第百二十七話 猫の思惑【中】

 もし仮に桃英タオインたちが『生き返った』とするなら、そんなことをなし得る人間がほんとうに存在するのか?

 存在したとして、なぜ桃英たちを救ったのか?


「考えれば考えるほど、わからない。だが……おそらく一心イーシン殿は、真相をご存知だ」

「一心さまが……? マオ族が関係しているということですか?」

「あくまで推測だが。彼は突然現れて、私たちを『獬幇かいほう』へ勧誘したんだ」


 獣人による互助組織へ、人間を勧誘する。

 ふつうに考えても、妙な話だ。


「実際は勧誘というより、保護目的のほうが大きかったようだが」


 話を聞くに、桃英が目を覚ましたのは幽山ゆうざん早梅はやめ央原おうげんへやってきてはじめて目にし、憂炎ユーエンと出会ったあの山のことだ。

 目覚めない桜雨ヨウユイをかかえ、身動きの取れない桃英の前へあらわれた一心は、百杜はくとの地がすでに焼け野原であること、そして山をくだった麓の街も同様であることを告げた。


深谷しんこくの街が、襲撃された後のことか……!)


 おそらく飛龍らは、ザオ家襲撃より以前に明林ミンリンと接触している。

 だからこそ、早家で梅雪メイシェを取り逃がしても、明林に足止めをされていた早梅へ追いつくことができたのだ。

 そして深谷に、火は放たれた。


 用意周到かつ、冷酷無慈悲。それがルオ飛龍フェイロンという男なのだ。

 あらためて思い知らされ、早梅は薄ら寒さをおぼえてしまう。


「私は梅雪をさがしていて、一心殿は紫月ズーユェをさがしていた。そこではじめて、深谷の街をあの子がおとずれていることを知ったんだ」

「っ……!」


 わかりきっていたことだった。

 そこに核心がある以上、いつかはふれられるだろうことは。


「梅雪、紫月は──」

「……私は深谷で、紫月兄さま、そして黒皇ヘイファンと再会しました」


 桃英は口をつぐむ。そして静かに、瑠璃色の瞳で、早梅に続きをうながした。


 深谷へ向かう前、憂炎というラン族の少年と出会ったこと。

 あやまって憂炎に噛まれてしまったこと。

灼毒しゃくどく』を解毒するために、紫月がもっていた最後の『千年翠玉せんねんすいぎょく』を分け与えてくれたこと。

 そして紫月とともに『獬幇』支部へ向かう途中で、飛龍らに襲われたこと。


「私と憂炎を逃がすために、紫月兄さまはひとり残って……それで、紫月兄さまは飛龍に……」


 早梅はすべてを、ありのままに話す。


「紫月兄さまは、もう、いないんですっ……!」

「……梅雪」

「いないって、一心さまにつたえなきゃなのに、わたし……っ!」


 早梅の告白を耳にして、取り乱した様子がないのは、心のどこかで、桃英もわかっていたからなのだろう。


「梅雪、紫月は最後に、なんと言っていた?」

「それは……」


 飛龍と対峙した紫月が、早梅と憂炎を逃がすさなかに、口にしたのは。


「『愛してる』……と」


 ──愛してる。おまえだけを、ずっと。


 月明かりをあびながら、そう言った紫月の美しいほほ笑みが、忘れられない。


「そうか。……そうか」


 噛みしめるようにくり返した桃英の声も、わずかにふるえている。


「あの子は……しあわせに、生きることができたんだな」


 紫月がいてくれたからこそ、早梅はここにいる。

 桃英や桜雨と、ふたたびめぐり合うことができた。

 紫月が、つないでくれたのだ。


「梅雪」


 おだやかに早梅を呼んだ桃英が、そっと肩にふれる。


「何度蹂躙されようと、一族の、私たち家族の希望が、ついえることはない」

「おとう、さま……」

「紫月はいるよ。私たちのこころのなかに」

「っ……お父さま……はいっ……!」


 抱きしめてくれるひとがいる。

 たいせつなひとが、そばにいる。

 だから生きることを、決して諦めはしない。


 きつく抱き合う早梅と桃英をまぶしげに見つめていた黒皇は、そっと視線をはずす。


青風真君せいふうしんくん、すこしよろしいですか」


 彼らだけに、とでも言いたいのだろう。


「へいへい」


 みなまで言われずとも心得た晴風チンフォンは、黒皇に続いて室をあとにする。

 つい蓮虎リェンフーまで連れてきたことに気づいたが、せっかくの親子水入らずの場にもどるのはためらわれるし、泣き虫坊主も眠りこけているからいっか、と歩みを再開した。


梅梅メイメイの父ちゃん、男前じゃん」

「えぇ、旦那さまは素晴らしい方です」

「おい、旦那さま『は』ってなんだよ」

「青風真君こそ、遠回しの自画自賛はやめてください」

「可愛くねぇな」

「もし梅雪お嬢さま以外に『可愛い』と言われても、嬉しくありません」

「梅梅に言われたら嬉しいのかよ」


 蓮虎を起こさない程度の声量で、しばしの応酬がある。

 これはあいさつ。本題はここからだ。


「こんな男前の晴風さんにはまったく言及されなかったんだけど、おまえが事前説明でもしてたか?」

「青風真君が早一族の祖先で、神仙でいらっしゃるということくらいは」

「ほとんどじゃん」


 ならばおのずと、黒皇の出自も知らせることになっただろう。桃英も、にわかには信じられなかったはずだ。

 それでなくとも、行方知れずだった愛娘と再会したのだ。あまりの情報量に発狂してもいいくらいだが、うまく咀嚼して消化する頭のいいやつなんだな、と桃英について解釈する。


「梅梅の母ちゃん、こんど俺が診てやるか」

「そのことなのですが、おそらく無駄だと思います」

「んだとこんにゃろー」


 平生から抑揚にとぼしい発声をするので、かなりわかりづらいのだが、黒皇は大真面目に失礼なことを言うときと、ほんとうに真面目な話をするときがある。


「奥さまのご容態なのですが……私も確認いたしました」


 晴風の直感だが、今回は後者だ。


「心当たりがあるのか?」


 まぁ、死んだはずの人間が生き返った、なんて可笑しな話が浮上している以上、の介入に着眼するのは当然のこと。


「奥さまだけではありません。おふた方からは……父上の、気配がしました」

「待て。おまえの親父さんっていうと」


 晴風の顔から、たちまちに血の気が引く。

 一瞬の間があって、黒皇は重々しくうなずいた。


「──木霞帝君ぼっかていくん。死者の世界を統べる、木王父ぼくおうふさまです」

 

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