第二十八話 消えゆく鼓動【前】

 北風の荒れ狂う夜だった。


 飛び散る火の粉。身をあぶる熱気。

 煙をかき分けるほどに、炎にのまれた街の惨劇が、目前にひろがるばかり。


 焼け落ちた家屋の下敷きになってしまった母子。

 さらに嘔吐や失神、痙攣をきたし倒れ込んだ民衆で、道端はあふれかえっていた。

 ハヤメは袖で鼻と口を隠し、追い立てられるように地面を蹴る。


 あか夜空そらの下。

 ひとつ、またひとつと、鼓動が消えていった。


黒皇ヘイファン、どこにいる、黒皇!」


 先導する紫月ズーユェにも、少なからず緊張がにじみ始めている。

 上空からの偵察を任せた黒皇が、一向に姿を見せないのだ。

 獣人として。その従者として。

 紫月とともに決して平坦ではない道を歩んできただろう黒皇が、まさか煙を吸ってしまうなんて失態はおかさないはず。

 とすれば、考えられることは。


 嫌な予感が、ひやりとハヤメのこめかみを伝ったそのとき、空をいぶす煙が、流れを変えた。


「紫月さま、梅雪メイシェお嬢、さま」


 黒煙から抜け出してきた烏が、一度、二度と不規則に羽ばたいたのち、真っ逆さまに墜落する。

 ハヤメは火の海のなかにいるせいで、鉄錆のにおいに直前まで気づけなかった。


「黒皇……? そんな、黒皇!」


 たまらず駆け寄ったのは、ハヤメだ。

 地面へ叩きつけられたちいさなからだを抱き起こし、絶句する。

 黒皇の右眼に、一本の矢が深々と突き刺さっていたのだ。


「紫月兄さま、黒皇が酷い怪我を!」

「……梅雪、いい子だから静かにしろ」


 ハヤメはひゅ、と息をのんだ。

 雪像のごとく固まってしまったハヤメの腕を、やけに物静かな紫月がさらう。

 黒皇は、いつの間にか紫月の片腕に抱かれていた。


「ご報告を、申し上げます……ここ深谷しんこくは、すでに敵の手中にあり……その数、およそ二十……」

「黒皇」

「かこまれて、おります……南門へ行かれては、なりません……」

「もういいからだまれ」


 まだ火の手と黒煙のおよばない、街はずれの雑木林まで逃れると、紫月はやわらかく根を張った木の足もとへ黒皇を寝かせた。


「脳まで傷は達していないな。だが……」


 すばやく患部を確認した紫月は舌打ちをすると、懐から小刀を取り出し、


「ゆるせ、黒皇」


 血を垂れ流す黒皇の目もとへ突き立てるや、ぐり、と抉る。


「うぐぅ……! がぁあっ……!」


 一瞬の出来事を、ハヤメは呆然と目の当たりにした。

 抜き去られた矢が、ぞんざいに放られる。

 そのするどい矢じりが串刺しにしていたのは、黄金色の眼球だったろうか。


「失血死させるたぐいの毒が塗られている。まわり始める前だったがな」


 ハヤメがはっと我に返ったとき、紫月は次いで取りだした針で、ぽっかりと空いたくぼみをふさぐように傷口と眼瞼がんけんを縫いあわせ、糸を噛み切っていた。

 その上に、二枚貝の小物入れから薬指で小豆大にすくいとった軟膏をのせ、患部に包帯を幾重にも巻きつける。


「止血と鎮静作用のある軟膏を使っているから、大事だいじには至らないだろう」

「……面目、ございません……」

「くどいぞ。おとなしくくたばっておけ」


 粗野な口調とは裏腹に、つむがれる声音の、なんと慈愛に満ちたこと。


「梅雪、こいつをたのむ」


 否やのあろうはずもなかった。

 ハヤメは紫月へうなずき返し、ぐったりと横たわった黒皇を、そっと抱き上げる。


「ありがとう、黒皇……ゆっくりおやすみ」

「梅雪、お嬢さま……」


 ハヤメのやわらかい胸にいだかれ、濡れ羽色の羽毛をなでられているうちに、黄金色の隻眼せきがんがとろんと焦点を見失う。

 やがてハヤメへすり寄るように、黒皇は意識を手放した。


 紫月、ハヤメのあいだを吹き抜けた北風が、すず色と翡翠ひすい色の髪を巻き上げる。


「南門には近づくな、とのことだな」

