10―ゴッちゃんの最期と見えない記憶
「仁人さん……勘違いなさらないでください。これはマツリです。単なるゴロツキの喧嘩などではないのです。きっちりと締めを執り行わない事には次に進むことは出来ません。敗者の願いをカミに届けること、それが勝った者の役割……先ほども申し上げましたが、相手の願いを打ち砕くことが勝利の条件です」
「願いを打ち砕くったって……どうすりゃいいんだよ……」
もしこれ以上ゴッちゃんを痛めつけようとすれば、何かしらの障害が残ったり、最悪死ぬこともあるかもしれない。ミヤはぞっとした。
「……いや待て。ゴッちゃんの願いが分かれば、これ以上戦うことを避けることができるかも……!」
ゴッちゃんは何故かミヤと理由をつけては戦いたがっていた。昨日はここら一帯でどっちがいちばん強いか決めたい、といった内容のことをゴッちゃんは言っていたが……。
そういえば、ゴッちゃんと初めてケンカしたのはいつだったか。
原因は何だったろうか?
もしゴッちゃんが何を願ってマツリに参加しているのかが分かれば、「願いを打ち砕く」ヒントになるだろう。
「……あれ? 全然思い出せない」
しかし思い出そうとしても、思い出したい記憶が辿れない。
「何で思い出せないんだ? 初めてゴッちゃんに挨拶した日とか、喋ったこととか、印象とか、母さんから聞いた井戸端会議での噂話でも何でもいいのにっ……」
ミヤは頭をガシガシと掻き毟った。
人には思い出したくても思い出せないことなど沢山ある。たとえば、テストのために一夜漬けで丸暗記した単語とか。
「何で何も出て来ねえんだっ!? クソ、おかしい! 頭の中に黒い
「……気付いてしまったんですね、仁人さん……」
フェンスの外、竹誓は長い睫毛を伏せて苦しそうに眉を寄せていた。
「貴方はそこから挑まなくてはいけない……戦う相手が多すぎる。だからこそ、私はここにいます。いますから……」
両の手指を合せてきゅっと握る。それを額に掲げる姿は、祈る聖像のようでもあった。
運動場の中心で頭を抱えていたミヤは、ふと我に返る。
微かに耳に届いた何かに気取られたのだ。
「――――……ミヤ、か……まも、ら……いと……」
ゴッちゃんのうわごとだ。
「……お……れ、が……あ、いつら、ま……る……おれ、が――いち……」
「起きな、ゴッちゃん」
俺――? 俺から守る?
一体だれを?
ミヤにはわからない。
考えてもわからないことは、これ以上考えないことにする。
うわごとの発信源であるゴッちゃんは、まだ意識がハッキリしていないようだった。その証拠に、ミヤにしこたま蹴り飛ばされた際に噛んだ舌から流れ出る出血は、寝涎のように口端から池を作ってそのままだ。瞼は半開きで、今にもぐるんと黒目がどっかに行ってしまいそうな危うさである。
ガッン!!!!!!
そんな中でも容赦のない踵落としがゴッちゃんの横面に下った。
「あぅガっ……はっ、ミヤてめぇ……ぅが!?」
痛みの反応で覚醒するも、胸倉を強く引き付けられゴッちゃんはすぐに息詰まる。夕暮れの運動場に、血濡れのゴッちゃんの顔が街灯の明かりに晒された。
「こんな時にこんな所で寝てる方が悪ぃ。ちゃんと起きてろよ……!!!!」
ミヤは歯を剥いて嗤っていた。
自分でも嗤っていることに気付いていない。
そんなミヤを見てゴッちゃんは見覚えのある怖気を感じ取っていた。
「な、なにしやがる!?」
「ゴッちゃんが俺と戦えって言ったんだぜ? 指名したんだったら最後まで楽しもうや」
にたっと笑ったミヤの唇の間から目立つ八重歯。
そして次の瞬間――強烈な頭突きが一発、ゴッちゃんの鼻柱に入る。
「い゛ッ……!?」
ガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッ!!!!!
胸倉とゴッちゃんの後頭部を引っ掴んだまま、ミヤは息継ぐ間もなく膝蹴りを叩きこんだ。まるでゴッちゃんの頭でリフティングをしているかのようだ。ミヤのスラックスはあっという間に赤黒く染まっていく。
「ぐぁ、……あぐっ、ば……っ……ぎぃっ、あ゛……ッ!!」
痛みに悲鳴を上げようと開いた大きな口。そこへぶつかる衝撃が前歯を折り、唇を不用意に噛み切り、舌は鉄の味をさせた。
「ほら……っまだ遊べんだろぅ? やり返して来いよ? なあ?」
出血と鬱血と腫れと興奮で真っ赤になった顔面を両手で押さえながら、ゴッちゃんはまたしても運動場に倒れ込んだ。
「ぉう、うぅ……」
「おらッ!!!! 動けッ!!!!」
「がァッフ……っ!」
体をくの字に折った巨体のその山折りに、再度蹴りをねじ込む。受け身も防御も取れなくなっている腹はやわらかい。
「ぅぶ……っ、オエェッ……!」
「あらら、みんなの運動場が汚れちまったなッ!!!! なあおいっ、見てみろよ!!! おいって、見てるかっ!!? ハハッ」
もう最初に櫛で整えた箇所を見つける方が難しいほど乱れた頭。その後頭部をむんずと手のひらで持ち、吐瀉物へと勢いをつけて顔面をめりこませた。
「ぐああ゛ァァァァ……っ、も、もう、やめ……っ」
シャンシャン――
「もういいのか? いいのか? ゴッちゃんが俺を呼んだんだろ? あれ、今日は俺が呼んだんだったか? ハハッまあいいけどよ、せっかく揃った顔じゃねえか! つれねえこと言うなよッ!! ほらッ、もっといけァッ!!!!」
シャンシャンシャンシャン――
「やめ……ギぁッ、ぐぶ……おぇ、アぎゃ……や、やめろ……っ!」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン――――!!!!!!!!!!
