ねことうさぎと双子のおおかみ


 自分たちは孤児で、養い親を亡くした途端に村の連中に売られそうになって逃げてきた。


 端的な説明にも関わらず、兎耳の女の子はすぐにぼくたちの事情を汲んでくれた。どうやら珍しい話でもないみたいだった。


「こ、こっちにきて? こっそり街に入れる場所があるから、えっと……」

「わたしスフィ、こっちは妹のアリス」

「どうも……」

「スフィちゃんと、アリスちゃん……私はね、フィリアっていうの」


 嘘は言ってないけれど、すぐに信じて手助けしてくれるあたりやっぱり良い子の気配がする。


 こちらの事情を説明しながら、スフィに背負われてフィリアの背中を追いかける。森の中を歩いて辿り着いたのは壁じゃなくて、自然にできた洞窟みたいな穴だった。


 ……てっきり壁に崩れた跡でもあるのかと思ったけど。


「こっち、この中……暗いから気を付けてね」

「だいじょぶ!」


 ぼくたちは月の神獣の血を引く狼人族ウォルフェンと呼ばれる種族。狼のように夜目が利くし、狭い場所も平気だ。


「アリス、へーき?」

「うん」


 背負われて十分休めたし、いける。フィリアの丸い兎しっぽを目印に狭い穴を進んでいく。暗いと言っても全く光が入らないわけじゃないのか、何とか視界は確保できていた。


 暫く進むと、土砂の中に人工物の痕跡が混じり始めた。どうやら自然の洞穴じゃなくて、先には地下通路か何かが崩れて出来た穴があるようだ。


「こ、こっち、段差あるから、気をつけてね?」

「うん!」


 スフィ越しに見えていた、前を進むフィリアの姿が不意に消えた。同時に硬いものを踏みしめる音がたぁぁんと響く。


 ……響き方からして天井のさほど高くない細い通路かな。広くはない、かなり細長い。


「スフィ、水の匂いする?」

「んー……しないよ? ホコリくさい」


 耳には自信があるけど、鼻にはない。ぼくよりずっと鼻の利くスフィの言うことなら間違いないだろう。ホコリ臭いってことは乾燥してるのか。


「あ、ちょっとまって」


 スフィがもぞもぞと進むと、上半身から向こう側に落ちるように消えた。とさりと何かが落ちる音がする。


 そのすぐ後、スフィがにょきっと穴の向こうに顔を覗かせて……また下へ消えて行った。かと思えばまた現れる。


「アリスっ、こっち、だんさたかい、きをつけて!」

「あ、うん」


 下から言ってくれれば十分聞こえるけど、頑張ってくれてるんだから言わずにおこう。


 慎重に穴の端から下を覗き込むと、目算でざっと2メートルくらい下でスフィとフィリアが見上げていた。


「…………」


 ……………………え、高くない?


「アリス! おねーちゃんが受け止めてあげるから!」

「怖がらなくていいよ、大丈夫」


 前世の常識とか感覚で怯えてるのは確かにあるけど、それ以上にこの段差を普通に降りれるの凄いなふたりとも……。


 固まるぼくに、スフィが両手を広げたポーズを見せる。


 ちょっとまって、せめて脚側から行かせて。


 狭い横の中で丸まるように向きを変えて、おしりの方から少しずつ穴の下へ降りる。


「そうそう、ゆっくりね」

「大丈夫だからね」

「あっ」


 掴んでいた部分がボロリと崩れて、全身を浮遊感が襲う。だけど悲鳴を上げるよりもはやく、どちらか……あるいは両方がしっかり受け止めてくれたみたいで事なきを得た。


 つ、冷たい汗がどっと出た。


「ありがと……」

「うん、けがしてない?」

「え、えらいね、頑張ったね」


 何とか立ち上がって振り向くと、ぼくを抱きとめていたスフィとフィリアのふたりがホッとした様子を見せた。


 フィリアの方はなんだかちょっとぎこちないけど、演技ってわけでもない。……年下の子の相手が慣れてない感じ?


