episode15
「商店街にあるイタリアンのお店、解体するんですか?」
花瀬は単刀直入に問うた。声が刃物のように鋭く尖っている。感情に忠実に動いたことで外面を忘れた彼女は、初対面相手にあからさまな怒りの顔を見せつける。今すぐにでも声を荒げて問い詰めてやりたい、そんな気持ちを抑えているような静かな怒りだった。
花瀬の問いに店主らはみるみるうちに表情が険しくなっていく。
「…なんでお嬢さんがそのことを知っているんだい。つい先日、決定したばかりで公表していない情報なのに」
「そんなことはどうでもいいでしょう?」
投げかけた質問だけに答えろ。花瀬の威圧的な態度が彼らを黙らせる。すると魚屋の店主が口を開いた。
「解体するよ。あの店を残しておいても仕方ないからね」
イタリアン料理店の方向へ顔を向けて、それから花瀬と遠くにいる菅原を交互に見た。
「君たちみたいな若い子と違って、おじさん達の年齢になると思い出を形で残したがるんだよ。歳を取るとどうしてもむかしの記憶が薄れていってしまうからね。
「思い出なんてそんな綺麗なもんじゃねえだろがい」
八百屋の店主が乱暴な口調でそう吐き捨てる。
「あの店はなあ、俺らの罪の意識を忘れないための象徴だろう!」
「罪の意識?」
「
魚屋の店主がため息を漏らした。『また』ということは何度も言っていることなんだろう。八百屋の店主は鼻息を荒くして興奮気味に話をつづけた。
「夏美が富士山で死んだのは俺らのせいだ。俺らが富士山登頂計画なんてしなければあんなことにはならなかった。そうだろう。それにだ、七合目で休憩なんてしなければ夏美に落石が当たることだってなかったんだ。ぜんぶ俺らが悪い。俺らのせいさ。それを忘れないために町内会に賛同を得てあの店を残しているんだろうがい」
「お前は何を言っているんだ、違うだろう!そんな理由であの店を残していたわけじゃない。あのお店をそんなふうに言うなよ!」
「思い出だっていうならよお、どうしておめぇは夏美が死んでから一回もあの店に寄らねえんだよ。あの店で開かれた町内会の集まりもおめぇだけ参加しなかっただろう。おめえも感じてるんだろう、罪の意識ってやつを」
「なんだお前は」
「おめぇこそなんだよ」
先ほどの口喧嘩と違って胸ぐらをつかみ合い、本気の睨み合いが始まった。すぐにでも手が出そうな勢いだ。さすがの花瀬も彼らを止める術が分からずうろたえていた。
「茂蔵、いつまでも夏美さんの死に憑りつかれてるなよ」
「夏美に依存しているおめぇに言われたかないわい」
日が落ちて夜色に染まる景色が、彼らの心をより深い闇へと陥れる。
彼らは胸ぐらを掴みあいながら好きに動かせる片方の手を拳につくり変え、腕を引いた。血走った目で目標を定める。そして迷いなく相手の頬めがけて殴った。
「いッ」
瞬時に花瀬は小さく唸りながら目をつぶった。人が殴り殴られる光景なんてフィクション以外で見たことがないし見たくもなかった。ゴッと鈍い音だけが花瀬の耳に入ってきた。
ガシャン。魚屋の店主は店のシャッターに身体を打ちつけ、八百屋の店主は花瀬のすぐ隣に倒れこんだ。しかし彼らはすぐに膝に手をついて立ち上がろうとしている。
「ここいらで決着でもつけるか」
「ああいいだろう」
口の端から血が出ている。それを袖で拭って相手を睨みつける。彼らの闘争心は燃えたままだった。相手が戦闘不能になるか、怒りが解消されるかしないかぎり彼らは永遠と殴りあうような気がした。
どうすればいいの。止めることもできず助けを呼ぶにも恐怖で足が動かず、花瀬は涙を浮かべて困惑していると。
「はいはいストップストップ、いい歳のおっさんが何してんの」
手を叩きながら花瀬の横を通りすぎていく女性がいた。スニーカーを履いているのに店主らよりも身長が高く、その大きくて頼もしい背中を花瀬は知っていた。赤田登山用品店の店主であり赤田の叔母である
「まーたあんたたちは妹のことで喧嘩しているんかい。片思い中の思春期のガキか」
腰に手を当てて、ため息混じりにそう言った。
「奈雪さん邪魔しないでもらえますか」
「そうだぜい、これは男と男の――」
「ばかたれが!! か弱い女の子の前で殴り合いの喧嘩するやつがどこにいる。自分たちの子供の前でもそんなことできるんかあんたらは。大人として恥を知れ!!」
奈雪の一喝に彼らは俯いて黙り込んだ。八百屋の店主の舌打ちが聞こえた。どうやら争いにピリオドが打たれたようだった。
