クラウディアが難儀ながらもエルベルトをダンスの授業に連れ戻すのに成功した頃。

 お腹を壊していたクリスティナは、寮母のつくってくれたパン粥とハーブティーでやっと起き上がれるくらいには回復していた。

 クリスティナはとにかくストレスに弱く、正直王都で姉以外に頼れる人がいない環境で生活するのに難を示している上に、王都の社交界と縁遠い家系なために、果たしてここで人脈をつくることのなにがそこまで花嫁修業の訳に立つのかがわからずに困り果てていた。


(……お姉様にずっと頼ってばかりもいけないのだけれど)


 体をすぐに壊すせいで、はっきり言って出席日数がギリギリ過ぎるクリスティナは、クラウディアに授業を出てもらっていることに後ろめたさを覚えつつ、溜息をついた。

 本当ならば普通に教室に出て、普通に授業を受けたい。何故か王都出身の令嬢は、田舎者だと常識がないと、一挙一動をあげつらっては嘲笑をしてきて、そのたびにクリスティナの臓腑はキシキシと痛み、悲鳴を上げる。

 こんなことで、嫁入りができるんだろうかと正直溜息をついた。

 彼女の婚約者であるエルベルトとは、中等部に上がる頃に初めてまともに顔合わせをしたものの、ひどく淡泊な顔つきに物言いの彼とまともにしゃべることができず、クリスティナは苦手意識を募らせていって、卒業間際で嫁入り間際になった今でも、月に一度話ができればいいほうだった。

 ……そのほとんどは、天気の話ばかりで、まともな会話にすらならなかったのだが。

 当主の座を継ぐ姉の重荷になりたくないと思いつつも、クリスティナのストレスの弱さがいつも足を引っ張っていた。

 食事を終え、どうにか姉と交代して、午後からだけでも授業に出ないと。クリスティナはどうにか制服に着替え終え、髪をひっつめ団子にまとめた。クラウディアと会ったら髪型を入れ替えようと思いつつ。

 寮母に食器を返そうと、食堂に向かったとき。


「クラウ、大丈夫かい?」


 その声に、少しだけクリスティナは胸が高鳴った。

 サラサラとした銀色の短い髪を揺らし、碧い瞳には気遣いの色を湛えていた。

 クラウディアの婚約者であるセシリオであった。


「ごきげんよう、セシリオ」


 できる限りクラウディアのように強気を押して声を出すクリスティナに、セシリオは心配そうに寄った。


「最近、君はよく倒れるね。冬の間は妹さんが倒れてばかりだったと思うけど、春を過ぎてからは君が倒れてばかりだ……卒業前で、緊張しているのかな?」


 セシリオは物腰が柔らかく、気配りの利く人気者であった。その品のよさから、王都出身の令嬢たちからも人気が高かった。

 そのせいでクラウディアはさんざんやっかみと嫌がらせを受けていたのを、クリスティナはしょっちゅう入れ替わっているためによく知っている。

 しかしセシリオが各方面に気配りをするがために、表立ってクラウディアを庇わない。そのことで彼女を怒らせていることも知っていた。


(……セシリオ様は、周りの方々とお姉様がこれ以上ぶつからないように根回ししてくださっているけれど……それがお姉様には優柔不断に見えてしまっているんでしょうね。優しい方だけれど……)


 傍から見ていても、セシリオとクラウディアは噛み合っていないように思えたが、遠方に嫁入りするクリスティナが表立って口にすべき問題でもないために、それを言うことができずにいた。

 しかし彼は、クラウディアが倒れたとなったら寮の共同スペースまでお見舞いに来るし、寮に入って会えない場合は、寮母に頼んで見合いの品を贈っている。彼なりにどうにかクラウディアとの距離を縮めようという努力が見られるのだが、それが頑ななクラウディアの神経を逆撫でしてしまっているようだった。

