田舎娘は、料理する
家に帰り着いた私は早速、お父さんに見慣れない魔獣が現れたことを伝えた。
「なんだって!? 怪我はないか!?」
魔獣に遭遇したという報告を聞いたお父さんが大声を上げる。一瞬びっくりしたものの、これは私の身を案じてのものだということは分かっていたので、私はお父さんを安心させるように頷いた。
「うん、大丈夫だよ、お父さん」
「そうか……良かった」
ホッと息をついたお父さんは、脱力したのかどさりと椅子に座り込む。マロンはそんなお父さんの膝の上に飛び乗った。
「お前も怪我はないみたいだな」
お父さんは表情を緩めながらマロンの頭を撫でる。その手つきは実に優しく、一人の猫飼いとして立派に成長していると言えるだろう。マロンも気持ち良さそうに目を細めている。
「ニャン」
もっと撫でてとお父さんの手のひらに頭を擦り付けているマロンは、今日もあざと可愛い。こんな一見人畜無害そうな子が、まさか魔獣を猫パンチで倒してしまっただなんて、誰が聞いても冗談だとしか思えないよね。やっぱり言わなくて正解だ。
「それにしても、巨体の魔獣か……最近の森の異常はそいつのせいかもしれないな」
お父さんは呟いてふむ、と考え込む。するとマロンを撫でる手が止まってしまった。マロンはそれが不服だったらしく、にゃあにゃあ言いながらお父さんの手に前足を伸ばしている。柔らかい肉球が何度も手に触れたからだろう、お父さんはマロンの小さな手を指先でつついた。
「おっと、すまない。はは、お前は撫でられるのが本当に好きだなぁ」
お父さんはふにゃふにゃとした笑顔を浮かべると、しばらくマロンの肉球を揉む。散々ふにふにして満足したのか、お父さんは「よっこいしょ」とマロンを抱き上げて私に渡してきた。
「さあ、お前のママの元へお帰り」
「ニャァ」
私の腕の中に戻ってきたマロンは、年相応に育っている私の胸にぐりぐりと額を擦り付ける。本当、この姿だけみたらまるで赤ちゃんみたいだ。お父さんが私のことを『マロンのママ』と揶揄するのも頷ける。
実際、マロンは誰にでも甘える奇跡のにゃんこだけど、私に対しては甘えるを通り越してベタ甘だ。前世の頃より甘えん坊になっているような気がしないでもない。でも可愛いからオールオッケーなのである。
お父さんはふふ、と笑ってからおもむろに立ち上がると、私が抱っこしているマロンの頭を一撫でした。
「とりあえず、アイラたちが無事で良かったよ。森の異常についても原因が分かりそうだし、大手柄だ。だが、これからしばらくは森の中に入ってはいけないよ。お父さんたちがその魔獣を退治するまで、森での採取はお休みだ」
「……はーい」
もうマロンが倒してしまったけれどさすがにそれは言えないので、こればかりは仕方がない。
それにしても、あの馬に似た魔獣、本当は強いんだろうな。テスの森の魔獣たちが隠れて姿を見せなくなったんだから。マロンがやっつけてくれなきゃ、お父さんたちでも退治に手こずったかもしれない。こう言ってはなんだけど、あの魔獣に初めて出会ったのが私たちで良かった。
そこまで考えて、私はうん? と首を傾げた。
森がおかしくなったのは二週間ほど前で、姿を消したベルギアルやテティラビーが戻って来たのがおよそ六日前。そして馬に似た魔獣に出会ったのは今日。もしも馬に似た魔獣が森の異常の原因なら、森が元に戻り始めるタイミングがおかしくないだろうか。
六日前といえば、マロンと再会した翌日だ。まさかとは思うけど、森の異常の本当の原因って……?
