第二十一話 金眼の烏

 落陽が地平線に身を隠す。


 ハヤメのこころの波は、凪いでいた。

 そこへ小石のぶつかるような、ふいの物音。

 ハヤメは料紙の束を卓へ寝かせるさなか、窓を見やった。


ザオ家ご嫡女梅雪メイシェさま、ご在室のことと存じ上げます」


 窓越しに聞こえる流暢な口上は、深いひびきをもつ男のもの。

 すぐさま行動したのは憂炎ユーエンだ。

 ハヤメの向かいの席を立ち、奇妙な音と声の聞こえた窓の向こうをにらみつけている。


 ここは建物の二階であるからして、外部から声をかけられること自体がおかしい。

 つまり普通ではない客がやってきた、ということだ。


黒皇ヘイファンでございます。突然の訪問、なにとぞご寛恕かんじょいただきたく」


 黒皇、黒皇……とくり返し、ハヤメは三度目でひらめく。

 その名は、梅雪の記憶の中にたしかに刻まれていた。


「黒皇! 紫月ズーユェ兄さまの!」

「はい、紫月さまの黒皇でございます」

「憂炎、お客さまだ。窓を開けてもらえる?」

「いいの?」

「かまわないよ」


 憂炎はそれ以上問うことをしなかった。

 賢い子だ、不思議な『お客さま』が只者ではないことに、なんとなく気づいているのかもしれない。


 憂炎は背もたれへ体重をあずけたハヤメのかわりに、窓辺へとやってくる。

 そこには、両面に障子紙をはった、きめこまやかな格子窓がある。

 正方形のそれは、最低限の換気と採光のために作られたもの。

 憂炎が降雪を入り込ませない出窓の下部を外へ突き出せば、わずかなすきまから、北風よりはやくすべり込む黒い影がある。


「おひさしゅうございます、梅雪お嬢さま」


 濡れ羽色の羽毛をもつ『お客さま』は、どう見ても。


「しゃべる……からす!?」

「しゃべる烏だねぇ」


 先ほどの小石のぶつかるような物音は、黒皇が窓の木枠をつついた音だったのだ。

 黒皇は艶のある漆黒の頭で一礼してから、窓のさんをまたぐ。これにはハヤメも舌を巻くしかない。

 憂炎も『お客さま』が人ならざるものだとはわかれども、まさかしゃべる烏だとは思いもしなかったらしい。


 黒皇は翼をひろげると、窓辺から滑空して卓上へと降り立つ。

 太陽のような黄金色の瞳が、じっとハヤメを見上げた。


「紫月さまからお品物と、言伝ことづてを三点おあずかりしております。まずはこちらを」


 黒皇はそういうと、おもむろに足をもち上げた。

 右でも左でもないには、香り袋のようなものがくくりつけられている。


「足が、三本ある烏……」

金烏きんうだよ」


 いわゆる八咫烏やたがらすと呼ばれるものだ。しばしば太陽の化身、神の使いとも言い伝えられる。

 獣人が当たり前にいる世界だし、まぁしゃべる烏がいてもおかしくはないかと、ハヤメは持ち前の楽観的な思考で即座に順応した。


 閑話休題それはともかく

 黒皇から受け取ったちいさな巾着のひもをハヤメがほどいてみると、なかには香辛料ではなく、謎の球体が入っていた。

 さくらんぼほどの大きさで、みどり色の縞もようは、孔雀石のように見える。それが、ふたつぶ。


「『おやつだ。味わって食えよ』とのことです」

「それがひとつめの言伝かい? 似てる」

「恐縮です」


 主の言伝を忠実に再現する黒皇の生真面目さも相まって、ハヤメは心がほぐれたような気がした。


(宝石かと思えば、お菓子だったのか。ほぉ)


 ハヤメはつまみ上げたおやつなるものをまじまじとながめたのち、えいっと口へ放り込む。

 味わえと言われたからにはしっかり噛まねばと咀嚼そしゃくしたところ、すぐに砕けた。


 それからは、舌先の熱で溶ける感覚。

 ハヤメは思わず、両手でほほを支える。


「ん~!」

「『千年翠玉せんねんすいぎょく』でございます。最後のふたつぶとのこと。ひとつは確実に取り込み、枯渇した内功ないこうの糧とすること。おそらくひとつで事足りるだろうが、念のためもうひとつは取っておくようにと紫月さまが──」

