第2章 「囚われの埃かぶり姫」【射手座】
【プロローグ】霧の湖
*****
「おみじゅ、おみじゅ〜!」
霧がかった森の中で、小さな女の子がはしゃぐ声がする。そんな声の主を追いかけるように、困った様子の男の声が響く。
「お待ち下さい〜! そんなに慌てて行かれますと、転ばれますよ〜」
そう言って霧の中から姿を現したのは、紫色のスーツで身を包んだ、大きな葉っぱを頭につけた細身の男だ。白い霧が足元を流れる森の中、自分よりずっと先に進んでしまったであろう目的の人物に視線を向け、うんざりするようにため息をついた。
「まったく……コクオウ様ならさておき……どうしてあんなガキんちょにこの私が仕えなきゃいけないんだ……」
そうぼやいている間にも、足元の霧は段々と深くなる。それを見て、細身の男は足元を見つめてため息を付いた。
「こんな不気味な霧の湖が……どうしてそんなにお気に入りなのやら……」
言っている側から足元の霧が波打ち、その白い霧の水面が、本物の水面のようにきらめいた。男が驚いて顔をひきつらせると、そこには、同じように顔をひきつらせた葉っぱの男の顔が映った。そう、水面を覗き込む自分の顔が、その足元に映っていたのだ。
いつの間にか、足元の霧は本物の水面のようになっていた。
「現れましたね……霧の湖……。こんな湖、さっさと抜けましょう。気味が悪い……」
そう言ってまたため息を付いた男が、また水面を見て――男はひぃっと悲鳴をあげた。男の眼下の水面には、自分とは全く違った表情の自分が映っていたのだ。口の端を歪め、睨みつけるように目を鋭くするその顔は、今の葉っぱの男よりもずっとあくどい表情をしていた。
「い、一体これは……あわわわわ……!」
驚き震える男は、急に倒れ込み、辺りに水しぶきの散らばる音が響いた。
*****
鬱蒼と茂る森だ。うっすらと白い霧がかかり、木々の緑色が霞んで見える。空気はしっとりと湿り、みずみずしい空気があたりに満ちている。聞こえるのは小さくさえずる鳥の鳴き声。この森はまさに癒やしの空間だ。
そんな素敵な森の中、少々騒がしい声が響いていた。
「本当にこっちの道であってるんだよね?」
不安げに呟くのは少年の声だ。
「多分〜。地図を見た感じだと間違いないとは思うけど〜」
同じく答えるのは少年の声だが、こちらの声は先程の声より甲高く、間延びしている。
「不安だべな〜。なんてたってガイの目、見えてなさそうだべ」
続けて響く声は、どこか奇妙な訛りを含んだ声だ。
「失礼な! これでもちゃんと見えてるんだぞ〜!」
言われて答えるのは、やはりあの甲高い声の少年だ。
「でも道も見失ってるし……あら」
少女の声がしたところで、ようやく彼女たちの姿が茂みから現れた。
真っ先に姿を現したのは、真っ赤な髪をボサボサにしたハーフパンツの少年だ。上半身には、白い布が十字に交差し、それを丸い石で止めている奇妙な羽衣をまとっている。
「お、ようやく道に出ただな」
そう答える赤髪の少年、彼が奇妙な訛りの声の主だ。名前をシンという。
「ホントだ。ふ〜、よかった。このまま一生迷子かと思ったよ」
続けて出てきたのは、訛りもなくしゃべる、青髪をサラサラなびかせる少年だ。シンの双子の弟で名前をシンジという。同じようにハーフパンツを履いているが、上半身は大きめな襟のついた青っぽい服装をしている。
「ほら〜、ボクの言ったとおりでしょ〜」
その後に現れたのは甲高い声の少年だ。黄緑色のバンダナを頭に身に着け、妙に目も体の線も細い少年だ。名前をガイという。体の細さの割に、異様に大きなリュックを背負っている。
「そもそも道を外れたのがガイくんの案内が原因なんだから、ちょっとそれは違うと思うわよ」