いやいや、そんなことはないか。
脳内に浮かんだ疑問を振り払うように、私は軽く頭を振った。その後マロンの顎をくすぐって気持ちを落ち着けてから、話を変えるように口を開いた。
「お父さん、今日の夕ご飯はユキイチゴ入りのサラダでいい? あとはベルギアルの燻製肉を使ったサンドイッチと、野菜スープね」
「おお、美味そうだな」
「頑張って美味しくするよ。お父さんたち、明日は大変な魔獣狩りに行かなきゃいけないんだから」
その魔獣、たぶんもうヘロッヘロだと思うけど。
いろいろと誤魔化しながら、私は夕食の準備に取り掛かった。
さて、今日の夕食に必要な材料は、と。
スープ用の根菜とベーコン、お隣のおばさんからいただいた朝どれのリターサという葉物野菜、ドレッシングにも使うオイルと、ラモナという柑橘系の果物、保存食であるベルギアルの燻製肉、あとは塩胡椒などの調味料。それらを地下の保冷庫から取り出し、調理台に並べる。
まず取り掛かるべきは、野菜の下拵えだろう。根菜とリターサ、あと今日採ってきたばかりのユキイチゴを飲料用の水でしっかりと洗った。
根菜は一口大にカットし、水を張った鍋に投入してじっくりと火を通す。煮えるまでにしばらく時間が掛かるだろうから、その間にサラダを作ってしまおう。
洗ったリターサを食べやすい大きさにちぎって皿に盛り付け、その上からヘタを取って半分にカットしたユキイチゴを散らす。あとはドレッシング代わりにオイルをかけ、ラモナを絞って塩胡椒を振りかければ、お手軽ユキイチゴのサラダの完成だ。
これで野菜の処理は済んだので、次に肉の処理だ。
まずはサンドイッチ用のベルギアルの燻製肉を薄くスライスする。このベルギアルの肉は前世で言うところのイノシシ肉のようなもので、肉質はほどよい脂分が美味しいんだけれど、若干獣臭い。血抜きなんかの処理を失敗すると特に臭うから、その時は茹でて油を抜いた後に燻製にしている。こうすると獣臭さがまったく気にならなくなるので、私は結構好きだった。
燻製肉のスライスが済んだら、次はベーコンだ。ちなみに、先ほどの燻製肉はあくまで燻製しただけの肉で、こっちのベーコンはきちんとベーコンとして加工されたものだ。
このベーコンもベルギアルの肉なんだけど、丁寧に処理した肉を塩や香草につけ込んでから燻製にするからか、なんちゃって燻製肉とは旨味が段違い。ただ、少し油が多いから、さっぱりしたものを食べたい時はもう一つの燻製肉に軍配が上がる。
つまみ食いしたい衝動を抑えながら、私はベーコンを小さく角切りにした。それをフライパンで軽く炒めていると旨味たっぷりの油がじゅわっと溢れ出す。この油は後で使うから大事に取っておいて、炒めたベーコンは根菜を煮ている鍋に全て投入した。
あとは根菜やベーコンから出た灰汁を取りつつ、塩胡椒で味を調えたらスープの完成だ。
この出来たての若いスープは、想像通り味に深みはない。美味しくなり始めるのは二日三日経ってからだ。こういうことがあるから、前世の固形コンソメやブイヨンが実に素晴らしいものだったのだと実感する。あれだけで味が完成するから、調理が本当に楽なんだよね。
まあ、今世は今世でスープを育てていく楽しみがあるから、悪くはない。とびきり美味しいのができた時なんかは、小躍りしてしまうくらいなんだから。
さて、サラダもスープも完成したので、あとはサンドイッチだけ。でも焼きたてのふかふかパンなんかはないので、残り物を美味しく調理するのだ。
時間が経って堅くなってしまったパンを気持ち薄く切って、先ほどベーコンを炒めていたフライパンで焼く。この油を吸ったパンがまた美味しいのだ。二人分のパンを焼き終えたら、あとはスライスした燻製肉を挟んで完成だ。
「お父さん、ご飯できたよ」
材料も調理工程も少ないお手軽クッキングだが、我が家ではこれが精一杯。それでもお父さんは喜んでくれる。それはとても嬉しいことなんだけれど、時々ひろーいキッチンで凝った料理もしてみたいな、なんて思うこともある。
だけどそうなると、たぶん、この家を出て行かなければいけなくなるんだろうな。
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