「まったく。怖かったよね大丈夫だった花瀬さ――花瀬さん?」
花瀬は恐怖心を拭い去ることができていないが、それでも眉をきりッとさせて強気な表情をしていた。そんな心が不安定な状態だというのに、花瀬は奈雪の隣まで歩み寄って殴りあっていた店主らに言い放った。
「あ、あのお店は赤田が、赤田料が継ぐんです。そのためにあいつはずっとずっと努力していた。お店を解体するのを考え直してもらえませんか」
「あいつが跡を継ぐことなんてできやしない」
八百屋の店主は感情的ではなく冷静に、キッパリとそう口にした。彼は立ち上がって服に付いた砂をはらいながら話を続ける。
「夏美がいたら話は別だろうが、あの店の心臓である夏美がいないんじゃあ、あの店は機能しない」
「だったら赤田が新しい心臓になれば」
「『跡を継ぐ』って意味を理解しているか? 本来ならば店主の経験値や技法を時間をかけて受け継ぐものだが、急死した夏美が残したものは何もない。それに料だってまだ幼かった。まともに夏美の料理を口にしてないし、夏美の苦労も知らないだろうよ」
考えたり悩んだりする素振りも見せず、八百屋の店主は淡々と否定していく。
「そ、それでも赤田は必死で頑張って」
「頑張りでカバーできる問題じゃねえだろがい。俺らだってあいつが頑張っている姿は知っている。けどな、たとえあいつが大学に行って経営学やら調理師免許やら取ったとしても、それを何年も待ってられるほど俺らはお人好しじゃねぇ」
八百屋の店主は地面に落ちた白菜を拾って自分の店へと戻っていった。
「……っ」
花瀬は何も言い返すことができず、そんな彼女に追い打ちをかけるように魚屋の店主も口を開いた。
「こちらにも家庭がある。親父の代から守り続けているこの魚屋があるんだ。身を削ってまで他人のお店の面倒をみる余裕はないんだよ。たとえ夏美さんの息子でもね」
彼も同じようにシャッターを開けて自分の店へと戻っていく。
ひとり立ち尽くす花瀬の肩を奈雪が優しく叩いた。あなたは十分頑張ってくれた。もう帰ろう。そんなことを言われたような気がした。
花瀬はそれが無性に悔しかった。夢を諦めた自分と違って今もまだ夢へと突き進んでいる友人のために何かしてあげたかった。でも結局、何も残せなかった。彼らを動かすことができなかった。
花瀬は悔しさに耐えきれず、奈雪の手から離れて八百屋と魚屋の店に向かって威勢よく声をあげた。悪あがきだというのはわかっていても込みあがる感情を止められなかった。
「あなたたちは本当にあのお店を解体しても良いっていうの!?」
近所迷惑なんて倫理的思考は、いまの花瀬にはなかった。
「常連客だったんでしょう、思い入れのあるお店だったんでしょう。もう一度、あのお店が開店するところをみたいと思わないの!?」
この声は彼らに届いているだろうが当たり前に返事はない。代わりに騒ぎの様子を見に来た野次馬たちのざわつく声が聞こえてきた。
「夏美さんが大好きだったんでしょう。そんな大好きだった人が愛していたお店を守りたいと思わないの。本当にこのままで後悔しないの!? ねえ――」
「ストップ、そのへんでいいだろ」
どこの誰か分からない大きな手が花瀬の頭のうえに置かれた。そしてポンポンッと二回、優しく叩かれる。この感覚は二度目だった。花瀬は顔を上げず、その者の名前を口にした。
「赤田…」
「普段と違った騒がしさだなと思って見に来たら、まさかお前たちだったとはな」
怖くて顔を上げられない。勝手なことをしたんだ、怒られるだろう。また頭をきつく掴まれるかもしれない。花瀬はそんな覚悟をしていた。彼は花瀬の頭に手を置いたままそっと息を吸う。
「ありがとうな花瀬、それから菅原」
予想もしていなかった感謝の言葉に、花瀬は瞬時に顔を上げた。
「もういいんだよ。お前らがそう言ってくれただけで十分だから。ここまでしてくれてありがとう」
そのとき彼が小さく笑ったのは、悔しさか悲しさか、それに類似した感情を隠すためなのか分からないが、花瀬が見たことのない表情だったからきっとそうなんだろう。彼はいつだって弱音を見せない。でもそれは強がっているだけ。本当は泣きたいくらい悔しいはずだ。
そんな彼に代わって、花瀬は涙を流した。
商店街全体に響くほどの泣き声とともに。
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