第24話

「今まで、よく耐えたね。もう我慢しなくて良いんだよ。スズネちゃんはアナタのお陰で充分しっかりした大人になった。これからはまた、アナタの人生を生きる番。アナタがアナタのしたい事の為に生きて行く。今まで頑張ってスズネちゃんを育て上げたアナタが、アナタ自身に贈るご褒美だよ。アナタが幸福に生きていれば、今度はスズネちゃんから会いに来てくれる。スズネちゃんより幸福になって驚かせてあげようよ。私、なんでも協力するからさ!」

 仮面の下の表情はイヌもキツネも、どちらの様子も分からない。だが口調からして、おそらく穏やかなものだっただろう。

「そうだね。ありがとう、センちゃん。私を呼んでくれた事、嬉しかったわ」

 イヌは自分の仮面に手を伸ばす。そして片手で仮面を外す。両手で仮面を静かに置くと、そのまま刀を手に取った。

「ごめんね。わかっていたわよ。本当はアイツの言った事が正しいって。でも、なんだかんだで誤魔化して来た。実は私、ここへ来る前にスズネへ連絡していたの。少しでも話をできたら良いなって、思っていたけど無視されちゃった。今まで何度も連絡したのに、今も返事が来ていない。それでもう確信したわ。スズネに私が必要ないんだって。

 私もダメな母親よね。スズネの幸福を信じていたのに、それが余計だって知っていたのに。

 あの子の幸せこそが私の幸せ、あの子の不幸は私の不幸。だから私が生きている限り、あの子は幸福にはなれない。私も幸福にもなれない。私が居なくなることで、あの子が幸福になるなら、これ以上の幸せはないわよ」

 鞘と柄を強く握る。そして力を込めて引き抜く。鞘を畳に置くと刃に視線を落とす。

「お母さん」

 ミュートアイコンが光った。

「話を聞いてくれてありがとう。私の心は決まっていた。お願いよ、センちゃん。せめてスズネには黙っていて。私のことは知らないで居て欲しいの。それがスズネの幸福だから」

 刃の向きを自身に向ける。

「それが、アナタの決断なんだね」

 イヌはゆっくり頷いた。

 私は思わず立ち上がる。転びそうになりながら二人の元へと走り出す。

「ちょっとセン、止めさせて。セン。ちょっと、セン!」

 ミュートアイコンが強く輝く。センが一瞬だけ私を見やると、身体の力が一気に抜けた。

 顔を畳に打ちつける。猫の仮面が外れ落ち、暗がりの中へと滑り込む。

 目と鼻のすぐ先で椿の御簾が揺れている。

 二つの影も合わせて揺れる。

 イヌは短刀を握り直すと、自らの首を刺し貫いた。

「お母さん!」

 足の先から膝、腰、腹と。イヌの影が消えて行く。

 ほんの短い時間のはずが、数十分にも拡大される。消えゆくイヌがわずかに頭を動かして、私を見たような気がした。

 胸、肩、首と消え去って、回転しながら刃が落ちる。

 深く畳に突き刺さる。御簾越しながら灯台の灯りを受けて光るのがわかる。

 手の先、そして頭の先まで消えて行き、後には何も残らなかった。

「スズネちゃん。大丈夫?」

 御簾が消え、刀とイヌの仮面が浮かぶ。二つは回りながら消え去った。

「なんで止めなかったの。止めてって言ったのに!」

 センが私に手を差し出す。

 その手を払い自力で起きる。イヌが居た場所には何もなく、畳には刀が刺さった傷跡だけが残されていた。

「あの人がそう望んだから」

「望んだからって見捨てても言いわけ?」

「見捨てたんじゃないよ。あの人は、あの人自身の幸福になる道を選んだだけ」

「私は生きて欲しかった。だから止めてって言ったのに。センは生きていてほしくなかったの?」

「私だって生きていて欲しいと思っていた。でもね。あの人が自分で選んだ事だから、私にも、スズネちゃんにも。止める権利は誰にもないよ」

 キツネの仮面を外し取る。無表情な仮面の下からセンの顔が現れた。どこまでも無表情で、無感情な。人間離れした表情に、かつての封印を破るように感情の泥が溢れ出す。

「じゃぁ、私は?」

 両手を固く握りしめ、口をきつく結びあげながら震える声でセンに尋ねる。

「アナタにはまだ最終幸福追求権が残っている。もし生きているのが耐えられないほど辛いなら、スズネちゃんには選択する権利がある。どんな選択をしたとしても、アナタの意志を尊重する」

 思わず目を細める。私の気持ちを知ってか知らずか、暗がりの中、センは微笑を湛えながら、ゆっくり瞬きをして言った。

「さぁ。今度はアナタの番だよ。アナタはどんな選択をする?」

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