レモンの入浴剤




(そういえば、師匠ってよくうちに来ているよな)


 うがい手洗いを終えて、二階の自室でジャージからジャージに着替えた凛香は今。

 なぜか家にいる師匠の瀧雲が、あまつさえ鍋に入っているミートトマトソースを温めてくれている現状に首を傾げつつも追究せずに、スパゲッティの麺を大盛りで浅い皿に乗せてサランラップをして、電子レンジで二分と時間指定をしてスタートボタンを押した。


「もう遅刻はしないでくださいね」

「はいすみませんでした」


 冷蔵庫から出したポテトサラダを大きなスプーンで大きくすくって、テーブルに出してある野菜サラダのトマトの横に乗せていた凛香は、瀧雲に向かって大きく頭を下げた。


「何回言いましたか。もう」

「すみません。つい太陽が心地よくなると走りたくなって」

「あなたは太陽が出ていても出ていなくても。それに温かくても涼しくても暑くても寒くても走りたくなるでしょう」

「すみません」

「しょうがない子ですね。でも本当に遅刻は厳禁ですよ」

「はい!」


 元気に返事をした凛香は頭を上げてポテトサラダを冷蔵庫に戻し、火を止めてテーブル席に座る瀧雲を見た。


「師匠はスパゲッティとサラダを食べましたか?」

「いいえ。夕飯を食べてからお邪魔したので遠慮しました。ただ、お裾分けをしてもらったので、明日いただきます」

「また歩きながら食べたんですね。身体に悪いですよ」


 薬草を受け取ってすぐに別れてからここに来るまで、どんなに駆け走って来たとしても夕飯をゆっくり座って食べる時間はないので、歩きながらしか食べられない。


(もしくは、座って一気にご飯を飲み込むか、だけど。師匠はそうしない)


 断言する凛香に、移動中にご飯を食べる癖がある瀧雲は苦笑を零した。


「癖がどうにも抜けなくて。大丈夫。珊瑚のご飯はテーブル席に座ってゆっくりと食べていますから」

「全部そうしてください」

「そうしようとは思っているんですよ。ただ時間がどうしても惜しくって」


 瀧雲は、はと麦ミックス茶が入っている湯呑に手を伸ばした。

 電子レンジの温め終わった音が聞こえた凛香はスパゲッティの麺を乗せた皿を取り出し、ミートトマトソースを麺の六分の一の量ほどをお玉ですくって麺の中央に乗せ、ぐーぐう、きゅるるるると鳴る音に急かされるようにテーブル席に座り手を合わせた。


「いただきます。師匠。ソースありがとうございました」

「いいえ。どういたしまして。どうぞ召し上がってください」

「はい。お先に失礼します」


 凛香がフォークに麺とミートトマトソースを巻き付けて口に運んで一回噛んだ途端、少し強いトマトの酸味、その後に追いかけてくるトマトと玉ねぎ、牛肉と豚肉のひき肉の甘み、セロリの独特の味、麺の甘みが一気に口の中に広がって、美味しさのあまり相好を崩した。


「美味しいですね」


 食べてもいないのに。

 思ったが、匂いだけでも十分美味しさが伝わったのだろう。

 断言した瀧雲に、凛香が力強くはいと肯定した。


「そういえば、ほのかにレモンの匂いがしますね。サラダドレッシングですか?」

「入浴剤ですよ。俺はドレッシング使わないので。ここまで匂ってくるなんて、すごく強いんですね。そういえば、梨響に会いませんでしたか?」


 凛香はすでに座って夕飯を食べているはずの梨響を、玄関で別れてから一度も見ていなかった。

 離れにある自室にでも行っているのだろうかと思ったら、正解だったらしい。


「ここで会いましたが、神路に離れへ連れて行かれましたよ」

「そうなんですか」


 閉鎖型の廊下で繋がった離れとなる二階建ての小さな家の、一階が梨響の部屋で二階が神路の部屋になっていたので、どちらかの部屋にいるのだろう。


「何か話したいことがあったみたいなので、時間がかかるのかもしれませんね」

「そうなんですか」


 目の前のスパゲッティとサラダに集中しているのと、疲れているのも原因だろう。

 相槌を打ちながらも話を広げずに食べ続けた凛香は、とてもやさしい視線をお風呂の方へ向けている瀧雲に気付かなかったのであった。










(2021.12.27)



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