第一章「三嶋蓮」

【雨の日だけいる女の子~ Case01 三嶋蓮~】

「雨……か」


 重々しい鉛色の空から降り続いている雨を、バスの窓からぼんやりと見つめる。俺は、雨の日が嫌いだった。

 人の力ではどうにもならない自然の摂理。こういった、自分の力ではどうにもできない理不尽なものの全てが、俺は嫌いだった。なんて、理屈をこねてもみるが、結局のところ、あの辛い記憶を思い出してしまうから──だろうか。

 バスを降りて傘を差すと、ため息をひとつ落としてから自宅の方に足を向けた。

 丁度その時のこと。道路を挟んだ対向車線側のバス停に、俺の目がくぎ付けになった。

 バス停の奥に、屋根付きの待合室が建っている。悪天候のため、ヘッドライトを点灯させて走る車から伸びた光が、雨に濡れた木造の屋根と壁とを、幻想的に輝かせていた。

 そんな待合室の前、佇んでいるのは一人の少女。

 降りしきる雨の中、傘も差さずに頭からびしょ濡れになって。


 傘を持っていないのなら、せめて待合室の中に居れば良いのに。


 頭のオカシイ奴だ、と俺は思った。

 こんな妙な女の子には、関わり合いにならない方が良いだろう。即座に視線を外して歩き始めたのだが、結局、俺の足は止まってしまう。

 なぜだろう。関わっても得るところはないぞ、と頭では理解できているのに、その女の子が無性に気になってしょうがない。

 ──どうなってんだ、と悪態をつきながら、車道を横切って向かい側のバス停留所まで移動した。


「なあ」と声をかけてみると、彼女は「はい?」と反応してこちらに顔を向けた。


 良かった。完全に頭がイッているわけでもなさそうだ。

 若干あどけなさの残る顔立ちを見るに、中学生くらいだろうか。清純なイメージの、白いセーラー服を着ている。

 髪は、肩口に掛かるかどうかのショートボブ。くっきりとした二重瞼が印象的な、可愛らしい女の子だった。

 雨の中、傘も差さずに立っていたものだから、セーラー服の上着はぐっしょりと濡れ、下着が完全に透けてしまっていた。

 なんなんだこの子……無防備だなあ、と呆れてもしまう。


「こんなところで、何をしているの?」

「バスを待っているんです」


 その少女は、屈託なく笑ってみせた。まあ、そりゃあそうか。ここはバス停なんだからな。

 でもよ、下着が透けたままの格好でいるのは危険だぞ? 性欲にまみれた男にイタズラされても知らねーぞ? たとえば、俺みたいなのに。


「バスを待っているのはいいけどさ。傘くらい差せよ。風邪ひくぞ?」


「雨?」と言いながら、彼女は右手を広げてみせた。

 開いた手のひらに、雨粒が落ちる。ぱたぱた……ぱたぱた……。もちろん音なんて聞こえない。だが、雨音が響いてきそうなほど、情景はスローモーションで流れた。

 それから彼女は、濡れた前髪を指で引っ張りながら、ああ、と首肯しゅこうした。


「そうですね。濡れちゃってるみたいです」

「もしかして君、ちょっと天然入ってる?」


 これには嘆息してしまう。


「ところでさ、君、どこのガッコ?」

櫻野さくらのです」

「ああ……私立の」


 霧島とか森川が通ってたところだ。あの学校って、何気に顔面偏差値高いんだな。

 まあ、そんなことはどうでもいい。このままずぶ濡れの中学生を、置いて帰るのも気が引ける。


「傘、貸してやるから、使え」

「え、良いんですか?」


 彼女はキョトンとした表情で俺を見上げた。

 身長もあまり高くないな。一五〇センチあるかないか、ってところか。


「当たり前だろ。そのままじゃ、ガッコ着くまでにもっと濡れちまうだろが。返すのはいつでも構わないからさ」

「ありがとうございます」と言いながら、彼女は傘を受け取った。


 傘を広げてすっと頭上に掲げると、彼女は最初に見た時と同じように、物憂げな顔で正面を見据えた。

 なんか変な奴だな。そう思いながらも、目的を達成した俺は歩き始める。

 一度だけ振り返って見ると、やはり彼女はぼーっとした表情で前だけを見ていた。

 ……と言うかさ。俺は大学をサボって来たから良いとしても、あの子は何で昼前の時間帯にバス停にいるわけ? 何か事情があって、遅刻でもするのか?

 そのまま暫く、少女に視線を奪われていた。それこそ、自分でも不思議なくらいに見入ってしまった。


 ん~……よくわからん。考え事は、苦手なんだよな。


 面倒な思考は、切り上げてまた歩く。

 歩きながら、なんとなく腑に落ちた。どうして俺が、あの女の子に声を掛けてしまったのか。


「どっか似てるんだよな。森川菫もりかわすみれに」


 ――ずっと、忘れられない恋がある。

 七年前から、繰り返し思い出してしまうその記憶は、間違いなく俺の初恋だった。

 好きだった女の子の名前は、森川菫。

 今でも俺の思い出のなかで、彼女は、十四歳の姿のままで生きている。

 

 Case01 三嶋蓮

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る