第34話 名前

 本を読み終えたら図書館に行く。

 そんなことを二度三度繰り返していた時であった。


 緑色の髪の女の子が、声をかけてきたのだ。

 行く度にこちらに視線を向けていたのだが……ようやく来てくれたな。


 新しい出会いは嬉しいものだ。

 純粋に僕は、彼女から話しかけてくれたことに喜びを感じていた。


「あ、あの……」


「どうしたの?」


「いえ、あの……なんだか、他の平民の人とは違う感じがして……そもそも、何故あなたのような方がここにいらっしゃるのですか?」


「僕のようなって……そんな偉い人間じゃないけどね」


「で、でも平民の身分ではありませんか」


 彼女は必死な顔でそう言った。

 そんなに偉いものでも無いと思うけど、平民って。

 そもそも、同じ人に対して傲慢な態度を取る人々が、そしてこの世界が間違っているんだ。

 僕は心の中で怒りを覚えつつ、彼女に笑顔を向ける。


「本が好きなの?」


「え、はい……」


 彼女は肯定するが、だがどこか暗い表情をしていた。

 好きなら好きでいいのに、そんな顔をするなんて……何か思うことでもあるのだろうか。


「好きなのに、どうかしたの?」


「え、あの……私、物覚えが悪くって……本は好きなのですが、覚えることが苦手なんです」


「ああ、なるほどね……」


 彼女も僕らと変わらない才能しか持ち合わせていないのだろう。

 それぞれ違いはあれど、それは悩みの種として心に植え付けられてしまっているのだ。


 彼女の場合、本が好きだが物覚えが悪い。

 そんなところにも才能が現れてしまうとは。

 

 好きなことなのに覚えておくことができないなんて、彼女はきっと情けなさや不甲斐なさを感じているのだろう。

 でも、そんなこと気にする必要もないと思うんだけどな。

 

 だって好きなら好き。

 それだけでいいじゃないか。


「別にいいんじゃない? 覚えが悪かったとしても、好きで読む分には」


「でも、色んなことを覚えたいです。もっともっと知識が欲しいんです」


 彼女は興奮気味で僕にそう訴えかけてくる。

 知的好奇心というものであろう。

 とにかく、何か覚えたり新しいことを知ったり、知識欲に溢れているのだ。


「勉強をすれば幸せになれるんです……でも、数日したら覚えていないことも多くて……そのことで落胆しちゃうんですよ」


「そうなんだ」


 自分にガッカリしている彼女。

 僕は彼女を慰めるために、何か言ってあげられないだろうかと思案する。


 そこで僕は、アドに【同調モード】を頼み、彼女にアドバイスをすることにした。

 アドと同調することによって、彼女に対して伝えるべきことが自然と口から溢れ出す。


「一度読んで覚えられなければ、何度も繰り返し読むと良いよ。そうすれば、記憶に定着するからね。それから本の内容を頭の中で物語にしておけば、長期記憶として保存されるよ」


「物語……ですか?」


「ああ。頭の中でイメージするんだよ。純粋に物を覚えるよりも、圧倒的に効率よく記憶しておけるからおすすめだ」


 自分で言っておいて。

 まぁアドの能力ではあるものの、自分でも納得する僕。

 そんな方法があるんだなと、僕は目の前の少女と共にうんうん首を振る。


「ありがとうございます! 今日から試してみますね。そっか……新しい本をドンドン読みたいけど、何度も読むのもいいんですね」


「そうみたいだね」


 すでに【同調モード】は解除しており、僕はそれだけ彼女に言った。

 彼女は僕にぺこりと頭を下げ、手に持っていた本を読み始める。

 僕は彼女の隣に座って同じように本を読む。


「…………」


「…………」


 ページをめくる音だけ室内に響く。

 無言だけどなんだかすごく楽しくていい気分。

 こんな子と友達になれたら楽しいだろうな。

 

 そう思案した僕は、彼女に名前を訊ねてみることにした。


「僕の名前はレインって言うんだ。君の名前は?」


「レイン様……」


「あ、いや、レインでいいよ」


「でも、あなたは平民で……」


「うーん……」


 どうでもいいことなんだけどな。

 そう考えるが、彼女はその壁を突破することは不可能のようだ。

 まぁいきなり平民身分の人を呼び捨てなんて難しいか。


「ま、今はいいけどさ……で、次は君の名前を教えてほしんだけど」


「私は……」


 彼女は本に視線を向けながら、苦笑いして言う。


「私は、67です」


「え……67?」


 ゆっくり僕の方を向いて彼女は続ける。


「協会に住む者は名前を与えられないのです。全員が番号で呼ばれていて……だからそれが私の名前です」


「…………」


 名前さえも与えられないなんて……なんて悲しい事実。

 悲しい気持ちが胸に広がる。


 これがここでの常識なのか、彼女は僕にそれだけ伝えると、なんでもないような顔をして本に視線を戻した。


 僕はため息をついて、本を閉じる。

 とても寂しい気分となり、本どころではなくなった。


「……シフォン……と言うのはどうかな?」


「え?」


「君の名前だよ。67なんて呼ぶのは、なんだか気が引けてさ……」


「シフォン……ああ、嬉しいです。素敵な名前をありがとうございます。ではこれからは私のことは、シフォンって呼んでください」


 彼女の笑顔はとても純粋で、とても眩しく思えた。

 本の著者がシフォンとうだけのことであったのだけれど、まぁ喜んでくれているのならそれでいいか。


 僕は複雑な心境でありながら、本に視線を戻すのであった。

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