第百三十三話 烏の嫉妬【後】

 黒皇ヘイファンの寝顔は、きわめて貴重なものだ。

 ソーシャルゲームでいう、SSR級。

 それが、ほぼ零距離にある。


「わぁ、おひさまがまぶしいなぁ」


 思わずこぼれた声が、かすれてしょうがない。

 たがいの素肌を余すところなくふれあわせるかたちで、密着しているのだ。

 意識が冴えてきても、早梅はやめはどうも寝台を抜け出す心境にはなれない。どうせ無理だとわかっているので。


「黒皇、起きてるでしょ」

「……ばれましたか」

「寝てるにしては、抱く力が強すぎなのよ」


 黄金の隻眼がひらく。こちらも早梅を映し出して、まぶしげに細まった。


「おはようございます、早梅さま」

「おはよう」

「お加減はどうですか?」

「うん、まぁ……ぼちぼちかな」


 明け方近くまで好き放題をされたように思う。途中で記憶が飛んでいるため、最後のほうは覚えていないが。

 とはいえ、ふだん無表情な黒皇が顔を蕩けさせて、ほほをすり寄せてくるところを見ると、一応無理をさせた自覚はあるらしい。


「早梅さまが可愛らしいので、がまんできませんでした。ごめんなさい」


 黒皇が甘えながら謝るそれは、後朝の常套文句になりつつある。


「早梅さま」


 しばし唇で早梅の胸もとや鎖骨をくすぐっていた黒皇が、蜂蜜よりも甘い声で名を呼んで、吐息を近寄せてくる。


「んっ……んぅ」

「早梅さま……っは」

「ふぁ、んんっ……」


 唇と唇は吸いつくように重なり、角度を変える間にいつしか濡れそぼる。

 どちらともなく絡めた舌。ちゅくちゅくと唾液をかき混ぜる水音が、鼓膜をじかにふるわせる。


 衣ずれとともにむすんで、ひらく、素足のあやとり。

 そのうちに、ずしりとした圧迫感が覆いかぶさり、熱い男のからだを押しつけられる。


「ごめんなさい……もう一度だけ」

「あっ……」


 低くささやいた唇が、早梅の左の耳朶をやわく食む。

 これからおのれを満たすであろう熱を思って、早梅の下腹部がじくりとうずく。

 早梅にできるのは、羞恥に悶えながら、まなじりに滲む朝露をすくい取る唇の感触を受け入れることだけだった。



  *  *  *



 昨日からいろいろあったが、一応は『手加減』をされたおかげで、早梅も腰砕けになることは免れた。

 黒皇が用意してくれた洗水すすぎで念入りにからだを清め、着替えから髪結いまで手伝ってくれる。

 いつもよりえりの大きな装いになってしまったのは、致し方ない。


 だれかさんによる気だるさは残るものの、この日の早梅は少なからず胸をおどらせていた。というのも。


「絶好のおでかけ日和だね!」


 燈角とうかくの街へやってきて一週間。きょうは特別な記念日である。

 青く澄んだ空を楽しむように、回廊を進む歩調はゆっくり。このとき、いつもであれば、早朝の鍛錬を終えた六夜リゥイ五音ウーオンとあいさつを交わすころなのだが。


「メ・イ・シェ・さまっ!」

「うん? うわぁっと!?」


 たったったっと、軽快な足音が近づいてきたかと思えば、庭のほうから朱欄しゅらんを飛び越えてやってきた人影が、早梅へ飛びついてきた。


「おはようっ、梅雪メイシェさま!」


 早梅がぎょっとして見れば、まばゆい笑みをはじけさせた黒髪の青年に、ぎゅうっと抱きしめられている。

 どこか見覚えがある。六夜と似ている気がするが、はて、彼に兄弟はいただろうか。


「おはようございます……ところで、どちらさまかしら?」

「もう、俺のことわかんないの?」


 黒髪の青年は、知ってるくせに、とでも言わんばかりだ。

 むぅ、と唇をとがらせたあざとい顔を早梅に寄せるので、「失礼ですが」と間に入ろうとする黒皇だが、さらなる乱入者がそれをゆるさない。


「ちょっと八藍バーラン! 抜け駆けはやめてよ!」


 黒髪の青年がやってきた方角から、こんどは茶髪に黒毛のまじった青年が猛然と駆けてきた。

 彼も庭石を蹴って軽々と朱欄を越え、あっけにとられる早梅の目前へ華麗に着地した。


「へへーん、おまえの足が遅いんだよ、九詩ジゥシー

「うるさい脳筋ばか! ねぇ梅雪さま、こんな運動くらいしかできないばか八藍より、僕のほうがいいよね?」

「八藍、九詩……へっ、あれっ?」


 口論しながら詰め寄ってくるふたりは、六夜や五音に似ているなぁ、と思っていたが、まさか。


「君たち……藍藍ランランと、詩詩シーシー!?」

「うん、そうだよぉ」

「うそ……きのうまで、あんなにちっちゃかったのに!」

「獣人はねぇ、成人すると、からだがぐーんと成長するんだよ」

「ちなみに猫族の男は、十三歳が成人。はいっ、きょう誕生日の俺たちがそうです!」

「なんというミラクル……」


 つい昨日まで早梅の胸もとくらいの背丈しかなかった少年たちが、いまや見上げるほどの青年へ様変わりしたのだ。


 外見年齢は現代の中高生ほど。六夜や五音たちとほとんど変わらない。兄弟だと言われてもまったく違和感がない。

 声変わりだってしている。劇的ビフォーアフターにもほどがあるのでは。


「梅雪さま、八藍だけずるいよ。僕もぎゅってしていい?」

「俺が先にあいさつしてるの! 割り込むなよ!」

「はわわ」

「おい八藍、父さん命令だ、そこかわれ。梅雪ちゃーん、おはよー!」

「こらこら、寄ってたかって押しかけない。もっと紳士的に接さないと。おはようございます、梅雪さま。きょうも可憐で見惚れてしまいます」

「ひぇ……」


 からだだけは大きくなった双子だけでも大変なのに、そこへ父親たちも参戦してくる。

 黒とキジトラ。計四匹の猫たちにまみれた早梅は、目を回しかけている。


 しばし眉間をおさえた黒皇は、咳払いをひとつ。その背に、ずず……と濡れ羽色の翼を生やし、


「みなさま、私、あるいは青風真君せいふうしんくん、あるいは旦那さまに吹き飛ばされたくなければ、お早めに梅雪お嬢さまから離れていただくことをおすすめします」


 と、低くうなった。

 黒皇の後ろには、凍てつく怒気をまとった晴風チンフォン桃英タオインが、たたずんでいた。

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