「これすごくおいしい! 憂炎あーん」

「あー?」


 黒皇の言葉は、聞こえちゃいなかった。

 ハヤメは言われるがままに口をあけた憂炎へ、手ずからお菓子を食べさせる。


「……んぅっ!?」


 もぐもぐ、と何度か口を動かした憂炎も、柘榴色の瞳を丸くし、ハヤメがしたように手のひらでほほを支えた。


「ね、甘くておいしいよね、チョコレートみたいで」

「ちょこれいとって、なぁに?」

「チョコレートはねぇ、カカオって植物から作られたお菓子でねぇ」


 と上機嫌で話していたハヤメ、ここで硬直する。

 黒皇が黄金の瞳で、こちらを凝視していたことに気づいたためだ。


「……梅雪お嬢さま」

「うん、え……あっ」


 黒皇がなにを言いたいのかは、わかる。

 まずい、これは非常にまずい。


(わんちゃんにチョコレートはだめーっ!)


 ハヤメは、おいしいものはシェアしたいタイプの女子だ。それがわざわいしてしまった。気づくのが遅かった。


「ゆゆゆ、憂炎、ぜんぶ食べちゃった……?」

「あまくておいしかった」

「なんともない……? なんか、おなかがぎゅるぎゅるしてきたとか……」

「うん? おれは元気だよ」

「本当の、本当に……!?」


 顔面蒼白になるハヤメ。

 古代中国にもカカオはあったが、花街一の妓女ぎじょが客に土産でもらうような高級品である。


 そもそも黒皇が、チョコレートとかいう現代の菓子の存在を知るはずもない。

 つまり彼が言いたかったことは、それとは別にある。


「……せつの言葉不足でございました。『千年翠玉』を取り込んで、大事だいじないとは。憂炎どのは、すぐれた内功をお持ちとお見受けします」


 そりゃそうだ、なんたってのちの黒幕でラスボスなんだぞ、と口走りかけたのを、ハヤメはぐっとこらえた。


(『千年翠玉』……紫月も話していたな)


 ──俺の作った霊薬だ。『千年翠玉』には遠くおよばないが、と。


 察するに、紫月が『灼毒しゃくどく』の症状の緩和のためにハヤメへ飲ませたものより、はるかにすぐれた霊薬のたぐいだということ。


「じきに『千年翠玉』が梅雪お嬢さまの氷功ひょうこうにはたらきかけ、龍のごとく体内を暴れまわる『灼毒』を鎮めるはず」


 たしかに、憂炎の支えがなければふらついてしまう状態ではあったが、脳の揺れがおさまってきたような。


「梅雪お嬢さまにおかれましては、これより憂炎どのとともに『獬幇かいほう』支部へお越しいただきます」

「憂炎だけじゃなく……私も?」

「『千年翠玉』の力があるとはいえ、梅雪お嬢さまは王たる毒に侵されていらっしゃるのです。薬師くすしによる治療を受けてもらわねばなりません」

「もうすぐ死ぬ、私が?」

「『そうやすやすと死ねると思うなよ。──助ける。マオ族の威信にかけて』」


 主に忠実な烏は、一言一句たがえることなく言の葉をつむいでいるのだろう。

 あぁ……藍玉の瞳に見つめられている光景が、ハヤメの目にも浮かぶようだ。


(憂炎とも……離れずにいられる)


 なにより、そのことに安堵するおのれがいた。


(もうすこし……もうすこしだけ、あがいてみよう)


 一度はあきらめてしまったけれど、また前を向こう。


「それでは梅雪お嬢さま、拙がおおせつかった、ふたつめの言伝でございます」

「紫月兄さまは、なんと?」

「『日没までに俺が戻らなかった場合、ラン族の小僧をつれてそこを出ろ。いいか、だれにも見られてはいけない』」

「だれにも? せめて明林ミンリンにあいさつだけでも」

「──なりませぬ」


 強められた語気は、紫月ではない、黒皇自身によるものだ。

 それはハヤメに、なぜという問いを許さない。


「一刻もはやく、ご支度を。ここはあまりに……血なまぐさい」

 

 

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