第26話  歪む弾道





 物陰に隠れるモンスター。崖下に居る龍已と妃伽を虎視眈々と狙っている。上位寄りの下位という微妙な位置づけであるパーレクスを無理矢理従えさせていた、歴とした上位のモンスター。妃伽にはまだまだ早すぎる相手。


 そのモンスターは龍已と妃伽のことを狙いつつ、どちらをメインに狙うかを思案していた。習性からして狙うとすれば女である妃伽だろう。しかし他にも龍已が居る。邪魔な奴から先に消してしまうか、妃伽を狙って戦闘不能にしてから龍已を狙うかの2択だった。


 さて、どうしようかと考えるモンスターは、フードに隠れて見えない龍已に見られた気がした。上を見上げ、ジッとこちらを見ている。妃伽は周りを警戒しているというのに、龍已だけが隠れて身を潜めているモンスターに視線をずっと向けている。


 人間にとってモンスターとは、命を脅かすモンスターそのもの。ただ、モンスターにとってのモンスターとは黒い死神である龍已になる。いや、その考えすら烏滸がましいのかも知れない。彼は黒い死神。モンスターを必ず狩猟する最強の狩人であり、平等な死を齎す死神なのだから。


 隙は一切無い。居場所が既に割れている。見られている。バレている。1度気がつくと、底知れないナニカを感じ取る。本能的な、純粋なまでの恐怖。数多のモンスターが彼の手により殺されたことで、覇気が伝わってくるのだ。鋭く重い、殺意の覇気が。


 モンスターは無意識の内に、口から毒液を吐き出していた。岩に穴を開ける事も可能な強酸性の毒液。戦う際には後まで取っておく手だが、龍已の並外れた気配を感じ取り死を直感したからこそ、考えるまでもなく使用した。


 狙い通りに飛んでいく毒液に、全く気がついていない妃伽。龍已を狙ったものにしろ、傍に居る妃伽にも当たる可能性がある。彼は隣に居る彼女を抱き寄せると肩に担いでその場から大きく跳躍した。突然のことで妃伽は目を白黒している。人一人抱えて4メートル近い跳躍をした彼の身体能力の高さに1番驚いているようだが。




「ちょォ……っ!?何だってンだよッ!?」


「周囲の警戒をしていながら、何故気づかん。お前もあのようになるところだったぞ」


「あんな風にって……──────めっちゃ溶けてんじゃねーか!?」


「はぁ……」




 肩に担がれながら体を捻って先程まで自分達が居たところを見ると、飛んできた毒液が地面を溶かしていた。円形に抉れているところを見て驚きながら絶句している。どこから飛んできたのかと辺りを見渡すも、やはり視界に捉える事が出来ていない。次の修業はそこら辺を鍛えるか……と密かに考える龍已。


 溜め息を吐きつつ、妃伽をその場に降ろす。これから戦闘になると察して彼の背後へ少し距離を取って下がる彼女に、このモンスターの相手は自分がやると言っておく。分かっているとは思うが、もし万が一突撃されても困るからだ。


 毒液を避けられたモンスターは、崖の上から降りてきた。深緑色をした甲殻に覆われた芋虫のような形の体。背中の部分から生える4枚の蝶のような羽。体の末端から伸びる長い触手。口は丸く、中側には鋭い牙が所狭しと並んでいる。目は赤く円形で、12個ついている。涎が垂れ、地面に落ちると音を立てながら溶ける。唾液にすら酸性の毒が含まれているようだ。




「師匠。あれなんつーモンスターなんだ?」


「あれは“パルバリー”だ。これが人間の女をパーレクスに攫わせていた、歴とした上位のモンスターだ。お前にはまだ早い。いや、そもそも相性が悪い」


「飛ぶからか?」


「そうだ。奴は基本的に空中から攻撃を仕掛けてくる。適材適所だ。距離を開けて攻撃してくる奴には、俺のように遠距離攻撃ができる者の方が有効的だ」




 2対4枚の羽を持つパルバリーは、全長6メートル近い体格を持ちながら、軽やかな飛行能力を見せた。羽ばたく度に強い風圧が発生している。地上から10メートルは離れたところを浮遊し続けており、近距離武器を扱う妃伽には手の出しようが無い。ただ、龍已は銃を使うため飛んでいようが関係無い。


