エルベルトがクラウディアを見かけたのは、初等部に入学してしばらく経ってからのことである。

 次期辺境伯として日々鍛錬を行っていたエルベルトは、騎士志望の少年たちの憧れの的であり、王都の流行を知らずとも、普通にやっていけた。

 その日も皆で厩舎で馬の世話に行こうという話をしていた。馬は人を見る。子供であったら脅えを見抜かれたら最後、言うことを聞いてもらえないおそれもあるために、定期的に厩舎に出かけて馬に慣れ、乗馬の授業がはじまった頃には馬に脅えを見せないようにという練習であった。

 皆で厩舎に向かっている中。

 バタンッという大きな音が響き渡った。皆で振り返ると、栗色の長く真っ直ぐな髪の少女が、肩を大きく怒らせていた。翠色の瞳は怒りで燃えている。彼女が振り上げているのは分厚い本だ。そして彼女が見下ろしているのは、王都の有名人……というか王族の少年であった。


「うるさい! ゆうれいなんて知らない! わたしたちはにんげんだ!」


 そう大きな声で怒鳴り声を上げた。

 それをポカンとエルベルトは眺めていた。


「あの子は?」

「あー……たしか、となりのクラスのパニアグアの……どっちだろう」

「どっちだろうって」

「ふたごなんだよ。パニアグア姉妹って、入学してからかなり名が売れてたのに知らなかったのか?」

「ぜんぜん」

「あはは……エルベルトは武道ひとすじだもんなあ……」


 実際に隣のクラスの話なんて、知らなくても生きていけるために特に気にしたことがなかった。友達のひとりは教えてくれた。


「『トッペルゲンガー紳士』って話がはやってたんだよ。王都だったら、だれでも知ってるってくらいに有名な話」

「おれは知らんぞ?」

「エルベルトはこうはだもんなあ……つづき。おなじ顔の紳士が王都で起こる事件をかいけつするって話だけど、それがはやっているところで、あのふたりが入学してきたんだよな。それでまあ……トッペルゲンガーって毎日言われ続けてたんだよ。毎日毎日からかわれてたら、そりゃおこる」

「そうか」


 肩を怒らせて王族の少年を見下ろしていたパニアグアの少女の隣で、全く同じ容姿の少女がしくしくと泣いていた。あれだけ似通った顔をしていても、浮かべる表情が真逆だったことに、少しだけエルベルトは驚いた。

 やがて騒ぎを聞きつけて、教師に連行されていくのをしばらく眺めていた。

 エルベルトからしてみれば、王都出身の令嬢たちは静かなものだった。実際のところ、彼女たちはお手洗いや水飲み場で談笑しているのを見るが、エルベルトが通りかかるとさっと逃げるのだ。どうも彼女たちからしてみれば、辺境から来た人間が粗野で下品に見えるらしい。

 そんな態度ばかり取られていたせいで、エルベルトは王都の令嬢というものに対していい気はしなかったが。

 王族に立ち向かっていった少女はずいぶんと美しく見えたのだった。

 思えば、これはエルベルトの初恋でありひと目惚れだったのだが、それに気付くまでには中等部まで待たなければならなかった。

 彼が中等部に上がる直前、両親から話をされた。


「そろそろお前にも婚約者を宛がわなければならないのだけれど、学院にいいお嬢さんはいたかい?」


 辺境伯領にまで連れ帰らなければならないのだから、条件としては紛争地帯で生活できるような胆力がある女性でなければならなかった。

 そんなに毎日戦争をしている訳ではないが、隣国と小競り合いがはじまったら、辺境伯が数日留守にしなければならず、その間屋敷の世話や使用人たちの管理、領民たちをなだめすかすのは女主人の役目である。

 いくら花嫁修業を積んでいようと、王都で華やかな平和な生活を送っているような令嬢ではいささか荷が重く、さりとて各領主の娘であったら、土地や爵位を婿を取って継がなければならない場合も多いために、婚約者捜しは難航しそうに思えたが。

 エルベルトの頭に浮かんだのは、初等学校時代に一度だけ見かけた栗色の髪の少女であった。


「……パニアグアの」

「パニアグア? ああ……あの薬草で有名な子爵領の」

「あそこは双子だから、ひとりくらいこちらに呼んでも問題ないと思う」

「ああ! ならばすぐに連絡を!」


 父は喜んで連絡をしてくれたが、このときエルベルトは致命的なミスを犯していることを知らなかった。

 ……彼はパニアグア子爵の子供は、双子の姉妹を除いてはいないということを、この時点では知らなかったのである。

 やがて、一度顔合わせの席を設けられ、一度パニアグア子爵領に出かけていったのだが。

 そこで顔合わせの席で出会った少女の顔を見て、ようやくエルベルトは間違えたということに気付いた。

 彼女は心底脅えきった顔をして、ほとんど視線を合わせることができなかった。控えめと言えば聞こえがいいが、どちらかというと怖がりとかあがり症とかいう類のものであった。