「……はっ」
もともといろんなものが混ざっていた吐瀉物に、血液が混ざりあう。その上に透明な液体がぽたん、ぽたんと落ちるようになる頃――
「あ、……あれ?」
急にミヤの頭から熱がすぅっと引いていった。
「今、俺何してた……? 何か聞こえて……」
「も……い゛……ミヤ、……やめ、ろ……やめて、くれ……」
ひゅーひゅーと喉を通る冷たくなってきた夕暮れの空気にゴッちゃんがむせた。自身の血でちょっとしたうがいのようなガラガラ音が出る。
「お、おい、ゴッちゃん?」
慌ててミヤはゴッちゃんの首根っこを持ち替えた。何か様子がおかしい。
ぶらん、と垂れた
「おい、おい……!」
ゴッちゃんのあごを乱暴に上向かせる。
「うわ……っ!? 顔が、溶けてるっ……?」
まるでお化け屋敷のお岩さんか、蝋人形か。どろりどろりと、徐々にだが止まることなくゴッちゃんの額が、瞼が、頬が、鼻筋が、口元が――頭のてっぺんから重力に従って溶け落ちていく。
「な、なんだこれ!? おい、何が起きてんだよ!?」
ゴッちゃんの意識を戻そうと頬を叩いてみる。水を張った田んぼの底を叩いたような感触だった。
その間にもどろりどろりと顔だけでなく手も指も、胸から下も。何もかもが人の形を失っていくようにあやふやな何かに変貌していく。
「仁人さん、これが敗者の末路ですよ。敗者は願いを失った状態へ、マツリの中で区別されるのです」
いつの間にかフェンスの外にいたはずの竹誓が傍らにいた。
「は!? どういうことだ!?」
震えた声でミヤは竹誓を詰るように問い質す。
「この際です。最後までその様を目に焼き付けていかれることをお勧めします」
「こんなになってくのを、大人しく見てろっていうのか!? どうすりゃいい……なあ!? どうすりゃゴッちゃんは元に戻るんだよ!?」
ミヤは落ちて行ってしまうゴッちゃんだったものを受け止めようとする。しかし腕の間から、指の隙間からもどんどん
「よくよくご覧ください。ゴッちゃんさんは無事にそこへいらっしゃいますよ」
竹誓が言う通りミヤの腕の中には確かに巨体の重みはあった。
「な、んだこりゃ……ホントにここにいる。でも……いや、違う。色が無くなっていく!?」
腕からゆっくりと運動場に大きな身体を横たえた。
粘度の高い色水が動かなくなった輪郭から溶け出て行く。
溶けだしていたのは、ゴッちゃんの色彩だった。
「ゴッちゃんさんから流れ出た、その色彩こそが願い……ゴッちゃんさんの願いは今、完全に当人から失われました。よってマツリの参加者からはじき出された――仁人さん、貴方の勝利ですよ」
温かかった気がする。
ミヤは手のひらから落っこちて逃がしてしまったゴッちゃんの色彩の行方を――ただの地面を呆然と見つめていた。
「願い? あれが?」
色水は、見る間に陽の落ちて黒くなってしまった地面に吸い込まれていく。
ちょうど小学生がぐちゃぐちゃに水彩筆を洗った水入れの中身をぶちまけたように。
瞳の色も、流した血も、染めた髪色も、学ランの黒も金ボタンも――すべてが等しく溶け、ぐちゃぐちゃに混じり、混ざり合って、地に消えていった。
失った色彩は、夜の影と見分けがつかない。残ったのはモノクロームに変貌したゴッちゃんだけだ。
「なんてこった……どうなってんだ、ゴッちゃんが白黒になっちまった……」
おそるおそるゴッちゃんを突いてみる。さっき頬を叩いた時とは違って、普通の人間と変わらないようだった。
そこへ、隣に竹誓がやって来る。膝を突いてミヤの顔を覗き込んだ。
「仁人さん、お怪我は……少し顔を擦りむいた程度ですね。流石です」
「いやそれよりも! これは何だよ!? ゴッちゃんは平気なのか!?」
「ええ、まだ眠っているようですが。マツリのルールに則ってその願いを抜き取られた疲れでしょうね。脳に影響はありませんが、疲労はあるでしょうから」
「そうじゃなくてよ!」
モノクロームになってしまった見た目からはケガの程度が判別付きにくい。ミヤは自分が痛めつけたケガを探そうと、竹誓の隣から離れた。
「願いを打ち砕くって、結局よくわかんなかったけどよ、……こんなに酷くやっつけるつもりは無かったんだ……」
ミヤは不思議と、今なら土下座も出来る気がしていた。ゴッちゃんにやりすぎたことを謝りたい気分だった。瞼の裏にはどうしようもなくきれいな色が失われていく様が、まだ残像のように焼き付いている。
「これが他人の願いをブチ壊すてんなら、このマツリは酷ェ……カミ様ってのもろくでもねえヤツだ」
「そんなに心配せずとも、ゴッちゃんさんのケガもマツリに関する記憶も、願いともども回収されましたから。仁人さんが気に病むことは欠片もございませんよ」
「だとしても……」
確かにミヤが探し回っても、ケガらしきケガはどこにも見当たらなかった。それどころか好戦的な印象が強いように記憶していたゴッちゃんの顔つきは、すっきりと安らかにさえ見えた。
それでもミヤの胸中は依然、突っかかった大きなものが取れないような気分だった。
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