第三十話 蒼炎【前】

 内功ないこう。これなくして、武功ぶこうを極めることはできない。

 体内で生み出される気。それが内功である。


 素手で岩を割る。

 刃を通さない強靭な肉体を得る。

 ときには空を飛び、水上を駆け。

 猛毒さえも分解してしまえる。


 呼吸や血流を自在にあやつり、凝縮した気の流れとして体外へ放出することで、攻撃、防御、治療と、さまざまな不可能を可能とする。

 至高の境地に達した武功の達人は、まさに人智をこえた存在となるのだ。


 むろんそれは、過酷な鍛錬を乗りこえてこそ。



  *  *  *



「よくも梅姐姐メイおねえちゃんを……ゆるさない」


 強風に雲が流され、満ち欠けの半端な偃月えんげつがのぞく。

 白光びゃっこうがふり注ぐ寒空の下、低くうなった少年の周囲が、異様に明るさを増した。


 炎が灯ったのだ。

 街を飲み込んだあかい炎とは、まるで違う。

 より静かに、より激しく燃えさかる、あおの炎。


 ぼぼぼ、と。

 次々と灯籠とうろうへ火を灯すように、憂炎ユーエンを中心とした四方に蒼炎そうえんがあらわれる。


「──ころしてやる」

「ひっ……いや、やめて……いやぁああっ!」

「駄目だ憂炎ッ!」


 柘榴色の瞳が剥かれた瞬間、弾丸のごとく放たれる蒼炎が、右腕で顔を覆った明林ミンリンを直撃し、その袖へと燃えうつる。


 ハヤメは、夢中だった。全速力で地面を蹴り、明林へ体当たりをする。

 そのままふたりしてもつれ込むと、押さえつけるように体重をかけ、息を殺す。


「お……お嬢、さま」

「動くな、しゃべるな」


 そうとだけ言い放ち、痛いほど抱きしめるハヤメに、瞳を見ひらいて硬直する明林。

 すきまなく密着し、風の循環をゆるさない空間に行き場をなくした炎が、袖と土の表面を焦がして息絶えた。


 しばし微動だにせず、燻る気配すらも感じられなくなったころ、ハヤメはようやく明林の上から上体を起こす。

 ひじをついて見やった先に、投げ出された包丁、それから黒皇ヘイファンを認め、ハヤメはぐっと唇を引き結んだ。


「うぐぁあああっ!」


 断末魔の叫びが夜闇を引き裂く。

 見れば紫月ズーユェに斬りかかっていた男が、蒼い火達磨ひだるまとなっているではないか。

 それだけではとどまらない。

 縦横無尽に飛び交う蒼炎が、黒装束の男たちへ無差別に襲いかかる。


「おいちび助、ろくに内功の制御もできないようなぺーぺーが、なんだって膨大な炎功えんこうを使いやがる!」


 ひとつ、またひとつと上がる蒼い火柱を目前にして、紫月も焦燥しょうそうを隠しきれない。

 無理もないだろう。内功とは通常、鍛錬をかさねることで養われるものであるから。

 ただ、例外があることも事実。


「そうだ、憂炎も……憂炎も私とおなじように、『千年翠玉せんねんすいぎょく』を口にしています!」

「あぁくそっ、なるほどな!」


 紫月はふりかかる蒼い火の粉を剣で払いながら、倒れ込んできた火達磨を蹴り飛ばす。


「なんでそんな馬鹿げたことになってるのかは、説教といっしょに後回しだ。これじゃあ、俺の鋼弦いとまで燃やされる」


 藤色の袖に右手を差し入れた紫月は、鋼の義甲をはずしたのち、白銀の双手剣を瞬時に利き手へ持ちかえる。

 それから颯爽ときびすを返してやってくると、ハヤメが抱き起こした明林の腕を引くなり、そのほほを左手で容赦なく打った。


「紫月兄さま!」

「おまえは黙ってろ」


 ハヤメの言葉は、にべもなく両断される。

 地面へ身体をしたたかに打ち、呆然と横たわる明林の目前へ、白銀の刃が突き立てられた。


「ひッ……!」

「おまえは救いようのない馬鹿か?」

「なっ……なんのことか、わかりま、」

「どの面をさげて、梅雪メイシェに茶を飲ませようだなんて偉そうなことをほざいた?」

「それはっ、だってお嬢さまは、いつも薄いお茶ばかり召し上がってたわ! 美味しいお茶をごちそうしたいと思うのは、いけないことなの!?」

「あぁそうだな。死んで詫びてもいいほどには罪だ。なぜだか教えてやろうか」


 細長い瞳孔を収縮させた紫月が、藍玉の眼光で、明林を貫く。


「俺たちザオ一族が口にするものにはな、母乳からはじまり、朝昼晩の食事、どきの茶にいたるまで、すべて毒が入っているからだよ」


 嗚呼……と、ハヤメはあきらめにも似た感嘆をもらす。

 紫月が告げようとしているのは、ハヤメが思い出した梅雪の記憶そのものだからだ。


「ありとあらゆる毒を、幼少期から蓄積し続ける。そうして俺たちの体内にある『氷毒ひょうどく』は力を増していくのさ」

「そんなこと……わたし、知らない……」

「そうだろうな。これは早一族と、薬師くすしでもあるくりや係しか知らないことだ。『氷毒』という機密の保持、そして早家で管理する毒の悪用を防ぐためにな」

「……あ……」

「食事に入れる毒は命に関わらないよう、ごく微量に調合されていたはずだがな、梅雪がハツ時に倒れたことがあった。こいつが七つのときだ」


 顔色が蒼白になる明林。

 紫月はかまわず、言葉の矢を、雨のごとく浴びせ続ける。


「あの日おまえは、厨係の目を盗んで、梅雪に茶を持っていったな。そうして茶葉と点心おやつを支度した者、梅雪の口に入れた者と、かかわった使用人は全員いとまをだされたのさ」

「それ、じゃあ……お嬢さまが、わたしのお茶を飲まなかったのは……わたしの淹れたお茶だと知って、真っ青になって吐き出したのは……!」

「あれから梅雪は三日三晩生死の境をさまよった。おまえのしたことは、殺人未遂だ」

「違うわ! わたしはお嬢さまのためにっ、お嬢さまのためを思って!」

「そのおまえのせいで梅雪は死にかけ、いまもまた命の危険にさらされてる。いいかよく見ろ。おまえがまねいたわざわいのせいで、こんなにも紅くて蒼い夜空をな!」

「そんな、うそよぉっ! うそだといってぇ!」

「明林!」

「放っておけ!」


 ハヤメは泣き崩れる明林へ手を伸ばすも、紫月に強引に腕を引かれ、立ち上がらされるだけ。

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