「……はい」


 深谷の街には、二ヶ所の出入り口がある。

 きのう憂炎ユーエンとともにくぐった北門。それと対をなす南門。

 百杜はくとの地へ戻ることがゆるされないハヤメたちにとって、選択肢などあってないようなものだ。


とわかっているなら、都合がいい」


 紫月の艷やかな唇が、ゆるやかな弧を描く。


「──ひとり残らず、地獄送りにしてやる」


 一方で、ぐつぐつと憤怒を煮えたぎらせる藍玉の瞳が、そこにあった。



  *  *  *



 ふり返れば真っ赤な火の海でありながら、この一帯だけは対岸の火事とでも言わんばかりに、やけに静かだ。


 南門へと続く一本の夜道をく。

 やがて門とは名ばかりの、大きく隙間くちをあけた塀が、ハヤメたちを出迎えた。

 すっかり夜も更けるというのに、門番も仕事熱心ときた。ご苦労なことだ。


ザオ梅雪メイシェだな」


 突如現れた男たちによって、あっという間に行く手をはばまれる。

 ひぃ、ふぅ、みぃ……黒皇の報告どおり、ざっと二十人はいるだろう。

 どこぞで見たような、ナンセンスな黒装束をまとっている。


(足音が、なかった)


 いうまでもなく、通りすがりの善良な一般人ではない。


「大の男が寄ってたかって、はしたないわね」


 黒皇をかばって身構えるハヤメを背に、紫霞ズーシャが歩み出る。


「日没までに十匹潰してあげたはずだけど、あんたたちは次から次へと湧いてくるうじ虫なの?」

「……おとうとの仇」

「あたしが悪者みたいな言い方やめてよね。勝手に喧嘩ふっかけてきて、勝手に散ったんでしょうが。お手本みたいな負け犬の遠吠えだこと。それはそうと」


 ふじ色の袖と袖を合わせるかたちで、手を組んだ紫霞。

 そのまま頭を下げれば最敬礼に当たるが、むろん敬意など、そこにはみじんも存在しない。


「──俺が『か弱い美女』でいるうちにしっぽ巻いて逃げださなかったんだ。死ぬ準備は万全だな?」


 ほっそりとしたあごをしゃくり、男たちを見下みくだしたが、冷え冷えとした笑みをたたえた刹那。


 なにかが、夜闇を引き裂いた。


 紫月と対峙していた男はいち早くひざを落とし、その一撃を逃れる。

 が、周囲にいた仲間は、とっさの反応が叶わない。


師兄にいさ──」


 語尾をさえぎるように、ヴン、と空間ごとぐ音。

 直後、ハヤメの向かって右手側から男たちの頭がふき飛ぶ。


「まずは、二人」


 氷のごとき藍玉の視線をはずさぬまま、平手の要領で右手をふった紫月が、手首を返してもうひとふり。

 またも、男たちの頭がふき飛ぶ。

 

「これで、五人」


 頭と泣き別れた胴体が、鮮血を噴出させながら相次いで地面へくずれ落ちた。


師弟おとうとたちよ! 嗚呼!!」


 絶叫する男を、一歩も動かないまま一瞥いちべつする紫月。

 ヒュンヒュンとかん高い風音を起こした『なにか』が、紫月の右手へ集束する。

 その細い五本指には、琵琶を演奏するものと似て非なる重厚な鋼の爪がはめられていた。


「貴様、鋼弦いと使いか!」

「ご名答。この義甲で弦は、鋼線を縄状によりあわせた特別製でね。人の脆弱ぜいじゃくな骨なんぞ、簡単にかっ切れる。加えて夜目のきかない人間おまえらでは、細い鋼弦の視認もできんだろう」

「邪道め……!」

「なるほど。そういうおまえらは正派せいはのやつらか。どこの門派だ?」

「答える筋合いはない!」

「だろうね。吠え面だけは勇ましい」


 各々の武器をかまえる男たち。

 彼らよりひと回りはちいさい華奢な体躯ながら、紫月は堂々とした態度をくずさない。


 それはおごりではない。


「こいつらに指一本でもふれてみろ──ズタズタに引き裂いてやる」


 その身に、守るべきいのちを背負っているがため。

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