第一章 魔法大国ヴァーレンハイト
第1話 戻ったら死ぬ地球と優雅な皇女生活
それから一ヶ月、結衣は恙無く皇女アイリス擬態生活を送っている。
異世界の別人なんてどうしたらいいの不安だったが、やってみると思いの外困らなかった。
その理由は三つあり、一つ目はアイリス自身が外出を良しとされていなかった事だ。
城の中枢以外の人間は式典で遠目に見るだけで、性格や知識のほどは知らないため初対面でも偽物だとは疑われない。
二つ目は、お付きの者が多い事だ。
日常生活全般は侍女が行い来客など外部との対応は執事が担当する。外出が必要な用事は騎士が代行してくれるので、全てが「ちょっとお願い」で終わるのだ。
この中で結衣――アイリスの身の回りの世話を一手に担うのがメイリン・レイという侍女だ。
「お召替えのご用意が整いましたよ。まずは湯浴みなさって下さい」
「また新しいドレス?一昨日の黄色いドレスがいいな。あれ可愛かった」
「まあ!皇女殿下がドレスを着回すなんてとんでもない!」
彼女は十年以上アイリスに使える皇女専属の侍女で、まだ二十五歳くらいのようだが全ての侍女を統べる侍女長でもある、
メイリンはいつも笑顔で優しく付きっ切りで傍にいてくれる。
アイリスに仕える事を喜びに感じているのが良く分かるが、そんなメイリンでさえ目の前にいるアイリスが異界人の擬態だとは気付きもしない。他の誰もがアイリスに見えているようで、皆一様に『ヴァーレンハイト皇国皇族特有の黄金に輝く月のような瞳に、腰まであるウェーブの深紅の髪はまるで炎が燃え盛るよう』と語る。
だが不思議な事に、結衣自身は本来の姿に見えている。鎖骨あたりまである黒髪に黒目という日本人の姿のままだし、鏡に映るのも結衣本人だ。
(生まれ変わったとか憑依したって事じゃないんだよね)
そして異世界人である事を疑われない最大の理由は言葉だった。
異世界だというのに皆一様に日本語を喋るのだ。
だが彼らが喋っているのは恐らく日本語ではない。こちらの言語が自動翻訳されているのだと結衣は思っている。
その理由は口の動きだ。口の動きと聞こえてくる音、言葉の長さが合わない事が多い。基本的に翻訳された日本語の方が短いようで、しばらく相手の口がぱくぱくしてるのを眺める事になる。そしてその間は何の音も聞こえてこない。
この自動翻訳は文字にも発生する。
こちらの世界はぐにょぐにょとした記号のようは文字を使うのだが、これの意味が分かるのだ。
例えば『~・L』のような記号は日本語の『あ』を意味している事が分かる。
おかげでコミュニケーションには困らないが、一つだけ問題があった。
結衣はアイリスどころか、この世界の常識を何も知らないのだ。皇女としてどころか一般生活の知識すらない。
しかもアイリスは失踪して戻って来たというのに、失踪中どこで何をしていたのかの説明もできない。
これでは別人を疑われるのは時間の問題だった。
そこで結衣が取った打開策はこれだ。
「記憶喪失になんてなったせいでメイリンには迷惑かけてるわよね」
「何をおっしゃいますか。アイリス様のお役に立てる事こそ私の喜びです」
結衣は記憶喪失だという事にしたのだ。
自分が誰で何をしていたかも何も分からない、答えられない事が正解である状況にした。
そして有難い事に皇王始め全員が「何と可哀そうなアイリス様」に着地してくれている。それでも皇女がここに居る事に意味があるようで、さして追及される事はなかった。
こうして結衣は優雅な皇女の座を守り抜く事に成功し、そこで一つの決定を下した。
(地球に戻らないためにも、地球に戻っちゃう方法を把握しなきゃ)
結衣は地球には戻らずこの世界で生きる決意をした。
理由は簡単だ。地球に戻れても死ぬからである。絶対に死なない事を確約されたとしても、やったぁ!帰ろう!とはならない。
何しろUNCLAMPの死は壮絶だ。骨と肉が消えていくのは痛みも意識もあるようで、終始悲鳴を上げて死待つのみ。これは一瞬で終わる人間もいれば体格が大きければ丸一日かかる人間もいる。
イチかバチか帰ってみるなんてできるわけがない。
(地球になんて戻るもんか)
*
『地球に戻らないために、地球に戻る方法を把握する』
そう掲げたのは良いが、この世界の事を何も知らない結衣は具体的に何を調べたらいいのか見当もつかなかった。
しかも皇女は行動可能範囲が極端に狭いから調べまわる事がまず難しい。許されている自由行動範囲は、自室と専用バスルーム、専用空中庭園。以上である。
メイリンが一緒なら城内の庭園や侍女達の部屋に連れて行ってくれるけれど、それも日常生活に必要な最低限に限られる。
(でも世界間移動をする魔法を調べたい。となると魔法兵団に行かないといけないし……)
ヴァーレンハイト皇国の中で全ての頂点に立つのが魔法兵団だ。
軍事国家ではないが最も重要な活躍の場が軍事のため兵団と名付けられいてる。その中には研究所もあり、いわゆる研究者も存在するのだ。
おそらく最も有益な情報を持っていると思われるが、皇王からNGが出ているようでメイリンは紹介をしてくれない。
そのためメイリンの目を盗んで会いに行く必要があるのだが、そうそう結衣の傍を離れる事は無い。
それでも一日一回だけ傍を離れる時がある。それが侍女の申し送りだ。
城の侍女百数十名を束ねる侍女長であるメイリンの申し送りは軽く見積もっても一時間半はかかる。
「では行ってまいりますので大人しくなさっていて下さいね」
「もちろんよ。行ってらっしゃい!」
笑顔でメイリンに手を振ると、結衣はここぞとばかりにテラスへ出た。
「非常用階段は非常時じゃなくても使えるのよ」
皇女の部屋に避難経路が無いわけが無い。
初日にメイリンが緊急時の説明をしてくれたのでしっかり把握済みだ。結衣は足早に非常階段を下りた。
テラスから非常時用の螺旋階段を降りて、じいっと周囲を警戒した。
警備と侍女が数名歩いていて、特に兵団への通路はガッチリと騎士が封鎖している。
(さすがに騎士に喧嘩売ったらまずいわよね)
多少ならどうしても散歩したくて、くらいで言い逃れもできるだろう。
けれどいきなり兵団へ乗り込んで捕まったら部屋からも出れなくなるかもしれないし、正面突破は得策ではない。
それにもしかしたら兵団以外にも魔法に詳しい人間がいるかもしれないなと、とりあえず「散歩したくて」で許される場所へ行ってみる事にした。
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