episode11

 翌日、花瀬と菅原は約束どおり赤田登山用品店に向かっていた。

 駅前のケーキ屋さんで謝罪の菓子折りを購入し、襟を正して店へとおもむく彼らは、これから取引先に謝罪する上司と部下のようにもみえる。


「ねえ菅原、赤田に会ったら最初になんて言えばいいかなぁ」


 花瀬はそんならしくない弱音を吐いていた。

 彼女の目の下には薄黒いクマができている。普段よりも覇気がなく、瞼が半開きで眠たそうである。実際、授業中もほぼ睡眠学習で、体の疲れというより心の疲れが彼女の元気を奪っていた。だけどもそれは菅原も同じだった。彼がなにかしたわけじゃないが、落ち込む彼女を心配して彼もまた寝不足になっていた。


「「昨日はごめんなさい」だけじゃ足りないよね。やっぱり土下座は必須かな」

「ひとつ忠告しておくけど余計なことはしないほうがいいと思う…」


 花瀬が土下座をしてそれを見た赤田が顔を引きつらせている姿が容易に想像できた。そんなことをすれば許されるものも許されなくなってしまう。悪気はないのだろうが、そうやって余計なことをしようとするのが彼女の悪い癖でもある。


「まずは普通に謝ってみようよ。それでダメだったら他の手を考える。こんなに反省してるんだもの、きっと許してくれるよ」

「そうだと…いいなぁ」


 店の前に到着するも、花瀬は心の準備ができておらず右往左往するばかりで店内へ入ろうとしない。


「ここでウロウロしても仕方がないし、とりあえず入ろうよ」

「わかってる、わかってるんだけど……そうだ」


 何かを思いついた花瀬は、菅原の背中にまわりこみ彼のシャツを指でつまむ。ちょんっ。彼女の指が背中に当たった。


「花瀬さんは何してらっしゃるのですか?」

「ファーストタッチを菅原にお願いしたい。タイミングを見計らって退くからさ、それまでこうしてていい?」


 姉のいる菅原にとって女子と会話するのには慣れているが、近づかれたり触れられるのは別物だった。ウブな菅原は緊張しながら「う、うん」とぎこちなく答えた。なんだか今日の彼女はしおらしくて守ってあげたくなるような乙女を感じる。『まるで別人のようだ』、などと口にすれば魔法が解けてしまいそうな気がして、菅原は言葉を飲みこんだ。


 周りから白い目を向けられながら、彼らは店内に入った。

 自動ドアが開くと眩しいライトと共に「いらっしゃいませ」と明るい声が出迎える。相変わらずお客さんはどこにも見当たらないが、クラシックの流れる落ち着いた雰囲気の店内に、菅原の緊張は多少ほぐれたのであった。赤田は昨日みたいにレジ横で怠惰に座っているだろう。しかしそこに座っていたのは赤田は赤田でも赤田登山店の店主である奈雪であった。


「あら直弼さんのところの…菅原君だったね。それと後ろにいるのは」

「昨日、僕と一緒にいた花瀬です」

「花瀬さん……あぁ!」


 奈雪は首を伸ばして菅原の後ろに隠れる花瀬をのぞき込んだ。


「一瞬だれなのか分からなかったけど、あの元気いっぱいの可愛らしいお嬢さんだったのね。こんなシャイな子だったかしら?」

「あはは、まあ色々ありまして」


 たしかに今の彼女をみると、記憶喪失にでもなったかと思うくらい別人みたいに見えるだろう。そんな会話を気にも留めず、花瀬は菅原の脇から顔を出して「赤田料はいますか?」と訊ねた。


「残念だけど今日はここにはいないわ。たぶんあっちの店に行ってるんだと思う」

「あっちの店?」


 二店舗目のお店でもあるのだろうか。そんなことを考えていると「ちょっと待ってね、いま地図を渡すから」と奈雪は小走りで店の奥へと姿を消した。

 

 ただ待っていても仕方がない、せっかくならすこし店内を見て回ろう。そう思って菅原は目についた棚に近づこうとした瞬間、ピンッと背中のシャツが伸びた。どうやら花瀬はまだシャツをつまんでいたようだ。


「……」


 何度か動いてみたものの彼女が指を離す気配はなかった。

 それならまだしも、体を密着させているからか彼女の体温がじんわりと背中に伝わってくる。だんだんと羞恥を覚えてきた菅原は、「赤田君がいないなら普通にすれば?」と声をかけた。けれども彼女は得意げな顔で、「甘いよ菅原は」、とシャツを二回ほど引っ張る。


「いい? 敵陣に乗りこんだらプレイヤーは警戒心を維持し続けなければならないの。相手がいないと油断した瞬間こそ絶好の隙ができてしまう。そこを狙われたらザ・エンドよ。わたしはそうやって教わったんだもの」

「誰に?」

「FPSで通信していたプレイヤーさん。煽り厨を一掃した戦友でもある」


 そうかあくまで僕は盾か、そう思った菅原は彼女から無理やり離れた。その反動でバランスを崩した花瀬は床に膝をつく。それから「アー、待ってスガワラぁー」と仲間に裏切られた悲劇のヒロインみたいに手を伸ばしはじめた。そんな彼女を菅原は蔑んだ目で見下ろす。


「何してるの?」


 奈雪は手書きの地図と茶色の巾着袋を手に持って戻ってきた。菅原は「気にしないでください」と花瀬を無視して奈雪に歩み寄る。


 ―――閑話休題――――


「料ならここにいると思うから行ってみて。ついでにこの袋をあの子に渡してくれないかしら。鍵は袋に入ってるからそれを使って」

「鍵って、そんな大事なもの昨日会ったばかりの僕たちに渡しちゃっていいんですか?」

「だって直弼さんの生徒さんたちだもの、信頼しているわよ。それに悪い子たちじゃなさそうだしね。わたしも直弼さんほどじゃないけど人を見る目、結構あるのよ?」


 少し照れてしまう菅原の隣では、『あいつが人を見る目あるぅ?』と花瀬がいかにも嫌そうな顔をしていた。どうやら上村が褒められてるのが気に入らないらしい。


「それに鍵を渡さないとあの子入れてくれないと思うから」

「そんなところに僕たちが入っても大丈夫なんでしょうか……」

「個人宅とかじゃないから心配しなくても大丈夫よ。今はもう営業していないお店だから」

「お店?」

「はいはい、あとは行ってみてからのお楽しみね」

「え、ちょちょっと」


 奈雪はドンっと菅原たちの背中を叩き、そのまま自動ドアの外まで押し出した。


「ほら早くいかないと日が暮れちゃうわよ」

「あ、あの――」


 最後にお礼を言おうと振り返るが、奈雪は声を被せてきて菅原の言葉が上書きされる。


「ねえ直弼さんの可愛い生徒さんたち、あの子をよろしくね」

「ええ、はい……?」


 そう返事をしたら自動ドアが閉まった。奈雪はドアの奥で手を振って仕事にもどっていった。お礼を言いそびれてしまったが、とりあえず頼まれごともあるため、日が暮れる前に地図が示す場所へ急ぐことにした。

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