第百十九話 烏の求愛【前】

 すよすよと、赤ん坊が眠っている。

 それはいい。眠るのが仕事なのだから。


「これ如何に?」


 早梅はやめは起き抜けで目にした光景を、よくはたらかない脳でやっとこさ処理し、かたむけた頭上に疑問符を浮かべた。

 寝台から身を起こしたそのままの状態だ。寝間着すがたも甚だしければ、髪も櫛を通していない。

 ならば身支度に取りかかればすむ話なのだが、早梅はそれができない。なぜなら。


「そんなくっつかれたら動けないよ、黒皇ヘイファン~」


 背後から子守熊コアラのごとく密着している、青年のせいである。おかしい。彼は烏のはずなんだが。

 黒皇が添い寝をしてくれるのはいつものことだ。ただ今朝はなんというか、寝ぼけているには、下腹部にからみついた腕力がいささか強すぎる気が。


「……おはようございます、早梅さま」

「うん? そうだね、あいさつはだいじだね。おはよう?」


 まだ完全に睡魔から解放されていない早梅も、どこかずれた返答をしてしまう。


(こうして黒皇がくっついてくるのは、なにかしら言いたいことがあるときだからなぁ)


 にぶいようでするどい早梅は、魔法の言葉をつむぐことにした。


「君ばっかりずるいぞ。私にもハグさせてよ」

「はぐ」


 すると、黒皇の拘束の手がうそのようにゆるんだ。

 ハグ。それが抱擁を示す異国語であることを、黒皇はもう知っている。

 となれば、早梅を拒否する理由などあるはずもない。


「朝から甘えたさんかい? このかわいいやつめ~」


 花に似た甘い香りがして、早梅が抱きついてくる。やわらかい乙女の感触がきぬ越しにつたわって、黒皇の心臓がどくりと脈打った。

 早梅に受け入れられている。その事実が、黒皇をどうもわがままにさせてしまう。


「ずっと、こうしていたいです」

「えっ今日一日? それは物理的に無理かな? 小蓮シャオリェンのお世話もしなきゃだし……」

「わかってます。言葉のあや、です」

「そーお?」


 早梅の華奢な背へ腕を回し、こんどはやさしく抱き返しながら、黒皇はほほをすり寄せる。

 そうして花の香りを堪能し、くすぐったいと身をよじる早梅のひたいやまぶた、ほほ、唇に口づけを落とすのが、黒皇の朝の日課だった。


 鳥がついばむような黒皇のスキンシップが、今朝に限ってはなぜか執拗な気がするのは、早梅の思い違いではないだろう。


「ねぇねぇ、どうしたの?」

「どうもしません。早梅さまを、ここから出したくないだけです」

「それ、わりと結構なことだからね?」

「……いまからでも、抱きつぶしましょうか」

「きゃーっ、そこで小蓮が寝てるからやめて!」

「冗談です」

「冗談のトーンじゃなかったよ!?」


 またこの烏は、大真面目になんてことを!


 朝っぱらからの爆弾発言にびっくり仰天した早梅は、「そこで蓮虎リェンフーが寝ていなかったらいい」ともとれる発言をしたことに気づかない。 

 むろん、目ざとく耳ざとい黒皇がそれを逃すはずもなく、「今度はいつ、青風真君せいふうしんくんにおぼっちゃまをあずかってもらいましょう」とひそかに考えを巡らせていた。

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