第九十九話 手繰り寄せる【前】

 青涼宮せいりょうぐうにある一室で、ふたりきり。

 すべてを語り終えた黒皇ヘイファンは、視線だけで早梅はやめの様子をうかがう。

 早梅は袖で口もとを覆い、言葉を失っているようだった。


「……弟たちを守れなかったのは、せつが至らなかったせい、それ以外にありません」


 そういって、黒皇はほほ笑む。

 とたん、がたりと大きな音を立て、早梅が椅子から立ち上がる。

 聞くに堪えない話だったろう。このまま置き去りにされたとて、黒皇に反論はなかった。


「どうして、笑うの?」


 それなのに、黒皇が覚悟したことのひとつだって、早梅は叶えてはくれない。


「聞いていた私がこんなに悲しいのに……黒皇が悲しくないわけ、ないじゃないか」

梅雪メイシェお嬢さま、」

「やめてくれ……ほかでもない黒皇が、その痛みにふたをしないでくれ!」


 早梅が泣いている。桃色の唇を噛みしめ、瑠璃の双眸から、ぼろぼろと大粒の雫をこぼしている。

 これに黒皇は、大きく動揺した。


「申し訳ありません、お見苦しい話を……」

「なんですぐ謝るんだよ、ばかっ!」

「お嬢さま──」


 はたと呼吸を止めた黒皇は、そのときなにが起こっているのか、すぐに理解ができなかった。


 ふわりと香る花の香り。やわらかい感触。

 黒皇は抱きしめられていた。椅子に座っていたために、歩み寄った早梅に引き寄せられ、その胸へ顔をうずめさせられるかたちとなる。

 黒皇の鼓膜をふるわせる早梅の鼓動は、トクトクトクと、すこしだけ足早だ。


「ねぇ黒皇、守れなかったんじゃなくて、守ってもらったんだよ」

「……どういう、ことでしょうか」

「弟たちが、命懸けで守ってくれた。それってさ、命懸けで黒慧ヘイフゥイを守った黒皇と、おなじ想いだったからじゃないの?」

「おなじ、想い……」

「黒皇はなんで、黒慧を守ったの?」

「……もう小慧シャオフゥイに、傷ついてほしく、なくて」

「うん、それで?」

「生きていれば、いつか幸せを、見つけられるはずだから……生きて、生き抜いて、ほしくて」

「じゃあその黒慧が、じぶんを責めて、辛そうにしてたら、どう思う?」

「悲しいです……とても……」

黒俊ヘイジュンたちも、そうだったんじゃないかな。黒皇が大事だから守った。黒皇が大事だから、辛そうにしていると、悲しいと思うよ」

「──っ!」

「ねぇ黒皇、こんなに想われているのに、まだじぶんは価値がないって思う?」

「そんなっ……そんなことはありませんっ!!」


 そんなことは言えない。口が裂けても、もう。

 それがほかでもない、弟たちへの侮辱につながるからだ。


「気が遠くなるほどながい間、悲しんで、苦しんできたんだよね……話してくれて、ありがとう」


 黒皇はずっと独りで堪えていたんだろう。

 じっと独りで耐えてきたんだろう。

 だから早梅は伝える。


「私だって黒皇が大事だ。弟たちに負けないくらい、たいせつに想ってる」


 黒皇へほほを寄せながら、早梅も目頭の熱を感じる。


「離れない。離してやらない。なんたって私は、黒皇がいないとだめなんだからね」

「梅雪、お嬢さま……っ」


 何事かを言い募ろうとした黒皇も、嗚咽にはばまれてうなだれる。

 早梅の背中に回された腕は、痛いくらいに抱きしめ返してきて。


「要するに。黒皇が好きだよ、大好き!」


 とどめのひと言に違いなかった。

 早梅のやわらかなぬくもりに抱かれて、あふれる涙を、黒皇はもう、堪えはしなかった。

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