 撃って終わり。そう思っていた妃伽は、体の前面に叩きつけられる羽ばたきの際に発生する風が強くなっていくことに気がついた。ばさりと羽ばたく度に、風圧が増していく。体を少しずつ前傾姿勢にしなければ後ろに下がってしまいそうになる。


 腕を前に持ってきて顔を防御しながら、発生源であるパルバリーに見やる。高度はそのままに、力強く羽を羽ばたかせて風を発生させていた。大きな体を浮かせるにはそれ相応の羽の大きさが必要になる。そんな大きな体羽を使えば、人を吹き飛ばすことなど訳ない風を生み出せる。


 踏ん張ってどうにか持ち堪えている妃伽は、パルバリーの次の行動で瞠目した。風を発生させながら、首を振って唾液を撒き散らしたのだ。地面を溶かす酸性の毒がある唾液。それらが強風に乗って流されてきた。触れれば肉が溶ける。数秒後の爛れた肉を引き摺る自分を幻視してしまった。


 広範囲に、細かく飛ばされた唾液が飛んでくる。当たれば死にはせずとも動くことなどできない。そんな攻撃が届くよりも先に、龍已が離れていた妃伽の所へ向かって駆けていた。また担がれればいいのか、それとも後ろへ逃げればいいのか解らない。一瞬行動を悩んだ彼女だが、何もする必要は無かった。




「──────シイィィ……ッ!!」


「ぅ……おっ!?」


「此処に隠れていろ。顔は出すな。唾液を浴びれば肉が溶けるぞ」


「ほ……ぉ……ぉぅっ」


「……声が小さいぞ。聞こえているのか?」


「き、聞こえてる聞こえてる!」




 ──────私のバカみてェにうるせぇ心臓の音がなぁッ!?




 駆け寄りながら妃伽の元に辿り着く寸前で、地面に踵落としを叩き込んだ龍已。大きく亀裂が入り、地面が捲れ上がった。4メートル程の捲れた地面が起き上がって盾になり、妃伽と龍已を酸性の唾液が含まれる強風から守ってくれた。普通の人間にはそんなことできねーよ!?と心の中でツッコミを入れたのも束の間。


 再び龍已に抱き寄せられて、彼の腕の中に収まった。捲れ上がって盾になっている岩に背を預けて風が、しっかりと遮られている事を確認している龍已の腕の中にスッポリと入り込んでいる妃伽は、背中に回された腕と、後頭部に添えられた手の感触に、遅れてから目をグルグルと回していた。


 パルバリーの唾液が万が一にも妃伽に当たることを避けて抱き寄せられて腕の中に収められていることは、十分理解している。理解しているが、だからと言って何も思わないほど女を捨てていない。ましてや、背中に回された逞しい腕と、頭に添えられた手が彼の胸板に押しつけてくる。


 同年代よりも大きく豊満な胸が、彼に押し付けられてジャージの中で柔らかく形を変えているのが分かってしまう。とんでもなく恥ずかしい状態になっている所為で、心臓がうるさい。早くこの状態から解放されようとしてもできない。何故なら、抱き寄せられた時に勢い余って、彼の背中に両腕を回して自分からも抱きついていたからである。


 暑い……いや、熱い。何が?ほぼ全身が。特に顔が。妃伽は自分からも抱きついていることに驚愕して、驚きすぎて声にならない悲鳴を上げながらゆっくりと離れた。安全が確保出来ていることが分かったので、龍已も彼女を解放した。俯いている妃伽の金色の長髪の隙間から、真っ赤になった耳が覗いているのに首を傾げる。




「どうした。何かあったか?」


「……何か大アリだわ。何で毎回良い匂いすんだよ……ムカつく。わ、私の心臓うるせーし……。……鉄仮面。変態。スケベ。黒い死神。師匠のバカやろう……」


「意味が分からん」




 何故か分からないのにスケベ呼ばわりされていることに、もう一度首を傾げてから走ってくる途中で納めていた姉妹銃をレッグホルスターから取り出す龍已。頭を何度も振って頬を両手で叩き、気を紛らわせて戦闘中であることを理由に気を引き締め直す妃伽。