「……あ、あのう」

「なんだ」

「……わ、私たち、婚約するんですよね……その、結婚したら、辺境伯領に行かなければならないんですよね……」

「そうなるな」


 彼女は脅えながらも、なにかを言おうとしているが、どうにも要領を得なかった。

 エルベルトはどうしたものかと考えてしまった。彼女はたしかに同じ髪の色、同じ瞳の色をしているが、態度が全然違うのだ。

 しかし父の手前、「間違えた」と言い出すこともできなかった上、目の前の暫定婚約者から、とんでもないことを言われてしまった。


「……あの、もし結婚した場合、お姉様に会いに行くのは、駄目でしょうか…………?」

「お姉様に会いに? どこに?」

「あ、ここにです。お姉様……既に婚約なさってますので……我が家に婿を取って、後を継ぐんです」


 そこでようやく、エルベルトは自身の胸が軋んだことに気付いた。


(そうか……俺が惚れていたのは、姉のほうか……)


 長い髪を靡かせ、おっとりとたおやかにしているのが目の前の婚約者……クリスティナであった。彼女のようなたたずまいは、王都であったらさぞ深窓の令嬢として持てはやされていただろうが、残念ながらその王都風が理解できないエルベルトには、風が吹いたら折れそうにしか見えなかった。

 風が吹いても真っ直ぐに立っているのは、あのときに王族に手を挙げた姉のほうであった。

 少しだけがっかりした顔で、父と共に帰ろうとした中。


「クリス、顔合わせはどうだった?」


 先程顔合わせを行った中庭に、誰かがやってきたのが見えた。

 そこでエルベルトは目を奪われた。

 記憶の中の肩を怒らせていた少女は、美しく羽化していた。

 長く真っ直ぐな髪を、彼女はひとつにまとめて編み上げていた。首元が涼しげで、彼女が姿勢良く立つ際に背中の美しさをより強調させているようだった。


「……私、緊張してしまって、上手く話せませんでした」

「婚約者と会うことなんて、きっと誰だってそういうことなんだわ。私だって全然上手く話せなかったもの」

「そんなことありませんよ。お姉様は立派だったと思います」


 ふたりで笑いながらしゃべっていると、似ているのに違う花がそれぞれ咲いているように見える。

 先程までしゃべっていたクリスティナの周りには、白くふんわりとした八重咲きのカーネーションが咲いているように思えるのに対し。

 彼女としゃべっているクラウディアの周りには、おおらかな大輪を、真っ直ぐな姿勢で誇る白百合が見えるのだ。


(……もう、婚約しているんだったな)


 そうひどく残念に思っていた。

 彼女とはクラスも離れているし、取っている授業も違う。合同授業ですら会うこともないだろうと高を括って、どうにか初恋を忘れようとしていたが。

 同じクラスであるクリスティナのふりをして、たびたびクラウディアが教室に訪れていることに気付いた。

 最初は「見間違えだろう」と思って、なかったことにしていたし、実際に教師すらクラウディアがクリスティナの代わりに授業に出ていることを指摘すらしなかったが。彼女はクリスティナのふりをしているものの、彼女はなにかあったらすぐに視線を反らすというのに、彼女は人を射貫くような目で真っ直ぐに見る。よくも悪くも素直が過ぎて、彼女は腹芸ができないことに気付いた。

 彼女と婚約しているセシリオは、王都の中でも有数の貴族であり、処世術が上手い性質なため、彼に任せていれば彼女は腹芸をせずともよかったが。直情的が過ぎる彼女は、セシリオとは上手くやっていないとは、友達から聞いた。

 そして、そのセシリオはクリスティナに優しいことは、遠くから眺めていてなんとなく察していた。


 直情的が過ぎて、腹芸をせねばならない当主に向いていないクラウディア。

 勉強が好きで、本当だったら辺境伯領に行くよりも大学部に行きたいクリスティナ。

 そして馬が合う婚約者が真逆。


(……なんだ、それ。我慢する必要、なくないか?)


 そのことに、エルベルトは気付いてしまったのである。

 クリスティナのふりをしているクラウディアは、妹の婚約者を見張る名目でなにかにつけて声をかけてくるが、それはセシリオに色目を使ってくる令嬢たちとなにが違うのか、エルベルトにはわからなかった。これが他の令嬢であればもっとぞんざいに扱っていただろうが、エルベルトはとことんクラウディアには甘かった。しかし情緒の育っていない彼女は、恋がわかってはいないようだった。

 彼女の恋が育つのを待とうかとも思っていたが。彼女が泣いているのを見て、それも止めた。

 惚れた女の泣き顔には、淡泊を気取っていた彼も弱かったのである。


「クラウディアを俺にくれ」

「………………はあ?」「………………はい?」


 それで全て丸く治まると、そう考えたのだった。

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