episode13

 啄木鳥きつつきが木をつついているみたいな爽快な音がする。木製のまな板に包丁を叩きつけている音だ。食材を均等に切る正確さも、その素早さも並大抵の高校生ができる技術ではない。赤田の妙技に花瀬と菅原は目が釘付けだった。


 彼は唐辛子とにんにくを細かく刻んでいる。それをフライパンに放り、オリーブオイルで炒める。その間にパスタを茹でてタイマーをセットすると、すぐさま包丁を握り、エビの殻を剥いであられもない姿にしていく。彼の動きには迷いがない。そんな機敏な動きで厨房を舞う赤田は、まるで調理音に乗せて踊っているようにさえ見えた。


「知らなかった。赤田にこんな一面があったなんて」


 近くのテーブルに腰掛ける花瀬と菅原。そして花瀬の口からポロっと零れ落ちる言葉を、菅原はすくい上げる。


「そういえば花瀬さんと赤田君って初対面ってわけじゃなかったんだね」

「一年生の時にクラスメイトだったんだよ。そこで、なんていうの、お互いの正義と拳をぶつけ合っていた仲といいますか」

「なんでちょっとかっこよく言い換えたの。普通に喧嘩してたって言えばいいのに」

「デリカシーのないこと言わないで。今のは女の子の『お花摘んでくる』を『あ、トイレね』って言い換えるダメ男そのものよ。女の子はモンシロチョウのようにふわふわしてて平和を愛する存在なんだから喧嘩なんて物騒なことはしないし、たとえしていたとしても、そんな言葉を女の子に向けて言うもんじゃありません。これだから童貞は」

「どちらかというと花瀬さんは蛾だよ」


 そう言った瞬間にぎゅるんと獲物を狩ろうとする目で菅原を見る。今にも首元に齧りついてきそうな目だった。罵声も何も言わずに無言で見つめてくるのが逆に怖い。彼女の圧に負けた菅原は「じょ…冗談だよ」と目を逸らしながらそう言った。


 花瀬はこほんと咳き込み、「でもさ」と赤田の方へ顔を向ける。


「本当に楽しそうに料理をしているね、あいつ」

「そうだね」

「あんなうきうきした顔なんて学校で見たことなかったもん。あいつさ、学校だといつもつまらなさそうにしていてさ、結局二年生に進級したと同時に不登校になったんだよね」


 菅原たちの通う高校には不登校になっても定期的な面談及び課題さえ提出すれば退学にはならないという校則がある。なんらかの理由で高校に通えなくなった生徒への救済措置で、学校に通わなくとも高校卒業もすることができる。そのおかげで赤田は三年生まで進級することができていた。


「ねえ菅原、もし、もしだよ」

「ん?」

「もしもわたしがあいつにちょっかいかけるだけじゃなくて料理の話とかできてたら、あいつはあんな風に楽しそうな顔をみせてくれていたのかな。学校に通ってくれていたのかな」

「花瀬さん…」


 赤田に喧嘩をふっかけていたのも、花瀬なりの不器用な優しさだったのだろう。それ以降、花瀬はテーブルに料理が出されるまで口を閉ざしていた。ときどき昔を思い出すような寂し気な顔を見せながら。


「おまたせ」


 赤田は同時進行で何種類もの料理を作っていき、次々と花瀬たちのテーブルに料理が出していく。『ペペロンチーノ』『アヒージョ』『カプレーゼ』、おおきなお皿にソースアートが描かれてる。美を追求した繊細な盛り付けに感動の言葉を忘れてしまうほど二人は驚いていた。


「ここは亡くなったおふくろのお店だった」


 最後の一皿、『バジル風味の鶏のオーブン焼き』を置いて、赤田は近くのイスに座る。コック帽を外してコップいっぱいに注がれた水をカラになるまで飲み干した。


「おふくろは地元で店を開くのが夢だった。それで俺が生まれる前に念願のこの店を開店したんだ。最初は苦労もあったらしいが、地元の人達が支えてくれてなかなか繁盛していたらしい。商店街の入り口付近で大声を上げていたおっさん達が居ただろう、あの人らもここの常連だった」

「ラップバトルしてた八百屋さんと魚屋さんね」

「あれは日常茶飯事だよ。前なんて商店街のド真ん中でブレイクダンス対決していたからな」


 競争相手に勝ちたいなら商売方法を変えればいいのに、なんて言うのは野暮だろう。彼らは少年マンガでいうところの主人公とそのライバルの関係だ。競い合いながら互いを高めあい、ときには助け合う。相手店舗を経営破綻まで追い込むなんて考えは一切ない。ただ負けたくないという少年心があるだけなのだろう。とても良い関係性だ。


「この店が閉店してから数年が経つ」、赤田は店内を眺めながら話の続きをする。


「それでも、こうして解体せずに残してくれているのは地主や町内会の方々が色々な費用を負担してくれているからなんだ。俺自身、維持費とか税金とかあまりわかっていないが、相当の金額を負担してもらっていることだけはわかる。それに甘えて俺はこうやってたまに料理を作りに来ているわけ」


 花瀬は話を聞きながらペペロンチーノを一口ぱくり。「ん~」と頬に手を当てて幸せそうに声にならない声を上げる。味は普通に店にだせるくらい美味い。それを見て赤田が若干嬉しそうに笑みを溢した。