 現状、岩のお陰で強風も、それに乗って飛んでくる酸性の唾液も当たることは無い。しかし逆に言えば当たることはないが攻撃もパルバリーには当てられないということになる。これでは近づけないし、岩の陰から出ることも出来ない。それに加えて、岩は唾液によって少しずつ溶けて薄くなっている。その内溶けて穴でもできることだろう。そうなれば次に溶けるのは、岩よりも脆い妃伽達だ。




「師匠、こっからどうすんだよ。岩の陰から出たら溶ける。けど出ないと攻撃できねぇ。八方塞がりじゃねーか」


「普通ならばそうだろうな。時に巌斎。銃の弾はどのように飛んでいくと認識している?」


「弾ァ?そりゃあ、真っ直ぐだろ」


「重力により距離が伸びれば弾道は下がるが……概ねそうだ。しかし、必ずしも直線上にしか飛ばないと思うか?」


「いや、だって銃の弾だろ。真っ直ぐにしか飛ばせなくね?」


「そんなことは無い。とは、誰も決めていないし、定めていない。万人がそのようにしか飛ばせないから、自然とそういう先入観を持ってるだけだ」


「……師匠は違うってか?」


「狩人とは、健全なる肉体に知力を加え、高めた技を以て為す。真っ直ぐ飛ばすだけの狙撃だけの一芸では、黒い死神と呼ばれない」




 銃の弾は真っ直ぐに飛んでいくのが一般的な考えだ。実際そうなのだから、何も間違ってはいない。しかし、それで全てという訳でもない。どんな世界にも、他者にはおいそれとは真似できない絶技を体得する極めた者達が居る。黒い死神、黒圓龍已もその1人だ。類い稀なる正確無比な狙撃。銃の腕と才能を持ちながら、鍛練を積み極め上げた力。


 それによって体得した技術とは、曲線を描き歪む弾道だった。両手に握った姉妹銃を、背後から前方に掛けて勢い良く振り、その過程で何度も引き金を引いた。発射された計16発の弾丸は真っ直ぐに飛んでいく……と思いきや、弧を描いた。


 パルバリーが発生させる強風を横断して強風の領域から脱すると、弧を描きながらパルバリーの方へと進んで行った。完全な安全地帯からの銃撃。中に小型爆弾を搭載した弾丸はパルバリーに着弾。更には、甲殻の僅かな隙間に入り込んで肉に埋め込んだ。そして、爆発。


 連鎖的に16発の弾丸が爆発を起こし、パルバリーの硬い甲殻を内側から弾き飛ばし、肉を抉り、背中に生えた羽を毟り取った。羽をもがれて飛べなくなり、地面に落ちてきて地響きを鳴らした。絶叫を上げて、本当の芋虫のように藻掻いている。血の混じった毒性の唾液を撒き散らし、周囲を無作為に溶かしていた。


 強風が止んで、岩の陰から出てくることが出来るようになった。龍已に続いて陰から出て来ると、かなり薄くなってしまうくらい溶かされた岩や、溶けて変形している地面を見て、モンスター1匹の凶悪性に息を呑む妃伽。


 龍已は少しずつ弱って動かなくなっていくパルバリーを見ながら、左脚のレッグホルスターに一丁の黒い銃を納め、もう一丁の銃のマガジンを外した。腰の後ろで別のマガジンと交換して填め込みスライドを引いて弾を装填する。目の前まで来て銃口を向ける龍已に、パルバリーは力無く、弱々しい声で鳴いた。助けてくれと言うように。




「──────死して悔い改めろ」




「……すげぇ」




 1発の発射された弾丸は、パルバリーの脳天に叩き込まれ、内部で爆弾が炸裂して頭を吹き飛ばした。体は全く動くことはなく、パルバリーは狩猟された。モンスターにとってのモンスター、平等な死を届ける死神の手により狩られたのだ。


 弾道を曲げるという絶技に、妃伽は無意識に凄いと口にしていた。銃について素人でも解る。普通は出来ない。それに加えて距離があり、強風があった場所を通らせることも計算して撃ち、パルバリーの硬い甲殻を避けて隙間を狙った。16発の弾丸全てを外すことなく、1回で決めてみせた。


