(6)輝きを失った星

【第○回箱根駅伝】


 どっと湧き上がる大歓声に身体が震える。


 東京・大手町の大通りには箱根駅伝の歴史的瞬間を目の当たりにしようと沢山の人が押し寄せて大混雑していた。


 あと数分もしない内に我が大学の最終走者がゴール地点に到達すると監督が拳を硬く握り興奮気味になって騒いでいる。


 なにせ、最終走者は他の大学と大きく差をつけて先頭を走り、5年ぶりの総合優勝が目に見えていたからだ。過去の屈辱を晴らすことが出来るのだと、額に汗を滲ませながら満面の笑みを浮かべていた。


「頑張れ! 頑張れ! 頑張れえっ!」


 声援を送る部員達の表情に歓喜の笑み、目から涙が流れ出て頬を伝っていく者もいた。その様子を映像に収めようとテレビ局の職員がカメラを構えながら僕達の周りをうろついていた。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 僕は──いったい何をしているのだ。


 大手町のビル群の境から見える雲一つ無い真っ青な空を見上げて息を荒げていた。手のひらにかいた汗を着ている上着ジャージで拭う。弟や両親、そして身近な知人達の声が頭の中を駆け巡っていく。


『頑張れ。兄ちゃんは俺の誇りなんだからな』


『期待してるよ、大吉は自慢の息子なんだから』


 監督に肩を揺さぶられて我に帰った。


「大吉、お前もちゃんとエールを送れ。走れなかった分な」


「……は、はい!」


 眼前のゴールテープの向こう側に最終走者が見えてきて、歓声に一層熱が入る。周りの人々の声が足に響いてズキズキと痛みが走って顔を歪ませた。


 もう一度目を開いた時、ゴールテープを突破し、両手を広げた最終走者の晴れやかな表情を見て僕の中の何かが「プツリ」と切れたのを感じた。


 部員達が最終走者のもとへ集い、胴上げしようとしていた。詰め寄るテレビ局職員とカメラを手に携えた新聞記者、皆の視線がその一点に絞られていく。


 彼は、今を煌めく『星』となったのだ。


「本当なら……本当なら……その星は僕であったはずなのに……」


 この時の様子は、テレビ放送や動画サイトに記録として残されており、最終走者に駆け寄る部員達に遅れて歩み寄る僕の姿が映っていた。



          ○



   『今を煌めく星と輝きを失った星』



          ○



「大吉君」


「……なんですか?」


 ミルキーさんが不思議そうに満月荘の廊下にある壁を熱心に見つめていた。何を見ているのかと思いきや、そこには以前、恐怖の座敷童子避け(佳雨音)のために渡里わたさと神社で買ったお札が貼られていた。


「少し前から気になってはいたのだが、このお札、紅色の魚の絵が描かれているね」


「え、ええ……」


 確かにそのお札にはふにゃふにゃと墨で書かれた有難そうな文字の下に水の波紋と金魚のようで少し違う尾の長い紅色の魚の絵が描かれている。


「この町は不思議だ。至る所に魚をモチーフにした何かがある」


「魚が描かれているなんて別に変だと思わないですけど……町に大きな川があってそこで魚がよく取れるからとかですかね」


「いや、不思議だと思った点はもう一つ。魚のどれもが紅色をしていることだ。この魚が金魚だとするならばまあ分からないでもないさ。だけど、ここは金魚が有名な町というわけではないのだろう?」


「……言われてみれば」


「これを見てくれ、満月荘の周辺を散策した時に見つけた道端の地蔵と小さな社の中にあった木札だ」


 ミルキーさんが取り出したのは最近流行りのスマートフォンという携帯電話。画面いっぱいに映し出されたのは手のひらに魚が彫られた地蔵と紅色に塗られた魚の絵が描かれた木札だった。どれも相当古い物のようであるが……。


「近隣の年寄りに話を聞いてみたところどうやらこの町の昔話に由来するらしい。だが皆詳しくは知らないそうだ」


「それで……僕にその話をして何になるというのですか」


「暇な時でいい。俺と一緒にこの寛木町をくまなく散策しないか? 一人で行くより道をよく知っているこの町の住人と一緒なら心強いからね」


「……あの、缶詰してまで描いている漫画はどうしたんですか?」


「とっくに編集者に送ったさ、メールでね」


「へええ……」


「ハハハ……なんだい、君。俺が遅筆ちひつで夏休み終了間近に泣きじゃくりながら必死こいて宿題を終わらせる小学生のような漫画家だと思っていたのかい?」


「そこまで言ってないですってば」



          ○



 宿泊客の少ない平日ならいつでも満月荘を抜け出してその辺の店で買い物をしたり自室でゴロゴロすることがあるのであまり多忙ではない。人手が足りている時に僕はミルキーさんと共に外出して寛木町を散策することになった。


「佳雨音ちゃんの秘密が分かるかもしれないぞ」とミルキーさんが口々に言うので気になって気になってしょうがなかったというのもある。


「見ろ、大吉君」


 今まであまり意識していなかったので気付かなかったが竹藪に隠れている苔むした石碑に小さく魚が彫られていたり、公民館にあった小さな祠に魚の置物が安置されているのを目の当たりにした。


「魚づくしだったなんて知らなかったな……この町」


「奇妙でなかなか唆る話だろう? もっと知りたいと思わないか、大吉君」


「まあ……」


 1日目は満月荘の近所を回るだけだったが、もっと範囲を広げようと僕の車を使って移動をするようになった。運転している内に互いの話をするようになり、ミルキーさんとメロンちゃんが互いにどんな日々を送っているのか聞かせてくれた。


「自宅に留まって漫画を描いているとメロンちゃんが部屋の中を駆け回ったり、壁にペンで落書きしたり、退屈そうにうんうん唸ってしまって作家業に集中出来なくなってしまうんだ。そこで日本各地に遠出をしてメロンちゃんの鬱屈を発散させているというわけさ」


「そんな理由だったんですね。でも……メロンちゃんがミルキーさんの元から離れて他の人についていく、なんてことがあったらどうするんです?」


「その時はその時さ。俺がこれまで築き上げた輝かしき栄光が座敷童子の摩訶不思議な影響によるものだなんて断じてないってことが証明できる。正直言うと俺の元から離れてほしいくらいだ。だけど、こうして遠出をしても結局俺の元に帰ってくる。案外可愛いやつだろう? メロンちゃん」


「ええ、まあ……輝かしき栄光ですか……」


 僕の車が北上川沿いに直線上に伸びる道路を走っていく。これから向かうのは、寛木図書館と渡里神社だ。


 何日かこの町を回って分かったことといえば、魚を描かれた絵や彫られた石碑が多数点在しているところがから急に減少することだ。


 それは寛木大橋。


 いや、正確に言えば川を挟んだ向こう側の町には何も残されていないのである。


 かつての旧寛木町と渡里村。渡里村があった山側方面にのみ魚信仰があるようだった。


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