イミテーションセクステット

海月らいと

プロローグ「最後の記憶」



 ——いい天気だなぁ。


 こんな状況なのに悠長に空を眺められるなんて、の人の影響を少なからず受けたのかもしれないと場違いな感想が頭に浮かんだ。そんなどうでもいい事を考えている間にも、仰向けに倒れた身体から何かが流れて出ていくのが分かる。


 ——あぁ、きっともう。


 自分のことは自分が一番良く分かるとはこのことだ。広大とは言え無いながらも鮮血の海を作り出す感覚が熱を帯びた場所から伝わる。裂けた己が肉が、感じる筈のない外界の風に容赦なく撫でられる。最早痛みと呼ぶには「生」から遠ざかりすぎている肉体。冷たくなっていく身体の先端はいつかのよりも重く、指一本動かすことすら叶わない。掠れていく視界で、せめて無事を確認するだけでいい。それだけの思いで必死に動かそうとするも、その視界すら限界を知らせるように白い光に包まれていく。ふと影が降ってきた。


 ——彼の人あのひとだ……!


 既にはっきりと確認など出来ない己の眼が、求めていた姿を捉えた。


 ——良かった、無事だった……。


 やり遂げた充実感に包まれた俺は、先程まで厭に熱を帯びた部分が纏わりついた気配に急かされるようにその熱を失っていく感覚を、こんな状態である筈なのに何故かはっきりと捉えることが出来た。その途端意識が遠のく。

 輪廻おわりがもうすぐ側まで近づいている。

 最後にせめてと言葉を発しようと声帯を震わすための力を込めようとしたが、やはり叶わなかった。血の細流が口から喉にかけて広がっているのが分かった。もう十分だと全身が訴えかけている。その訴えに従うように全ての神経が俺を促す。

 そうだ。もう進もう。ここで踏みとどまる必要は無い。

 白んだ視界に映る彼の人の顔が逆光である筈なのにはっきりと見えた気がした。やはりいつか見た、楽しそうにそれでいて混沌を秘めたような空虚を愛おしむような細められた眼と綺麗に孤を描いた口元。

 その口元が動いた。


「君じゃなかったみたい」


 いつも通りの口調で、なんてことのない様に発せられた言葉。無機質で、それなのに凡ゆる情念がその仄暗いから湧き上がるような、繊細で暴力的な聲。

 薄れゆく意識の中で、彼の人の顔とその言葉が厭に脳裏に焼き付いて離れなかった。

 彼の人の、子供染みた愉快そうな鼻歌が聴こえた気がする。



 そして俺は、心臓を動かすことを止めた。


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