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「遠い所からご足労頂いて、ご苦労様です」
内原直樹の母、喜代美きよみさんは電話口で聞いたままの穏やかで柔らかい口調と共に丁寧に腰を折った。
「いえ、こちらこそ急な申し出にも関わらず応じて頂きまして、誠に感謝しております」
御神さんが深々とお辞儀するのに少し遅れて慌てて私もそれに倣った。
「どうぞおあがり下さい」
「失礼します」
玄関にあがり、促されるままに私達は和室へと通された。
「お茶を淹れてきますので」
喜代美さんはそう言って一度部屋を出た。そのタイミングを見計らって私は御神さんに声を掛けた。
「かなり、辛そうですね」
「無理もないだろう」
背筋が伸びた佇まいはまだ若々しさを保っているように感じられたが、こけた頬と白髪の目立つ頭髪は、年老いて訪れたものではなく急激な精神的な負担によるものに映った。
愛情を持って育ててきた息子に先立たれる親の心情というのはどれほど辛いものなのか。きっとそれは私の想像を絶する程に辛いものなのだろう。
今から私達はその痛みをほじくりかねない事をするのだ。決して死人を貶めるようなものではないが、息子の死に改めて向き直させる行為は、それだけでも彼女にとって痛みを伴うもののはずだ。それでも痛みを堪え協力してくれた事を考えると、彼女への感謝の念が絶えない。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
急須に入った緑茶からはほんのりと湯気が立ち上っていた。
「この度は、心からお悔やみ申し上げます」
御神さんは再び頭を下げた。何度もこういった場面を経験してきたのだろう。その所作や言葉運びには一つの淀みもなく、それでいて故人を労わり、遺された者への心遣いもある完璧なものだった。
「……直樹に、一体何があったんでしょうか」
当然の疑問。この事件は一旦は通常の事件として取り扱われている。そして今は事件、事故両方の面から捜査をしているという所までしか彼女達には伝えられていない。何故息子が死んだのか、何も分からぬままに宙ぶらりんな状況だけが残っている。せめて真実が分かれば心の落し所もあるだろうが、それすらも許されていないのだ。
だからと言って、息子さんは死人に殺されましただなんて言えるわけもない。そんな事を考えると、事件の解決だけが全てではない事を考えさせられる。
「内原さん」
御神さんは静かに語り掛けた。
「正直に言います。私達はまだ、今回の事が事件なのか事故なのか、確証にすら至っておりません」
「……何も、ですか?」
さすがにこの言葉には喜代美さんの声にも怪訝さが混じった。大丈夫なのかとそわそわした私の気持ちをよそに、御神さんの表情に一切のブレはない。遺族から情報を得るという行為がどれだけ神経を使うものなのか今身をもって体感しているが、下手な言葉が地雷に触れかねないと思うと私は一切口を挟める気がしなかった。
「何もという訳ではございません。むしろ分かってきている事も多いです。ただちゃんと説明出来る段階にはないという状況です」
「少しでも、何か教えて頂く事は難しいのですか?」
「現時点では、不明瞭な部分があまりに多すぎますので」
「そうですか……」
喜代美さんの表情には明らかに落胆の色が見えた。
そうだ。何故彼女が私達の申し出に応じてくれたのか。息子に関して何か知る事が出来るのではないか、そういった期待があったからではないか。
自分の愚かさに今更に気付いた。私は彼女との約束を取り付ける事しか考えていなかった。何故こんな当たり前の事に考えが至らなかったのだ。途端に途轍もない恥ずかしさを覚えた。
「ここ最近で直樹さんから連絡はありましたか?」
しかし御神さんは変わらない調子で彼女に尋ねた。
「他の警察の方にも一度お話しましたが、盆の頃に一度。今年も帰れそうにないと、それだけです。仕事上盆休みが基本ない会社だったもので、毎年の事で今年もかと少し残念に思った程度です」
「特に変わった様子はありませんでしたか?」
