【二人の関係に亀裂が生じた、あの出来事について】

 カラオケが終わったあと、美登里と坂本君が「喫茶店に向かう」と言い出したので、私とえっちゃんは示し合わせたように遠慮した。

 二人で帰途についたのだが、会話はいまいち弾まない。社交辞令のような言葉のキャッチボールを数度交わしただけで、地下鉄駅の入口に着いた。

「じゃあね」とそこでえっちゃんと別れ、私は最寄りのバス停を目指した。


 歌いすぎで喉が痛い。

 ──なんてことは全然なかった。

 美登里とえっちゃんが歌っているのをただぼんやりと聞き流し、マイクよりコーラのカップを握っている時間の方が長かったのだから。

 やっぱりカラオケって楽しくない。みんなも歌が上手いってほどじゃないし、私だって正直得意じゃない。

 まあどうせ、私にマイクが回ってくることなんて、稀なのだが。別にそれはどうでもいい。歌声を披露してやろう、なんて意気込んでいるわけでもないし。

 惰性で付き合っているに過ぎないのだ。

 でも、つまんないと感じる理由はそんなことじゃない。

 一部だけが盛り上がっている場の空気に白けて、結果的にドリンクの注文役にまわっているのに、誰一人としてそれを気遣ってくれないことだ。

 けど、美登里とえっちゃんは元々そういう性格だ。二人が悪いってわけでもないだろう。

 結局――自業自得なんだ。

 二度目の人生だ。わざわざ考えるまでもなく知っている。

 私はこのグループに合ってない。

 自分が孤立しているのを理解しながら、それでも抜けられない理由なんて、体裁を繕っているからに他ならない。

 小学生の頃みたいに、女子の大半から煙たがられることや、爪弾きにされることを何より恐れてた。孤独になるのが怖かった。だからこそ、新しくできた関係に縋った。そりが合わない友人でも失いたくなかった。実にくだらないと今ならば思う。いったいそれはなんのプライドだ。


「やっぱり、景の言うとおりだ。どうしたら、いいのかな」


 元の時代で、喧嘩していたアイツに気づかされるのも、なんだか癪に障るってもんだが。わかっているのに、結局成り行きに流されている自分も。


 商店街を歩きながら、今日の放課後のことを考える。

 菫と会話が終わったあと、えっちゃんが話しかけてくると彼女はサッと姿をくらました。

 過敏なその反応で思い出した。美登里やえっちゃんと私が居るとき、菫が決して近寄ってこなかったことを。

 となると、私の方から上手くアプローチしていかないと、菫との関係は絶対に修復できない。歴史も、世界も、完全には覆らない。

 そこまではわかる。わかるけれど、じゃあ、具体的にどうすればいい?

 そもそもの話。私はいつまでこの場所に居られるのだろう。

 この時代の私には、どれだけの力があるのだろう。

 私が行動を変えることで、本当に未来は変わるのだろうか。

 今見えている光景全てが虚構に思えて、なにもかもがわからない。

 カラオケをしているとき、「霧島さんは歌わないの?」と坂本君が話しかけてきた。

 正直、これは意外だった。

 私が歌わないのも、マイクが回ってこないのもいつものことだったが、気を遣って声掛けをされたのは初めてじゃなかろうか。

 そうだとしたら、私が認知できていないだけで、世界の流れはとっくに変化を始めているのかもしれない。未来はより良い方向に変えられる。


 なんて……。結局、よくわからない。


 ふう。息をひとつ吐いて顔を上げると、沈みかけの太陽から伸びたオレンジ色の光が、まっすぐ私の瞳を射貫いた。

 朱をところどころ含んだ紫陽花色あじさいいろの空が、街の上を覆っている。営業時間も過ぎたのだろう。商店街のシャッターは殆ど閉じられ、歩く人の姿もまばらだ。


 思えば――菫と美登里の関係が険悪になったのは、坂本君の行動が決定打だった。

 とはいえ彼に非は無いし、責めるつもりもないのだけれど。



 それは、五月半ばの出来事だった。

 ゴールデンウイークを少し過ぎ、連休ボケもまだ抜けきらぬ週末。美登里に誘われて、六人 (美登里、えっちゃん、私、菫、夏美。なかなか大所帯だ)で野球部の練習試合を見に行った。

