人の気配も微塵も感じられない為、閑散とした雰囲気が集落を取り巻いている。


 「何だ?この集落…。ただの廃村か?」


 思わず思っていた事が口に漏れた。


 疑問に思うと、近くまで足を進める。

 そして、集落の様子が次第に明らかになると、一つの事に気がついた。


 集落の周囲の木の幹には、淡い光を放つ結晶灯が取り付けられていた。

 恐らくこれは魔獣避けで間違い無いだろう。


 この結晶灯は長い時間をかけて精霊の力が宿った結晶である、精結晶鉱せいけっしょうこうに魔力を流し込む事で発光するが、魔獣はこの神聖な光を嫌う。

 その為、魔獣避けとしてこの世界では定着している。


 ロンド村でも、設置されていたが精結晶鉱が不足していた為にアルカンの湖方面に向けた狭範囲にしか設置されなかった。


 しかし、その効果は永続する訳では無く、適度に結晶を交換する必要がある。


(この結晶灯がまだ機能しているということは、まだ人がいるのか?)


 そこで、一つの仮説を脳裏に組み立てる。


 それを確証へと移す為に、ある一つの建物の入り口に足を運んだ。


 恐らく、以前は酒場だったと思われる建物だ。

 入口は西部劇に出てくるように開放的。

 胸元の高さまで上がった扉が正面に構えている。


 扉の前にある僅かな段差を一足で超えた。

 そして、掌を添えるように扉を開いた。


 しかし、視界に映ったカウンターや、テーブルに人の影は見当たらない。


 明かりも灯っておらず、暗闇に支配されている。

 人々は最近、この集落を後にしたのだろうか。 


 思考を巡らすが、その前に少し疲れを養おうと考える。


 そこで、おんぶしていたアマリアを暗い店内の一番手前にある長椅子にゆっくりと寝かせる。


 そして荷物を床に置いて、丸いテーブル席の椅子に腰を掛けた。


 軋む音と共に腰を掛けると重くなる瞼に気付きつつ、意識は深い無の中に沈んでいった。




 しかし、暗い海に浮かぶような意識に微かな言葉が脳裏に流れて来る。




『原……魂……さ…しい器…解………覚…よ』




 途切れ途切れでまともに言葉の意味を理解する事が出来ない。夢でよくある事だが、話の会話が支離破滅してる時の感覚だ。


 しかし、それは何か意思を持っているように感じられた。



(――んん、なんだ…?何かを訴えてるのか…?)





「―――おい。兄ちゃん」




 突如、深い意識の中にしわれた低い男の声が流れ込んでくる。


 ふと、意識が覚醒した。

 椅子に腰を掛けると同時に眠ってしまったようだ。

 慌てて周囲に視線を向けると声の主が視線を浴びせていた。


 長い黒髪の毛を後ろに束ね、顎には無性髭をした筋肉質な中年の男だ。


 その男は瞳に安堵の色を見せると再び話し掛けてきた。


「よお。起きたか。お前ら全く起きねえもんだから死んでるかと思ったぞ?」


「あぁ、すみません。勝手に上がり込んで」


「気にするな。うなされて汗も出してたぞ?見た感じえらい疲れてる様子だしな。旅人か?そっちの嬢ちゃんは魔法使いらしいが」


「ええ、そうです」


 汗を出していた事に驚きつつも服の袖で拭った。


 言葉を返された男は席から離れ、カウンターの方へゆっくりと歩き出した。

 そして、手に二つの水の入ったコップを持って戻ってくる。


「ほれ。喉渇いてんだろ?飲め」


「あ、ありがとうございます」


 そして男は短い短髪の美少女、アマリアに視線を移す。


「そっちの可愛い嬢ちゃんは相変わらず、ずっと寝てる様だがそんなに疲れてるのか?」


「―――。」


 喉に言葉が詰まった。

 「疲れている」と言う言葉で簡単に済ませられる状態では無い様に感じたからだ。


 アルタイルは瞳を曇らせると、水の入ったコップに視線を落とす。


「どうした?何かあったのか?」


 男は、アルタイルの表情から事態の深刻さを予感した。


「実は、ここに来る道中で炎赤龍と遭遇したんです。その時に自分の非力さでアマリアに無理をさせてしまって…」


 その問い掛けに静かに喉を震わせる。


「炎赤龍!?この近くで出現したのか!?あいつらは火山帯に分布する上位龍種だぞ?」


 男は目を大きく開いて驚愕した声を響かせた。


 男の言うように炎赤龍は火山帯に多く分布している。

 この地域の環境では、出現する事は滅多にない。

 疑問は残るが、実際に出没したのは抗えない事実だった。


 男は顎に手をさすると、逡巡した後に口を開いた。


「つまり、そのアマリアって言うは炎赤龍との戦闘で魔力を消耗したのか?」


 首を縦に振り、コップを口の前まで運ぶ。

 そして喉に水を流し込んだ。


「今生きてるってことは…倒したのか?」


「ええ、アマリアと力を合わせてなんとか…」


「凄いな!聖王国の手練れた魔術師数人でさえ、苦戦する程の大物だぞ…。そのは、オドまで消費していなければいいがな…」


 生命を維持するエネルギーであるオドの枯渇は、その者の死を意味する。アマリアは息をしている為、オドは枯渇していない様だが、危険な状態には違いないだろう。


 このまま、生命の維持にオドを消費し続ければ、死を迎えるかもしれない。


「――ところであなたの名前は?」


 今まで話していた男の事に疑問を抱き、質問を投げる。


「あぁ、すまんすまん。俺はネイサン・パウエル。この酒場のオーナーだ」


「そうでしたか。俺はアルタイル・オリヴァーです。ここは今も営業してるんですか?」


「オリヴァー?聞いた事あるような…。――おっと、すまん。営業はしてる。だが、ご覧の通り客なんておらんがな」


 一瞬、疑問をていした顔から柔らかい表情を作ると自嘲気味にネイサンは答えた。


「何か続ける理由はあるんですか?」


「おっと、鋭い所をついてくるなぁ、兄ちゃん。まあ、これは俺の意地みたいなもんだな」


「意地?」


「ああ、少し昔まではこの道がグレイス聖王国王都へ向かう主なルートだったんだ。だが、新しい道がここから西の方に出来ちまってな。そっちの方が山脈の中央を避けれて安全だとか言って、向こうに通行人が流れていったんだ」