 正直、ふたりとも優しい性分だと知っているクリスティナからしてみれば、それは歯がゆく見えていた。


「……授業はどうしたの? あなた」

「今は休み時間だから問題ないよ。クラウは午後の授業は?」

「午後からは受けようと思っているの。薬草学の授業だしね」

「うん。君は本当に薬草学が好きだね」


 それにクリスティナは小さく頷いた。

 元々クラウディアが一番力を入れている授業はそれだし、それはクリスティナも同じであった。

 パニアグア子爵領で一番収穫されるものだから、よりよい使用方法の開発や、新しい肥料や殺虫剤の勉強のためにも、基礎教養は重要であった。

 本来、辺境伯領に嫁入りする予定のクリスティナは勉強しなくてもいいものではあったが、彼女の地道にこつこつと行う勉強が好きな性格には、薬草学の授業がよく合っていたのだった。

 そのことはさておいて、クリスティナはセシリオに尋ねた。


「そういうあなたは?」

「僕かい? どの授業も好きだけれど、薬草学が一番性分に合っているしね。それに、婿入り先でも役に立つかもしれないし……本当に大丈夫かい? 体調はもう」


 そう尋ねられて、クリスティナはたじろいだ。

 本当だったら、休み時間中にクラウディアと合流し、入れ替わってそれぞれが授業を受ければそれで終わりだったはずなのに。

 セシリオの好意が今はつらかった。

 しかしクラウディアはセシリオに対して当たりが厳しいが、そういう風に扱って、セシリオの心証を悪くしたくはないし、どうしたものか。

 クリスティナはぐるんぐるんと思考をしたあと、口を開いた。


「ひとりで行けるわ。それに、クリスが寂しがっていると思うから、顔を見せに行かないと」

「クリスは強い人だから、君がそこまで気にかける必要はないと思うよ?」


 そのひと言に、クリスティナはどう答えたものかと止まる。


(これは、私のふりをしているお姉様のことを差しているのかしら? それとも私自身のこと? ……でも、私たちの見分けのつく方なんて、お父様とお母様以外にいらっしゃらないし……エルベルト様もセシリオ様も、私たちの区別がついてないらしいものね)


 しばらく考えてから、クリスティナは答えた。


「それ、あなたの思い込みではなくて? 一面では強くても、一面では脆いものなんだから……先に行くわね」


 そう言い置いてから、できる限りクラウディアのように振る舞おうと、颯爽と歩きはじめた。


****


 校舎近くの中庭で、寮母の用意してくれたサンドイッチを食べているクラウディアを見つけ、クリスティナは走り寄った。


「お姉様……!」

「クリス。もう体は大丈夫なの?」

「朝ゆっくり過ごしましたから、もう午後には出られます。心配おかけしてしまって、大変申し訳ございません」

「いいのよ、別に……はあ」


 クラウディアは手持ちのサンドイッチのかけらを全部口に放り込んでから、クリスティナに尋ねた。


「ねえ、クリス。私たちもうすぐ卒業ね?」

「そうですわね」

「……私、セシリオと上手く行くとは思っていないのよ。だって、あの人私たちが入れ替わっていても、ちっとも気付かないじゃない」

「でもお姉様、それをおっしゃるなら、エルベルト様も、ちっとも私たちの入れ替わりを気付いてらっしゃいませんよ?」

「そうなの……わかっているのよ、私が領地を継がないと駄目だし、そのためには入り婿が必要だって」


 クリスティアはそれを不思議に思った。

 前々からわかっていた話だったが、卒業を意識したがために、気丈なクラウディアがナイーブになってしまっている。

 それにクリスティナは「ええっと」と指で顎を押し上げた。


「……でしたら、しばらくの間入れ替わったままでいますか? 入れ替わって婚約者を見れば、違う側面を見られて、気持ちの折り合いがつくやもしれません。どうせ、私たちの入れ替わりに気付いてないんですから」

「そう……ね」


 クリスティナは小さく頷いた。

 正直、姉が当主を継ぐために誰を選んでもクリスティナにとっては姉を取られるから嫌であったが、彼女が納得するのであったら、それで構わないと思っている。

 そして、ごっこ遊びとしてしばらくの間だけでもセシリオとしゃべる機会が増えるのは嬉しかった。

 どうせ彼とは結婚しないのだから、学院生活の最後の思い出として恋くらいしてみたかったのだった。

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