 試合が始まるや否や、ゲーム展開そっちのけで、えっちゃんと美登里が会話を始める。


「あのセンターの人どうよ?」

「遠くて全然見えないよ」


「私はファーストの人結構タイプかも」と夏美が会話に割り込むと、「あんなのただのゴリラじゃん。みる目ねーな」と美登里が冷たくあしらった。


「えー? そうかな」


 いくらなんでも、ゴリラじゃなくて人だよ。野球部らしい体形じゃないですか。守備範囲は狭そうだけど。

 なんて思いながら、そうか、野球観戦なんて美登里にしちゃ珍しいと思ったら、イイ男がいないか品定めに来ただけなのかと腑に落ちた。

 数ヶ月前に美登里は前の彼氏と別れたらしく、次の彼氏候補を探していたわけだ。中学生の癖に色恋沙汰とは生意気だ、と言われそうだが、これこそがクラスのカーストトップというものだ。

 それに、彼氏の一人や二人いないと、プライドが許さないんだとか。付き合わされた私や菫にしてみたら、たまったもんじゃないが。


「よーし決めた。私、あのショートの奴狙うわ」


 美登里がロックオンした背番号6ショートが、例の坂本君だ。えっちゃんの好みとかち合わなくてほんとに良かったと、人知れず私は安堵していた。

「ね、カッコイイでしょ?」と美登里が囁いてくるが、私は反応に困った。


「え。うーん? そうだね、カッコいい、かな?」


 正直、スタンドからじゃ顔もよく見えない。スタメン出場してるんだからプレーも上手いっちゃー上手いんだろうけど、櫻野学園の野球部はそこまで強くないので、まあ、普通なんだろう。

 こう言っちゃうと、身も蓋もないけど。


 その日はそのまま解散となったが、翌日から、野球部の練習を見学しに行く美登里らにたびたび私たちは付き合わされた。すっかり辟易し始めていたある日の昼休み、あの事件の発端が起こる。

 封鎖されている屋上へと至る階段の前を通りかかったとき、ふと声を聞いた。ふわっとしたトーンの、馴染みのある女の子の声。

 好奇心から恐る恐る階段の上を覗き込んで、そして驚いた。黄色いヘアピンで前髪を止めたショートボブ。校則通りに着こなした白いセーラー服。施錠されている屋上の扉の前で密会していたのは、坂本君と菫だった。

 え、なんで? と困惑すると同時に、告白なんだと察した。菫の気持ちは知っていたので、どっちがどっちに、というのもなんとなく理解した。

 中学進学後、華やいだ雰囲気に変わった菫の容姿と、美登里に付き添って野球部の練習を見学していたのがあだになった格好だ。

 どうしよう、と思ったが、よもや声をかけるわけにもいかず、この日はそのまま立ち去った。

 翌日それとなく尋ねると、「見られてたんだ」と菫は弱った顔をした。


「坂本君にね、付き合っている奴いるかって聞かれたの。だからさ、いないけど、気になっている人はいるって答えたの」


 気になっている人。そういう、曖昧な表現だったと思う。この段階ではまだ、蓮に対する好意を、菫は私に告白してくれてなかったから。


「それだけ」といって彼女は眉尻を下げた。「美登里ちゃんには内緒にしといてね」

「そりゃ、もちろん」


 言うはずがない。美登里が不機嫌になるのは目に見えていたから。

 同時に、菫と坂本君がもし付き合えば、菫の恋は頓挫して、私にとって有利な材料になるんじゃないか。そんな、浅ましい算段すら立てていた自分を恥じた。


 それから時は流れ六月の頭。美登里は坂本君にアタックを敢行し、二人は無事交際に至る。

 めでたしめでたし。

 本来であれば、話はここで終わるはずだった。


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