(なるほど。俺が転生してきた頃に王都へ連れて行かれた道はそっちだったか)


 脳内で引っ掛かっていた疑問が解決した。

 その思考を裏にネイサンは話を続ける。


「――で、ご覧の通り、通行人で成り立っていたこの町も廃れていったって訳だ。だが、未だに俺はこの道を通る僅かな旅人をもてなしてる。今更ここを去るみたいに、逃げるような事はしたくないんだ」


「その考えはかっこいいですね。現に今、自分はこうしてお世話になってる訳ですし」


「ハハハッ、言ってくれるね。こっちも続ける甲斐があるってもんさ」


「ところで、他の住人はどこに行ったんですか?」


「――ん?皆、この町を捨てた。儲からないとかほざいてな」


 ネイサンの瞳が一瞬、輝きを失った事に気付いた。

 そんなネイサンに向けて呟く。


「辛い、ですね」



 暫くの沈黙の後、オッドアイの男から聞いた一つの可能性について思い出す。


 それをネイサンに尋ねようと視線を交差させて尋ねる。


「そういえば、ここに来る途中で、インゲルス山脈にはマナを回復させる湖があると聞いたんですが、詳しい事を知っていますか?」


 ネイサンは質問を聞くと、瞑目しながら再び顎を掌でさする。そして、アルタイル達が座っているテーブル席へ腰を下ろすと、低い口調で答えた。


「以前ここを通った通行人からその話は聞いた事がある。だが、本当に実在するかは保証出来ん。詳しい情報も持っていないしな。山脈は通るだけでも危険が伴う。山脈内を通過する以外のことをする余裕がある者は少ないんだ」


「そうですか…」


 肩を落とすと、深い眠りにつくアマリアに視線を送った。


 アマリアとは、会ってまだ時間が経っていない。

 とは言え、命を救ってくれたのだ。

 必ず救いたい。


 心の中はその思いが溢れていた。


「――おっ、そうだ。あれを持っていけ」


 沈黙していると、ネイサンは声を発する。

 すると、椅子から腰を上げてカウンターの奥に姿を消した。


 再び姿を現すと手には巻かれた紙らしき物を携えてた。


 こちらの席に戻ってくると、その紙をテーブルの上に広げる。


「――これは?」


「インゲルス山脈の地図だ。お前の持っている拡大率の低い地図じゃ、山脈内で役に立たんだろ」


 ネイサンの言う通り、こちらの所持する地図はグレイス聖王国王都とロンド村までを含む広大な範囲を記した地図だ。

 山脈の地帯は小さく略されており、役に立たない。


「ありがとうございます!とても助かります」


 感謝の言葉を並べ、その場で頭を下げた。


「俺も兄ちゃんみたいに若い頃はインゲルス山脈を探検した事があるんだが、あそこは魔物の巣窟だ。何度命を落としかけたか。だから、インゲルス山脈に向かおうとする兄ちゃんを見てると若い頃を思い出してな。兄ちゃんには頑張ってほしい」


 ネイサンは、太い腕を眼前に差し出して来る。

 そこには掌が開かれている。

 それに応えてこちらも掌を差し出した。

 互いに硬い握手を交わしたのだ。


「その嬢ちゃんを今度はお前が救ってやれ」


「わかりました」


 握手を解くと、椅子から腰を上げて出発する準備を始める。


 床に置いていた荷物を拾い上げると前に背負い、横になっているアマリアは優しく自分の腰に乗せた。


 準備が整い、ネイサンともう一度、顔を合わす。

 別れの挨拶を述べるためだ。


「それでは、もう出発したいと思います。色々とお気遣いありがとうございました」


「もう暗いが、本当に大丈夫か?」


「はい、時間に余裕が無いので」


「そうか。無事を願っているぞ」


 柔らかい表情を見せて視線を扉の方へ向ける。

 そして、床を軋ませながら足を進め、扉に手を添えた。


「―――あ、そうだ」


 そこで、ネイサンが何かを思い出したかのように声を発した。


 その声に反応して、後ろを振り返る。

 すると、ネイサンは一つの事を付け加えた。


「結構前の事であまり覚えていないんだが、山脈内で不思議な女と出会ったんだ。その女が何か意味深なことを言ってたんだ…」


 ネイサンは瞑目して、眉間に皺を作りながら低い声を絞り出した。


「『天と地は同じ所にある』だったか…?」



(――天と地は同じ所にある…?何だそれ。謎々か?)


 

 その言葉の意味を処理出来ずに首を傾げるが、記憶の片隅に留めておいた。


「何か役に立つかもしれません。覚えておきます。では」


「ああ、曖昧ですまん。――達者でな」


 視線を戻して扉を押すと、屋外の光量は来た時と比べて10分の1くらいに減っていた。

 6時間は寝ていたのだろうか。

 空は分厚い雲が覆っており青い空も覗けないが、夕暮れ時だろう。


 そんな事をぼんやりと思考しながら、町を離れた。


 インゲルス山脈はもう目前だ。

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