第百四話 兄弟の絆【中】

 一羽の烏が、ひろいへやで力なくうずくまっている。

 硬く冷たい大理石に転がっても、燃え上がるような熱はおさまることを知らない。


 苦しい、苦しい。

 翼が動かせない。辛い。


 からだが熱いのは、陽功が制御できていないあかしだ。じぶんが未熟なせいだ。


(むかしからそうだ。僕が至らないせいで、みんなを不幸にする……)


 倒れ込んだ黒慧ヘイフゥイは、何周したかもわからない思考をめぐらせ、濡れ羽色の頭を垂れる。


(情けない……消えてしまいたい。でも、父上がそれをお許しにならない)


 いつ何時も、太陽たれ、と。

 黒慧が逃げ出すことを、許してはくれない。


 こんな使命は、実力に見合わぬ重責でしかないのに。


(くるしい、つらい……さびしい、さびしい)


 不調のせいで、気が滅入ってしまう。

 もう嫌だ、独りは嫌だ。嗚呼。


「あいたいです……梅雪メイシェさま」


 喉から絞り出した声も、か細く消え入って。


「呼んだかい?」

「……え?」


 とどくはずなど、なかったのに。

 黒慧が無意識のうちに名を呼んだ彼女が、そこにいた。


「夢、なのかな……」

「じゃあ、そういうことにしとこう」


 からころと、鈴のような声音が転がる。とても心地よい。

 羽毛をなでる手も、冷たくて、きもちいい。


(もっと……もっとさわってほしい)


 行き場のないこの熱を、鎮めてほしい。

 そのことで、黒慧はたちまち頭がいっぱいになる。

 熱した鉄の塊のように重いからだのことも忘れ、黒慧は夢中で翼をひろげた。


「梅雪さま、梅雪さま……」

「はは、私はここにいるよ」

「梅雪さまっ……」

「おっと!」


 烏が飛び立ったかと思えば、風が吹いて、腕をめいっぱい伸ばした黒髪の少年が抱きついてくる。

 これに早梅はやめは仰天して、まんまと文字どおり熱い抱擁を頂戴する流れとなった。


「あっつ……! すごい高熱じゃないか、黒慧!」

「くるしいんです、どうにかなっちゃいそうなんです……たすけて……ぎゅって、してください……」

氷功ひょうこうだね? いいとも、今日はすこぶる調子がいいからたんまりあげよう!」


 高熱に浮かされているのか、ぐすぐすとすすり泣く黒慧。

 しがみついてくるからだを抱きとめながら、早梅も腕をまわして、とんとんと背に規則正しく拍子をきざむ。


(梅雪さまの香りがする……やわらかい)


 ふれたとたん、すぅ……と熱が引いてゆく。

 黒慧の倦怠感がふき飛び、吐き気やめまいもおさまる。

 うそのようにからだは軽くなり、やがて残ったのは、ひんやりとした心地よさと、やわらかな感触だけ。


「きもちいい……」

「それはよかった」

「もっと……ほしいです」

「って、え? 黒慧くん?」

「もっとふれてください……僕にさわって、梅雪さま……」

「寝ぼけてるのかな? 黒慧くん、おーい、黒慧くーん!」


 ほおずりをしたら、焦ったような早梅の声が上がって。

 やけに現実的な夢だなぁと思った黒慧は、一瞬後。


「ん……あれ、えっ、あの、えぇっ!?」


 我に返る。そして早梅へ一分のすきまもなく密着していたことを理解し、かっとほほを羞恥に染め上げた。


「うそっ、なんで梅雪さまが、僕の室にっ!」

「目が覚めたかい。元気になったみたいで安心したよ。とりあえず、離してもらえるとうれしいかな? 苦しくて」

「ももも、申しわけありませんでしたッ!」


 現実へ引き戻された黒慧の行動は早かった。

 早梅からがばりとからだを離し、その流れで五体投地をくり出す。

 あまりに洗練された土下座に、早梅はぎょっとした。


「いやっ、そこまでしなくていいから! まだ本調子じゃないだろう?」

「いえ、一度ならず二度までも気交きこうをおこなうなんて……僕はなんて欲に弱いんだ。こどもができてしまうかもしれない!」

「あの、妊娠ならもうしてるからね?」

「やっぱり責任を取らせていただくしかありません。つがいになってください!」

「どうしたってその話題に行き着くのね!?」


 なぜ土下座で求婚されているのだろうか。看病にやってきたはずなのに。


「君は疲れてるんだ。ほら休もう?」

「僕は梅雪さまと結婚を……ふぁ」

「いいこだね、黒慧。よしよーし」

「番になったら、こどもができても……はぅぅ」


 抱きしめて、撫でくりまわすことで黙らせる寸法。もう力業だった。

 黒慧も早梅のやわらかな胸へ顔をうずめさせられ、その極楽の心地に意識が飛びかけた。いや、一瞬飛んでいたかもしれない。


「ねぇ黒慧、つらくない? 寝台へ横にならないかい?」

「梅雪さまが添い寝してくれるなら、いきます……」

「かわいい顔してグイグイ来るね、君」


 これで無自覚なのだから、とんだつわものである。

 とかなんとか早梅が考えていたら、ひょいと黒慧に抱き上げられてしまう。おかしい。これでも身重のからだなんだが。

 さらにいうと了承したおぼえもないのだが、ご満悦な黒慧を見上げるに、添い寝は決定事項らしい。これ如何に。


「梅雪お嬢さまは渡せないな。ごめんね、小慧シャオフゥイ


 いよいよ悟りをひらくという寸前で、たくましい腕にさらわれた。

 黒慧に抱き上げられていた早梅はいま、黒皇ヘイファンの腕のなかにいる。

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