「いつも通りだったと思います」
連絡があった時期としては内原直樹が死亡した約三か月前に一度きり。息子と母親という関係性であれば、特に何もなければ連絡もしないだろう。特段頻度が低いという事もないだろう。畑山怜美のような問題がある家庭という訳でもなさそうだ。
少なくとも、直樹が母に連絡を入れた時点で彼自身に、自分の身に死が迫っているという認識はなかったようだ。
「では、少し話を変えます。次沢兼人さん、畑山怜美さん。この二人についてはご存知なんですよね?」
「ええ。聞いた覚えのある名前だと思って私も確認したんですけど、やはり直樹の同級生でした。あの子達も可哀そうに……」
これも御神さんからの指示で私が事前に彼女に確認していた事だった。被害者三人に共通の関係性がないかどうか。その予想は見事に当たっていた。
「同級生というのは、いつ頃の?」
「小中学校です。少なくとも小学生の頃は仲良くしていた記憶があります。付き合いがどれ程続いていたかまでは、さすがに知りませんが」
「なるほど。彼らの他に直樹君が親しくしていた同級生はいますか?」
「後は、そうね……覚えているのは神山君、だったかしら。確かそんな男の子がいました。でも……」
「でも?」
そこで喜代美さんの顔に少し陰が落ちた。あまり口にしたくない内容なのだろうか。
「その子に何かあったんですか?」
御神さんが促すと、しばらくして彼女は口を開いた。
「亡くなったんです。まだ小さかったのに」
「詳しく教えてもらえますか?」
「確か小学校の低学年頃の事だっと思います。学校から家に連絡が入って、詳しい事情は追って伝えますが、クラスで問題が起きたので今日は午後の授業を取りやめて直樹君を家に帰らせますのでお願いしますって。いきなりの連絡だったからよく覚えてます。連絡してきたのは、担任とは別の先生でしたが、声だけでも只ならない事が起きているんだなというのは分かりました。その後直樹は帰ってきたんですが、顔色がものすごく悪くてどうしたのかって聞いたら、”神山君が死んじゃった”って」
「神山君の身に何があったんですか?」
「分かりません……彼が何故死んでしまったのかは、教室内での遊びの中で起きてしまった事故としか説明がなかったので」
「事故、ですか」
「はい。ただ、直樹が言っていた言葉は少し違っていました」
「直樹君は何と?」
「直前まで元気だったのに、急に動かなくなったと。まるで固まったみたいに」
「え?」
思わず私は声を漏らした。御神さんの方を見ると、表情は変わらず静かなものだったが、何かを考えるようにこめかみをとんとんと指で叩いていた。
固まって動かなくなった。事件を追った上でこんな事を聞いたら、誰だって頭の中でこう思うだろう。
同じだ。三人の死に方と。
――何なのよ、これ。
頭がくらくらしてきた。もしこれが繋がっているとすれば、一体事件はどこから始まっているのか。
「当時の事について、詳しく知っている方に心当たりはありますか?」
「目の前で見ていた直樹やクラスメイトなら、当時の状況を知っているかもしれませんが……」
「では、当時の卒業アルバム等残っていますでしょうか?」
「ああ、それならありますよ。少しお待ち頂けますか」
再び喜代美さんは立ち上がり部屋から出ていく。とんとんと階段を登る音が家に響いた。
「あの反応はまずいよ、ゆとり君」
「え?」
「それだよ。君、神山君の死に方を聞いた時に声出したでしょ」
「は、はい」
「何か知ってるんだと思われて、もし彼女に聞かれたらどうするつもりだったんだい? そうなった時に、君は彼女に答えられるかい?」
「すみません、思わず……」
「声をあげたくなる気持ちは分からなくはないけどね。僕も君の意見には同意だよ。無関係とは思えない」
「ですよね」
「彼の死をもう少し探った方が良さそうだね」
これらの死は全て繋がっているのだろうか。やはりこの新潟が全ての始まりなのだろうか。
「お待たせしました」
喜代美さんがアルバムを抱えて部屋へと戻ってきた。
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