(2)成長期ですか?
【寛木町のおみやげ】
緑に囲まれた
有名どころといえば
他にも寛木クッキーや寛木せんべいなんてものもある……えっ、なんでどのおみやげのパッケージにも紅色の魚の絵が描かれているのかって?
そうだな、実のところ僕もよく知らないんだ。寛木町に伝わるおとぎ話がモチーフらしいけど……。
○
『カウネとフルムーン 第二章』
○
満月の夜、雨が降っていないのに雨音がするという『晴れ雨現象』は星川家の住人だけが知覚しているわけではない。当然、宿泊客の耳にも入ってくる。
「おかしいな、スタッフさんよ。今日の天気って雨だったかな」
風呂上がり浴衣姿のおじさんが首を傾げながら僕にそう訊ねてくる。これで何回目だろう。他の宿泊客にも何度か聞かれた。
「この民宿に住まう座敷童子が降らせてるんですわあ」
今まで佳雨音は民宿「満月荘」に住まう僕と祖父母にしか姿を見せていない。以前、「先生に所在が知られるのが嫌だ」と言っていたことと関係があるのかもしれないが、佳雨音自身どう思っているのか分からないのでなんとも言えない。
「今日は佳雨音ちゃん来てくれるといいねえ」と祖母が宿泊客の部屋に料理を運びながら言った。
○
「こんばんはー、今日から一週間くらいかな。お世話になります〜」
「遠方から遥々よく来てくださりました。ゆっくり寛いでくださいな」
珍しい客が民宿「満月荘」にやってきた。
玄関口でスーツを着た生真面目そうな男が名刺を手渡しながら祖父母にペコペコとお辞儀をしていた。彼は
だが今晩の宿泊客はこのスーツ男ではない。後ろにいる金髪マッシュヘアーのチャラそうな男……。
「どーも、ミルキー・ウェイ・キャンディです」
口に咥えていた緑色の棒飴を引き抜き、ペコリと小さくお辞儀をした。
彼は今を煌めく漫画家なのである。
○
漫画家が宿泊しに来るというのを予め予約電話の時に聞いてはいたのだが、たくさんの画材道具とアシスタントを数名引き連れてやって来るのかと思いきや民宿「満月荘」に泊まるのはミルキー・ウェイ・キャンディ(以下ミルキーさん)だけらしい。
いわゆる作家の缶詰めというやつである。
今の時代、漫画を描くためにたくさんの画材道具を持ち込む必要がなく、ノートパソコンと絵を描くための専用の端末とペンシルだけで事足りるのだという。
背景などを描くアシスタントは日本各地にいて、メール等でやりとりをするのでミルキーさん一人で充分なのだとか。
「こちらがお客様がお泊りになるお部屋です」
「へえー、なかなかいいじゃあないかい」
なるべく外の眺めがいい部屋にしてほしいと編集者の方にお願いされていたので、満月荘二階にある寛木大橋と北上川が一望できる一番良い部屋に通した。寛木町の街灯の明かりが揺れる川面に写って夜の静寂さを際立たせているる。
「では、ごゆっくり……あら?」
「ん?」
部屋を退出しようとした時、祖母が何か言いかけようとしていたが、お辞儀をして襖を閉じた。僕らはそのまま部屋から離れた。
○
「見間違いかねえ……」
「どうしたんだ、ばっちゃん?」
「さっき、漫画家さんの部屋で着物を着た女の子がちらりと見えた気がしたんだよ」
「もしかして……佳雨音?」
「うーん、佳雨音ちゃんだと思うんけど、部屋の隅に隠れたから顔がよく見えなかったんだよ」
「そっか……」
「ヒヒヒ、あとでミルキーさんとやらにサイン貰いに行こうかね。ワシのコレクションがまた増えるな」
祖父が嬉しそうにそう呟いた。着ている半纏の襟元から見えた銀色の骸骨ペンダントの鎖がキラリと光る。祖父は中学生残念ファッションの上に半纏を羽織って接客するのである。よくもまあ宿泊客に気付かれないものだ。
○
「ふーっ、良い湯だったよ。久しぶりに『当たり』の旅館を見つけたかも」
「それは良かった。ありがとうございます」
満月荘の休憩スペースで浴衣姿のミルキーさんが牛乳瓶片手にソファで
「露天風呂、源泉掛け流しなんだってね。おまけに車の通りも少ないから静かで落ち着いてる。都会の
「どうかしましたか?」
「今日って天気予報雨だった? 露天風呂に浸かっていた時に雨音が聞こえたんだ。降ったり、止んだりを繰り返しているような変な感じ」
「あっ、うーん……」
僕はなんと答えようか少々頭を悩ませた。本当にどうしたのだろう。雨音がするのに佳雨音は一向に現れようとしない。
「まっ、いいさ」
ミルキーさんはソファから立ち上がるとお菓子の自販機でポテトチップスを買った。
「あと六日間よろしく頼むよ」
「はい」
ミルキーさんは小さく手を上げて部屋へと戻っていった。
○
消灯の時間、僕は廊下の明かりを消しながら民宿を回っていた。時折しとしとと雨音がするがなんだか弱々しくて今すぐにでも止んでしまいそうだ。
ふと明かりのついた廊下の先に何かが見えた。着物姿の女の子だ。
「か、佳雨音!」
足早にその子の元へと駆け寄ったが、振り向いた女の子の顔が違っていて僕は
「だ……誰なんだ君……」
女の子は「ふふふ」と不気味な含み笑いを残して霞のように消えてしまった。
恐怖に駆られた僕は急いで祖父母がいる居間へ慌てて向かった。
「じっちゃん、ばっちゃん! し、知らない子供がいる!」
暗い廊下を走っていると廊下の突き当たりから突然現れた人影と正面衝突しそうになり、僕は避けようとして足がもつれて転んでしまった。
「あばっばばば!」
「いやっ、何! びっくりする!」
「す、すいません! 怪我はなかったですか!?」
「ビビリの大吉。怪我なんてしないよ、私は」
この声……!
「えっ、もしかして……佳雨音か……?」
なんだろう奇妙な感じがする……。暗くてよく見えないが、目の前にいる人物のシルエットが幼子の姿をしていない。間違いなく十歳を超えた容姿をしている。小学校高学年、いやもしくは中学生……。
「あの、どちら様ですか?」
廊下の突き当たりの窓から漏れる月光が眼前の人物を照らす。民宿に鳴り渡っていた雨音が一層強くなっていった。
「私は佳雨音。よろしく」
驚くべきことに、二ヶ月ぶりに現れた佳雨音は幼子から成長した姿をしていた。
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