「イタリアンを作ってるってことは赤田はこの店を継ぐの?」

「継ぐつもりだったんだけどな」

「だった?」


 赤田はイスから立ち上がり厨房へと戻っていく。彼は冷蔵庫から瓶に入ったオレンジジュースを持ってきた。そして二人のコップに注ぎながら、さっきと表情を変えずに淡々と話し始めた。


「俺はこの店を潰したくなくて独学でイタリアンを学んできた。学校にも行かずに料理ばかりを作って、ようやくこのレベルまでたどり着くことができた」

「二年生から赤田が学校に行かなくなった理由ってもしかして」

「料理を作っている方が学校に行くよりも楽しかったし、なによりもこっちの方が将来への投資になると思ったからな。叔母も義務教育さえ終わっていればあとは本人のやりたいようにすればいいって言ってくれたし。その代わり店は手伝えって言われているがな」


「そーだったんだ」、話を聞きながらも花瀬は次々に料理にフォークを伸ばしていく。腹が減っているということもあるが、それ以上に美味しくて止まらないのだろう。十分に店で提供できるほどの料理の腕前、赤田がこのお店に立つ日はそうそう遠くはないのだろう。

 いや、違う。違うだろう。彼はさっき「継ぐ」ではなく「継ぐつもりだった」とそう言ったのだ。それを思いだした菅原はフォークを置いた。


「赤田君はこのお店を継ぐんじゃないの? さっき継ぐつもりだったって、そんな継ぐことができなくなったみたいな言い方」

「ああ、店を継ごうと思っていたさ。そのために頑張ってきた。でもタイムリミットだそうだ」

「タイムリミット?」

「この店を解体することが決まった」


 最後に聞こえたその声は、赤田でも、もちろん菅原たちでもなかった。彼らのクラスの担任教諭である上村だった。彼はショルダーバッグを肩にかけて店のドアを開けて立っていた。さらに彼の後ろには学校長である昭島校長もいた。


「どうして上村先生たちがここに、というよりなんで校長先生が」

「実はわたし、自分で言うのもあれですがここのお店の常連客だったのですよ。それに店主の奈雪さんとは登山仲間だったんです。少なからず縁があるんですよね」


 昭島校長は薄茶色の帽子をとって軽く会釈をする。それから懐かしそうに店内を見回して、それから赤田に目をやった。孫を見ているみたいに優しく微笑みかけている。


「あとついでに言うならば、昭島校長はこの店に資金援助をしている一人でもある」

「もう上村先生、子供たちの前でお金のお話はやめてください」

「こいつらはもう高校三年生なんですよ。経営のケの字も知らないガキじゃない。関わってしまったのならそういうことにも触れさせていく必要があります」

「ほんとに昔から教育熱心なんですから、荒谷先生は」


 そんな花瀬たちにとってどうでもいい話が広がりつつあり、花瀬は「あーもうそんなことより!」と無理やり話題を変える。


「解体ってどういうことなの。だってこのお店は町内会や校長先生とかが負担してくれているって」


 力強く質問を投げかける花瀬に、いつもなら目を合わせて答える上村がめずらしく目を逸らした。店のガラスドアを右手の甲で数回叩き、上村は答える。


「この店を維持するのにも限界があるんだよ。固定資産税などの税金はもちろん、維持管理に必要な費用、電気水道ガスなどの公共料金、全て込みで年に三十万は超える。土地だって地主さんのご厚意で特別に免除にしてもらっている状況だ。そんな収益もないカラの店舗を、いち個人と町内会でずっと負担できるわけがない。それに……」


 上村は一呼吸おいて、そっと目をつぶった。


「時が流れるにつれ熱ってもんは冷めていくもんだ。この店の解体について、町内会や地主を交えて話し合いが行われたが満場一致で解体が決定された」

「町内会や地主さんとの話し合いの結果なんです。それにこの街にもスーパーやディスカウントショップがいたるところに建てられはじめ、便利になっていく一方で、人の流れがそっちばかり行ってしまい商店街が衰退しはじめているんです。彼らにも生活があります。この店舗を支え続けるほどの余裕はありません」


 事情の知っている大人たちの説明に押し負けそうになる花瀬。彼女はこの店のことは深くは知らない。危機的状況だってことも知ったばかりで愛着だってそこまでない。『残念』、その一言で終わることもできるのに、花瀬は友人のために、まだ顔を下げることはしなかった。


「だけど赤田がこのお店を継げば万事解決じゃない! 本人だってその意思はあるし、料理だってほら、お店に出せるくらい美味しいし盛り付けだってきれいだし。あと数年だけでも待ってくれたら」

「何種類だ」

「え?」

「その料理のほかに何種類作れるんだよ。メニュー表をいっぱいにできるほど作れるのか。それに味もだ。店主だった奈雪はイタリアまで修行しに行った腕前だ。味に絶対的な自信があったが、お前はその料理を胸を張ってお客に提供できるか。他にもワインの扱い方、味の説明とかも未成年がどうにかできると思うか? たとえ店を開いたとしても食材の仕入れ先はどうする。圧倒的に知識が足りてないんだよ」

「あ…ぅ」


 上村の的確な指摘が、赤田に現実を思い知らしている。赤田の気持ちを代弁して伝えたつもりが、逆効果だったかもしれない。


「赤田はそれでいいの。大事なお店が解体させられちゃうんだよ!? 本当にそれでいいわけ!?」


 さっきからだんまりの赤田にそう訊ねるが。


「俺は……っ」


 あんなにも強気だった赤田はそれだけ口にして目線を下げる。それ以降、赤田は何も答えず、話は発展せずに解散となった。

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