亀裂から溢れ出す悪 10

「瀬那さん、大丈夫ですか?」


 亜美の声が耳元で聞こえる。


「どうなったんだ……」

「私のヴィジョンを使いました」


 亜美は瀬那へと覆い被さる形になっている。亜美の吐息が間近に伝わり、体同士が密着していた。

 亜美はコミュネクトを取り出し明かりをつける。亜美の背には落ちてきた天井がすぐ後ろにあった。


「胸の辺りが苦しいな」

「ご、ごめんなさい。私の胸が押しつけられてるせいですよね」

「あ、いや……気にしないでくれ」


 油断できる状況ではないのに天井の落下を回避できたことで安心してしまったせいか、亜美の胸が当たっているのを意識してしまって瀬那の思考はまとまらなかった。

 しかし、状況はあまり芳しくはない。何とか外へでなければボスは追いかけられないのだ。


「瀬那さん、手の方は大丈夫ですか?」

「痛いけどなんとかな」


 瀬那は怪我をした手に意識を向けると、手に何かが巻き付いてるのがわかった。


「手に何かをしたか?」

「ハンカチを巻いてます。でも、血はすぐに止まりそうにないですよね」

「いや、助かったよ。少し楽な気がする」


 痛み自体は収まっていない。慣れというべきか貫かれてすぐよりも痛みは強くないが動かそうとすると激痛が走るのは変わりない。

 このままボスを追いかけても倒せるかはわからない。死んだと思わせた方がいいのか、そんな後ろ向きな考えが浮かんでしまう。


「裏口と表、どっちにでますか?」

「奴を追いかけるなら裏口だけど、この状況をどうにかしなきゃな」

「それはなんとかなります。私のヴィジョンは触れた物質を伸ばすことができるんです。だから、床を下へと伸ばし移動できる空間を作れます」

「そんな便利なヴィジョンを持ってたのか」

「まさかこんな風に役に立つなんて思ってませんでしたけどね」


 ならば、瀬那は追いかける方を選択した。いまならまだ間に合う。裏口に出てシールを確認し、それをグングニルかイージス、警察でもなんでもいい。知らせたあとにボスを追いかける。

 時間があるのなら鍵音のとこによって治療をしてもらうという選択もある。まずは抜け出すことだ。


 亜美に道を作ってもらいながら瀬那は問いかけた。


「どうしてここってわかったんだ?」

「鍵音さんに聞いたんです。やっぱり瀬那さんだけに任せるのは違うって思って」

「鍵音はあっさり教えたのか?」

「私のヴィジョンを聞いて戦う覚悟を聞かれました」

「なんて答えたんだ?」

「誰かが代わりに傷つくのは嫌だって。そしたら、鍵音さんはここを教えてくれました」


 瀬那は鍵音の行動に小さく笑った。最初から鍵音は瀬那が一人で向かってしまうことをわかっていたのだ。協力者など用意せず、全て一人で背負い込もうとした瀬那では組織に返り討ちにされるかもしれない。亜美のヴィジョンならば何かに使える。そして、亜美の覚悟を見て瀬那の下に向かわせたのだ。

 亜美は小柄で子どもに間違われてもおかしくない。なのに、胸に秘める覚悟はそんじょそこらの大人を圧倒するものがある。瀬那は亜美の姿をみて、謝罪しなければと思った。


「ごめん。俺は亜美のことを軽んじてた。もっと、弱い人間かと」

「こんな体型ですから。でも、わかってくれて嬉しいです。いや、瀬那さんのおかげでこうなれたってのもあります」

「俺のおかげ?」

「瀬那さんってどこか不器用で、あんなに簡単に人助けしてくれるなんてちょっとおかしいなって思ってました」

「ま、まぁ否定はしない」

「あ、いや。責めてるわけじゃないんです。でも、その不器用さがとても魅力というか、信念みたいなものをしっかりもって、ただの善意だけで動いてるんじゃないんだなって思うと人間味が溢れてる感じがして信用できたんです」


 瀬那の人助けは時にいきすぎていることもある。本来、グングニルのような組織が解決することにも手をだし、解決してしまうことだってある。

 自身の強い信念に突き動かされ、それを瀬那自身理解し、最善であると思っている。

 かつての苦い経験を払拭する意味も少なからずあったが、人助けによっていろんな人が笑顔になることに喜びも感じている。


「あの、不躾な質問なんですけど。瀬那さんは何を目指してるんですか?」


 世界平和、なんて答えるつもりは毛頭なかった。瀬那はあくまで手の届く範囲で手助けをしているだけで、ヒーローのような正義感があるわけでもない。

 しかし、常々考えていたことがあった。


「理不尽に巻き込まれる人たちを少しでも助けられたらなって。願望みたいなのはある。……青いな」


 ボスの言葉が瀬那に突き刺さる。

 信念はあれど大義はない。戦えるヴィジョンで戦いに身を投じ、結果的に場を荒らしただけになってしまったいまの状況を愁いた。

  

「青くていいじゃないですか。その青さは時間と共に熟していきます。いまはまだ青くていいんです」

「でも、亜美を巻き込んでしまった」

「私がここへ来たんです。私が来たくて来たんです。それ以上でもそれ以下でもない。ある意味これもめぐりあわせです。きっとこれは、私の試練なんです。成長するための」


 亜美は見た目こそ子どものようだがその精神は確かに瀬那よりも強く気高いものがあった。その姿は瀬那に勇気を与える。

 壁や床を伸ばし突き進む背中を見て、瀬那は再び自分は青いと自覚しつつも、青いなりに頑張ってやろうと、奴を倒してやると熱意を燃やした。


「外に出られますよ!」


 扉を開けて裏口へと出ることができた。

 すぐにでもボスを追いかけようとしたがその必要はなくなる。なぜなら、ボスはCLUBの後ろにある建物の壁に背を預け、瀬那たちが出てくるのを待っていたのだ。


「やはり出てきたか」

「探す手間が省けたぜ」

「この俺が直々に息の根を止めてやる。かかってこい」

「あんたの野望もここまでだ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る