第二章「霧島七瀬」

【始まり~Case02 霧島七瀬~】

 三〇分ほどバスに揺られて下車すると、学校まで至る市道を歩いていく。

 通勤ラッシュ時の市道は、車の往来がとにかく多い。通勤を急いでいる車の列が、左手側にずらっと並び、右手側には蕾を付け始めた桜の木が、こちらも整然と一列に並んでいた。

 雲間から真っ直ぐ伸びた朝日がなんだか眩しくて、私は何度か目をしばたかせた。

 宮城県仙台市せんだいしは、東北地方ではあるが、太平洋側なので雪は殆ど降らない。桜の開花も比較的早い。

 それなのに――季節外れの雪が、銀箔の空からちらちらと舞い降りてきた。

 珍しい、と思いながら右の手のひらで受け止めると、指先に触れた雪がすっと溶けて消える。

 薄れゆく、過去のように。

 散ってゆく、夢のように。

 儚く消える、粉雪。

 ここまで来て私は、これが夢の光景なんだと気が付く。


 この日私は、独りぼっちで通学路を歩いていた。


 見晴らしの良くなった左側に、もう、隣を歩くことの無くなった親友の姿を思い描いた。伝えられなかった謝罪の言葉と、途絶えてしまった関係からくる行き場を失った後悔とが、ごちゃ混ぜになって虚しく脳裏を駆け巡る。


 ──ごめんなさい。


 たった一言。

 たったそれだけが言えなかった私。

 あの日背負った罪の十字架は、何年経っても私の背に載ったまま。

 今の私は、あの頃よりずっと大人になって、子どものころからの夢だってちゃんと叶えた。過去に犯した罪とも向き合い、懸命に前だけを見据えて歳を重ねた。

 そう思っているはずなのに、ふとした瞬間にあの日の後悔が蘇って、胸をきゅう、と締め付ける。

 大切な親友に嘘をつき、傷つけ、二人の恋路を台無しにした私。

 あの日を境に親友はただのクラスメイトに変わり、私の初恋は決して叶わぬ夢となって泡のように消えた。


 あの日、親友とちゃんと向き合っていれば。


 自分の心と、ちゃんと向き合っていれば。


 未来はもっと、光り輝いたものになっていたのかもしれないのに――。



『拝啓、霧島七瀬きりしまななせ様』



 いかにも自分らしい、堅苦しい書き出しの文章が頭のなかに浮かんだ。

 あんな手紙を読んで、過去のしがらみを思い出してしまったから、だろうか?

 こんなに不思議な体験を、してしまったのは。



「どう……なってんの」


 夢じゃないのかな。鏡を見ながら、自分の頬をつねってみた。

 間違いない。ここは私の部屋だ。

 とはいっても、今住んでいるアパートではなく、実家にある私の部屋なのだが。

 ハンガーに掛けられているのは白いセーラー服。背中まで伸ばされていた髪はすっかり無くなり、肩にうっすらとかかるミディアムボブ。元々細めだった手足はより細くなって、ちょっと動いただけでも明白なほど身体が軽い。


「どう、なってんの?」


 もう一度、鏡の中の自分に問いかける。


 ──そんなの、こっちが聞きたいくらいだよ。


 戸惑いを隠せない顔でこちらを見つめる、鏡の中の私と目が合う。鏡に映っているのだから当然自分だ。でも、これはいくらなんでも幼すぎる。

 中学生くらいか、と思ったそのとき、今より若々しく感じられる懐かしい母の声が、階下から響いた。


「早く起きなさい七瀬! 遅刻しちゃうでしょ」、と。



 私は全てを知っていた。菫がなぜ、事故に巻き込まれたのかも。いま、どうしているのかも。けれど、蓮に全てを伝えることは出来なかった。あまりにも残酷すぎて。同時に、怖くて。

 こうしてまたひとつ、私は嘘を積み重ねたのだ。

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