 龍已が居らず、自分1人でパルバリーの相手をする必要があったら、どうしていただろうか。どうやって戦っていただろうか。考えても、勝つ場面を思い浮かべるのは難しかった。想像すら上手くできない相手を、自身の師匠は軽々と狩猟している。こんな彼から教えられていると実感できると、胸が締め付けられるような想いが込み上がってくる。




「これで、ホントに目的のモンスターは狩猟完了だよな?実は~とかねーよな……?」


「あぁ。今回はパルバリーが狩猟対象だからな。もう狩る奴は居ない」


「よっ……しゃーッ!狩猟完了だァ────ッ!!お疲れ様だな師匠!」


「お疲れ様。だがまだやることはあるからな」


「分かってる!攫われた人達だろ!?生き残ってる奴が居れば良いけど……」


「パルバリーはパーレクスに獲物を見張らせていた筈だ。つまり、居る可能性が最も高いのは洞穴の中だ」


「りょーかい!」




 後ろから大型トラックが走ってくる。回収屋である倉持達の出番である。龍已からの戦闘終了の連絡を受けて、狩猟されたパーレクスとパルバリーの死骸を取りに来たのだ。全部で3体ではあるが、一体一体が中々の大きさをしているのでトラックの荷台は一杯になるだろう。


 連れて来た部下達と手分けして荷台に乗せる作業を開始したのを見届けてから、妃伽と龍已は洞穴に歩みを進める。連れ去られてしまった女達が居るとしたら、この洞穴だろうとのことなので捜索である。生きているならば連れ帰って欲しいというのが依頼なのだから。


 妃伽は数人くらいならば生きているのではと考えていた。1ヶ月前に1名。2週間前は3名。1週間前は5名。今週だと既に7名という。1ヶ月前だとかの被害者は流石にもう助からないとは思うが、今週に攫われてしまった人達は助けられるのでは?という考えを抱いていたのだ。




「なんだよ……これ……」


「モンスターに襲われた人間が、必ずしも食われて終わるだけとは限らない。狩人になれば、何度も目にすることがある。目に焼き付けておけ」


「……っ…うっぷ……ッ」




 洞穴へ龍已と一緒に行った妃伽は、中を覗き込んで見た光景に口を押さえた。人が最も死ぬ職業である狩人。狩人も一般人も関係無い。モンスターに襲われて死んでしまう。そして、その死に方や晒される死体は大抵目も当てられない状態であることが常なのだ。






 見慣れること自体推奨されない。しかし慣れないとやっていけない。妃伽はモンスターにやられた人間の末路をまたしても目にしたのだった。







 ──────────────────



 パルバリー


 甲殻で覆われた芋虫のような胴体に、背の部分から生えた巨大な2対4枚の蝶に似た羽が特徴のモンスター。人間の女を積極的に襲う傾向があり、口から吐く唾液には酸性の毒が含まれる。胴の末端から伸びる触手は基本的に攻撃には使わない。


 上位として登録されているモンスターで、胴体の甲殻は硬く、加工すれば強い武器にも防具にもなるため高値で取引される。





 黒圓龍已


 弾道を曲げて相手を狙い撃つという絶技を息をするように行うことができる。正確無比であり、滅多に使わず、それを目撃する者も少ないので知っている者は意外と少ない。つまり、それを生の至近距離で目撃できるのは妃伽の特権。


 妃伽は初めて会った時には、モンスターに食われる人間を見た筈だが、意識が朦朧としていただろうから印象はそこまで強くないと思われた。だからこそ、狩人として見慣れてはいけないが慣れておかなければならない光景を見せた。





 巌斎妃伽


 銃弾の弾道をひん曲げることできんのかよ……と驚いた。銃に関しては専門外なので素人目からの感想になるが、龍已ができることが並外れたものであることは理解しているつもり。


 初めて龍已に命を救われた時に、人がモンスターに襲われるとどうなるかを目撃している。だが、まだ慣れてはいない。人が死ぬという場面は殆ど見てこなかったので、耐性ができていない。




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