(4)おかしい、世界観が違う!


 今宵、民宿「満月荘」に新たな客人が現れた。星川家の人間ならよく知る人物である。


 エッカーン・フェルデ伯爵とは英国紳士の装いをした白髪の長身の男。


 黒色のシルクハットを被りベストを着用、その上には膝まで長さのあるフロックコートを羽織っている。手に銀の装飾が施されたステッキを携え、片目に装着したモノクルの奥には硝子のように透き通る碧眼へきがんがあった。


 異国風の顔立ちをしているので正確な年齢は分からないが少なくとも二、三十代を思わせる生き生きとしたきめ細やかな肌をしている。


「大吉様、今年もお世話になります」と伯爵のかたわらにいるトランクケースを持った女性使用人が深々とお辞儀をした。


 彼女は烏丸時子からすまときこさん。伯爵の下で働くメイドである。端麗たんれいな顔立ちをしていて、見た目は二十代後半といったところだろうか。ここだけの話、幼少期の僕の初恋の人だった。それほど心惹かれる容姿をしていたんだ。


 僕が子供の頃から民宿「満月荘」に訪れるたびによく見かける人なのだが、驚いたことにこの二人は何年経っても姿。その事を訊ねると伯爵は決まってこのように言うのであった。


「我輩の名はエッカーン・フェルデ。四千年を生きる不老の伯爵である」と。


「時子、手続きを頼む」


「かしこまりました」


 時子さんが受付でチェックインの手続きをしている間、伯爵は床に杖をついて窓辺から見える遠く離れた渡里神社の流造ながれづくりの屋根をじっと眺めていた。


「おや、今回はジェイムズ君来てないんですね。日本語覚えたたてのあの人」


「うむ、彼は故郷に帰ると言って我輩の元から去っていったのだ。使用人としてなかなか有望な若手ではあったのだがな。残念な事だ」


 二人を宿泊部屋に案内して戸を閉じると通路の陰からこちらの様子を覗いていたミルキーさんに呼び止められた。


「なんだいあいつらは!」


「ああ、エッカーン・フェルデ伯爵と烏丸時子さんだよ。毎年のようにここに泊まりにくるんだ」


「違う違う、あれはコスプレかなんかなのかい?」


「うーん、なんと言ったらいいのやら……昔から変わらずあんな格好してるんだよ、あの人達」


「以前、俺は『この世界は物語論』を語ってやっただろう。漫画で言うならあいつらの登場は禁じ手だ。例えるなら今まで普通に時代劇モノをやってたのが突然宇宙から侵略者が現れて未来の存亡をかけた戦争をするようなもんだ。読者から反感を買うぜ」


 やけにミルキーさんがペラペラ語る。僕は何年も前から会ってるから慣れてるけれど、初めて会う人からしたら奇妙な存在なのかもしれない。


「毎年来ると言っていたが、あいつらは何のために満月荘に……?」


「詳しくは知らないけどなあ……」


 僕は腕を組んで頭を悩ませた。


「ヒヒヒ」と背後から声が聞こえてきて振り向くと半纏姿はんてんすがたの祖父がいて面白そうに笑っていた。


「満月荘のダンナ」とミルキーさんが言った。


「不思議だろう。伯爵さんはな、ワシと古くからの友人で満月荘が建つ前からああいうお人なのさ。ワシと婆さんは年老いていくのに伯爵さんと女中さんだけが昔のまんま! 伯爵さんはこう言っていたぞ、『不老不死』とか『我輩は娘を追い求めてる』とな』