 思考を巡らせながら暗闇の中を見回す。流石にここまでくると明かりも殆ど届かないせいでかなり見辛いけど……水路って感じじゃないな。


 あちこちひび割れてるけど石レンガを積んで作られた人工通路だ。ぼくたちが降りた穴は……あぁ、木の根がレンガを貫いたのか。


 セメントが丁寧に隙間なく詰められてる割には全体の劣化が酷いし、あちこち苔生して植物に侵蝕されてひび割れてる。まともに使われなくなって久しい感じだ。


 小さな子供しか通れないような横穴のある古い通路……。イリーガルはイリーガルだけど、ちょっと不安になるくらい都合が良い抜け穴。


「こ、ここね、古い遺跡で。街のひともあんまり近づかないから……」

「へー」


 物珍しそうに見て回るスフィに、フィリアがおっかなびっくり説明してる。


「で、でも暗いし、穴も狭いから……私たちくらいしか、使ってないけど」


 自分が降りてきた穴を見上げる。やっぱり天井付近だから……大人の頭の位置よりずっと高い。子供しか穴を抜けられないけど、子供の身体能力で登るのはほぼ不可能。


 人間より身体能力に優れる獣人だからこそ使えたってことだろう。因みにぼくは単独じゃ登り降りできそうもない。


「……か、隠れ家、案内するね」

「うん、ありがとう!」

「たすかります」


 会話が途切れて数秒、沈黙にいたたまれなくなった様子でフィリアが先導して歩き出す。


 少し進んだあたりで前を行くスフィがこちらを振り向き、その場でしゃがんだ。


「アリス、長いよ? たおれちゃうでしょ?」

「……はい」


 見渡す限り、結構距離がありそうな地下通路。


 何を言いたいのか察したぼくは、スフィの言葉に甘えることにした。



 フィリアはこの街のスラムに住んでいる兎人族ルプシアンの女の子。年齢はぼくたちのふたつ上の9歳で、もうひとりいる猫人族フェリシアンの女の子と共同で暮らしている。


 孤児院はあるそうだけど、どうやら獣人は入れて貰えないらしい。それぞれの事情で行き場所がなくて困ったふたりは、結果としてスラムに流れ着いた。


 スラムの片隅で何とか生きているうちに自然と出会って、少し前から一緒の住処を使うようになったのだという。


「こ、こっち、だよ」


 入り組んだ地下通路を進み、やがて地上に出る。


 スラム……と言ってもゴミや汚れが散らばるような、思っていたような場所とは全然違った。


 石造りの建築物が立ち並ぶ遺跡群みたいな感じだ。建物を侵食するように植物が生い茂っていて、人が潜んでいるような気配も形跡もない。


「……ここはスラムの奥だから、あんまり人がこないの」


 複雑そうな顔をするフィリアを見て、何となく察することが出来た。


 どういう事情か、ここらへんに近寄る人間がいないのだろう。背の低い植物の向こう側には、立ち並ぶ建物が見える。人がいる本来のスラムはあっち側なんだ。


「ア、アリスちゃん……。スフィちゃんも、あのね、あっちには近づいちゃダメだよ?」

「……どうして?」


 じっと見ていると、空気の匂いを嗅いでいたスフィが耳をふにゃっと斜めにしながらフィリアに訪ねた。


「あっちは人間の縄張りで、獣人が近づくと……ね」

「あー……」


 ……おじいちゃん曰く、この国には獣人がかなり少なく、宗教的にも獣人を下に見るような教義があるので偏見が根強いのだという。


 村では半分獣の魔物モドキなんて呼ばれることもあったなぁ。


 この国、ラウド王国は大陸図で見ると西の果てに近い位置。獣人が主に住んでいるのは大陸北東部にある旧ビーストキングダム近辺か、大陸南東部にある獣牙連邦あたり。


 西に行くほど人間の単一国家が多くなり、光神教という宗教の勢力下になる。


 光神教は大昔、この大陸がゼルギア帝国と呼ばれる単一国家によって統一されてた頃にできた宗教らしい。スタンスは簡単にまとめると……『神が支配者として人間を作り、その下僕としてあらゆる生物を作り出した』という感じのやつだ。


 創世記にある『人間が生まれ、その後に獣人が生まれた』みたいな記述を全力で拡大解釈したんだろう。ゼルギア帝国の崩壊以後は勢力としては下火になって、今では大陸西側の国家で主に信仰されているくらいになっている。


 光神教では"人間"とは普人種ヒューマンのことだけを言う。大陸で最も数が多い、平均的な能力を持つ人型種族。ぼくの知識で言えば地球のホモサピエンスに近似している連中だ。


 当然ながらぼくたちみたいな獣人は人間としてではなく、獣として扱われている。


 そういう事情もあって、大陸西側に獣人はほぼ居ない。ましてや小国群の中の一国家でしかないラウド王国まで自発的に流れてくるような獣人なんて、よほどの事情でもない限り存在しない。


 ここから馬車で3日くらいの距離にある、フォーリゲンの街までいけば異種族の旅人もちらほら居るんだけど……この街では期待もできない。


 なので獣人への偏見が緩和されることもなく、大半の住民にとって異種族は未知の怪物というわけだ。


「そういう、ことだから、ね。ここらへんには、人間も近づかないから」

「うん、わかった!」


 思考を切り上げる。


 元気よく返事したスフィに合わせてぼくも頷く。ぼくたちの目的はこの街に根を張ることじゃない。必要以上に交流を持つつもりもなかったので、スラムの人間を避けること自体は問題なかった。