          ○



「時子さんと言ったか、少しばかり訊ねたいことがある」


 夕刻、満月荘の通路を歩いていた時子さんをミルキーさんが呼び止めた。僕はやめておいた方がいいんじゃないかと予め言っておいたのだが……。


「宜しいですよ、ミルキー・ウェイ・キャンディさん」


「ミルキーでいい。俺のことを知っているみたいだな」


「あなたの漫画大好きですからね。雑誌のインタビューにあなたの顔写真が掲載されていましたから存じていましたよ。『melon』の最新刊買いました」


「む、そうかい」


 ミルキーさんは言葉が詰まってしまったけれど、しばらくして再び口を開いた。


「大吉君から聞いたぜ、お前さんのご主人、不老不死を名乗っている四千歳の英国紳士だそうじゃないか。実際のところどうなんだい? ホラ吹いているんじゃないか」


 時子さんが落ち着いたそぶりで顎に人差し指を当てて考え事をした。


「むう、そうですねえ。伯爵様はちょっと大袈裟おおげさに物事を語らうところありますから」


 それを聞いてミルキーさんが「ハハハ、ほら見ろ」と僕に半笑いで顔を向けてきた。


「伯爵様は誰にでも四千年生きているってお話しするんですよ。本当かどうかは判断しかねます、だって私はのですから」


 時子さんが「オホホホ」と笑う側で僕らはサーっと血の気を引いた。ミルキーさんが小声で語りかけてきた。


「大吉君、この人もヤバい奴なんじゃあないのか!?」


「それは……どうかな……」


 どうだろう……。僕も自信がなくなってきたぞ。


「あら、伯爵様」


 時子さんの声にハッとして僕らは後ろを振り返った。気配は無かった。その容姿はまるで音楽の教科書に載っている偉人だ。モーツァルトやバッハのように側頭部に髪を巻いた白髪の英国紳士が僕らの背後にいつの間にか立っていた。


「ククク……。我輩に探りを入れるとはどういう了見かな。大吉君よ」


 僕は片手に持っていた絵本『夢見の魚』と古ぼけた冊子『幻燈魚保存会会誌』を伯爵に差し出した。


「伯爵、これは最近になって発見された絵本と冊子です。あなたの名前が記載されている」


 伯爵は差し出された書物を見ても顔色一つ変えなかった。


「あなたはもしや幻燈魚について何か知っているんじゃないですか? ぜひお話を聞かせてください」


「この書物を何処で手に入れた?」


「この町の図書館です」


 それを聞いて伯爵は口元に拳を当て「ウックックッ」と笑いを堪えるようなそぶりを見せた。


「我輩が世に出した幻燈魚に関する書物は全て焚書ふんしょされたものとばかり思っていたが……まさかこのような形で我が元へ帰ってくるとは」


 このカビ臭い書物は昭和初期(今から八十年程前)に出版されたものだ。その書物を老人には決して見えない眼前の若々しい英国紳士が書き上げたと告白したのを目の当たりにして僕は思わず戦慄しそうになる。


 全ての答えが──伯爵の中にあるのだ。


「ククク、運命さだめというものは、川に投じた石ころが作り上げた波紋の如く、幾重にも幾重にも交差していくものなのだな……。我輩が書という名の石ころを放ったように、君は『幻燈魚とは何か?』という疑念の石ころを今ここで放ったのだ」


 そう言い終えた伯爵が突然前を見つめたまま大きく目を見開き、顔をこわばらせた。僕は思わず恐怖心が芽生え、後退りしそうになった。何だか、信じられないものを見てしまったような表情だった。


 トコトコと、床板を踏みしめる音が聞こえてきたと思うと僕とミルキーさんの間を小さな女の子が通り過ぎていって伯爵の前で立ち止まった。メロンちゃんだ。ニンマリと可愛げのある笑みを浮かべている。


 けれども、伯爵の視線はもっと先を見つめているようだった。


「メロンちゃん、勝手に行かないでよー」

 

 佳雨音の声だ。僕らの後方から佳雨音が現れてメロンちゃんのもとに駆け寄ってきた。伯爵の声色が震える。


「君は……君は幻燈魚なのか……?」


「なんで私のこと魚って知ってるの? 大吉、誰なのこのおじさん」


「この人はエッカーン・フェルデ伯爵といって毎年満月荘に泊まりに来る……」


「へーんな頭」


「ブフッ!」


 佳雨音の発言にミルキーさんが吹き出し、僕らの後ろにいた使用人の時子さんも笑いを堪えるように頬を膨らませていた。


「客人の前でそんなこと言うのやめなさい」


 この中で僕だけが冷や汗をかいていたと思う。

          


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