 問題があるとすれば、旅の準備をするためにも多少は街に出なきゃいけないってところ。


 金を稼ぐにも地盤を作るにも、差別の激しそうな地域で動くのは骨が折れそうだ。


「あっちに……ほらあそこ、小さい遺跡があって……」


 先導していたフィリアが指をさしたのは、崩れずに残っている地下への入り口。ぼくたちが使った通路とはまた別の遺跡みたいだった。


 その入口からひとりの女の子が姿を現した。真っ黒な髪の毛に、同じ色の三角形の耳にひょろりと伸びる長いしっぽ。


 黒猫、そんな表現がぴったりな猫人族の女の子が頭をかきながら耳をピクリと動かして、こちらを見た。背格好からして年齢はぼくたちと大差なさそうだ。


「フィリア、帰ったにゃ?」

「あ、ノーチェちゃん」


 釣り眼がちのエメラルドグリーンの瞳。一瞬嬉しそうに緩まった口元が、スフィとぼくを視界にいれた瞬間に硬直した。


「この子たちね、村に居る場所がなくて、街まできたんだって。暫くここに置いてあげたいんだけど……いいかな?」

「…………」


 ギロリと、あからさまな敵意を剥き出しにした視線を向けられて……少し困惑した。隣に立つスフィも敵意を感じ取ったのか不安そうに繋いだ手を握りしめてくる。


 間違いなく初対面だ、困ったことに嫌われる原因に心当たりがない。


「ノーチェちゃん……」

「チッ……仕方ないにゃ。置いてやるにゃ。ただし、変なことしたらすぐ追い出すからにゃ」


 どうしようかと困惑している間に、黒猫の女の子は睨むのを止めて承諾するような言葉を使った。


 ……何かやらかして睨まれるのならわかるけど、どうにもそういう感じじゃなさそうだ。


 ぼくたちの髪の毛やしっぽに目が向かっていたし、フィリアには普通に応対してるあたり種族あたりに隔意があるのかもしれない。


 だとしたら……うん、種族は変えられないし、こっちじゃどうしようもないよなぁ。


「あの、ありがとう」

「……ありがと」


 いきなり敵意を向けられて、ちょっと警戒モードに入ってるスフィに変わってお礼を言う。その子はぼくたちをジロリと睨んでから、ふんっと鼻を鳴らして遺跡の中へ入っていった。


 困ったようにフィリアを見れば、フィリアも困惑した様子で固まっていた。


「……え、あ、あの、えっと。ノーチェちゃんも普段はね、明るくて、あんな感じじゃないんだけど……き、機嫌、悪かったのかな?」

「…………」


 おじいちゃんが床に伏せるようになってから、保護者がいなくなったぼくたちに向かって村の連中の悪意はどんどん強くなっていった。


 そのせいか、直接的に向けられる敵意にはどうしてもナーバスになってしまう。


 ムスッとしてしまったスフィをなだめるように、長い髪の毛を梳いて落ち着かせる。ぼくは今生の7歳に前世を合わせればえーっと。…………20は超えてるはず。


 合計年齢的には良い大人。たとえ前世が社会と隔絶された、引きこもりのオタクゲーマーだったとしても。


 せいぜい8歳か9歳といったところの女の子の悪態くらい気にしない。


 むしろ態度に出すほど気に入らない相手でも、年下の子が困窮してる様子を見て懐に入れるあたり十分に凄いと思ってる。ふたりの姿を見る限り、余裕なんてなさそうに見えるのに。


 ぼくなら、どうしただろう。


 そもそも無視をする、近寄らない。


 スフィが連れてくるとして――近くの廃墟へやって時々様子を見るだけにする。たぶんこれが一番ベターで間違いのないやり方だ。


 自分に余裕がない時に、新しく働けるかどうかもわからない子供を助けるなんて間違ってる。どんなトラブルを呼び寄せるかもわからない、大事なものが傷つくかも知れない。


 考えれば考えるほど、受け入れるなんて選択肢はなくなっていく。


――簡単に心を許すな。受け入れたなら裏切るな。


 前世の保護者、たいちょーさんの言葉を思い出す。苦労してきたから、人間の醜さならよく知ってると笑ってた。だからこそ、綺麗事の大切さもわかるんだなんてうそぶいていた。


 立場は逆だけど、受け入れてもらったなら裏切っちゃいけない。友人や恩人を簡単に裏切るようなやつは、いつか誰にも信じてもらえなくなってしまうから。


 まずは……あの子に信用してもらえるように頑張ろう。


 スフィをなだめながら、ぼくたちはフィリアに案内されて彼女たちの塒へと入っていった。

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