最後に出てきたのはピンクのふわふわした髪をした少女だ。名前をヨウサという。彼女は、緑の上着に白っぽいワンピースを着ている。
「まあまあ〜、結果オーライって言うじゃない〜」
「まったくもう……」
ガイの言葉に頬を膨らませて、ヨウサは不服そうだ。
彼ら四人は只今旅の真っ最中。魔術学校から出された進級課題をこなすべく、目的のアイテムを探す旅を続けているのだった。しかも彼らが出されている課題はものすごく難しい。このアルカタ世界のあちこちに隠されているという『星魔球』という古代魔法アイテムを探し出し、そのデータを取らなければいけないのだ。期限は一年間。そのうちのすでに一ヶ月を費やしていながら、見つかった星魔球は学校で見せてもらった最初の一つのまま。友達から得たヒントを元に、次の目的地『アーサガ王国』に向かっている最中だったのだが――どうやら迷子になっていたらしい。
「でも、ここどこだろうね? 道はあったけど現在位置がまだわからないよ」
うっすらと霧がかる森を見渡し、シンジが疑問を口にする。その言葉にバンダナ頭のガイは両手に広げた地図を見た。
「うーんと〜……。順調にきていれば、次の目的地、アーサガ王国の入り口に差し掛かるはずなんだけど〜」
「目印はないだか?」
ガイの言葉に赤髪のシンが振り返る。
「あることにはあるよ〜。なんだか王国の入口『アーリー村』のすぐ隣に『霧の湖』って場所があるみたい〜」
「霧の湖?」
興味深いガイの言葉に、残る三人が聞き返した。
「うん〜、地図には詳しく書かれてないけど〜、聞いた話では不思議な湖でね〜、こんな霧の時にしか現れないんだって〜」
「じゃあ、まさに今がチャンスだべな!」
ガイの説明にシンはやったとばかりに跳びはねる。その隣でシンジは首を傾げていた。
「でも不思議な湖って、どんな湖なんだろう?」
「なんだかね〜、湖はすっごく静かなんだけど、その湖面に映る姿が不思議らしいよ〜」
ガイの説明にシンとシンジの双子はますます首をひねる。
「湖に映る姿が不思議って……。一体どういう意味?」
「さっぱりだべな」
そんなやり取りをしていると、不意にヨウサが声を上げた。
「あら……? なんだか、足元おかしくない?」
「え?」
ヨウサに言われて三人が足元を見ると、草が剥げた茶色の土の道が、ひときわ濃い霧に覆われていた。よく見ればその深い霧はまるで波打つようにゆらゆらと地面を流れている。
「なんだか川みたいだべな」
「流れはないけどね」
と、双子が会話をしていると、ガイがあっと声を上げた。
「見て見て〜! この濃い霧、森全体の地面を覆ってるよ〜!」
幻想的な景色だった。周りを見れば、まるで一面白い霧の海。まるで白い湖から木々が生えているかのようだった。霧からようやく顔を出したような長い草も、霧の水に浸っているかのようだ。
「わあ、まさに霧の海ね」
と、ヨウサが口にした言葉に、ヨウサを含む四人がはっと顔を見合わせた。
「あ! これでねーべか、霧の湖って?」
「確かに! 森全体が霧の水面に覆われちゃったみたいに見えるね!」
シンとシンジがそう言って顔を見合わせていると、突然、驚いたような大声でガイが再び声を上げた。
「霧じゃないよ〜! ほ、ホントに水面になってる〜!」
「ええっ!?」
驚いて残る三人が足元を見ると、なんと不思議。先程まで真っ白に揺らめいていた霧が、本当の水面のように揺れているではないか。その上その水面には周りの木々や草が反射して映っている。木漏れ日など水面に揺らいで眩しいくらいに輝いていた。まさにそれは水の表面のように。
突然森の中に現れた水面に、四人は息を飲んでいた。彼らはまるで水浸しの森の中にいるかのようだった。
しかし、そんな幻想的な景色に見とれていたのは一瞬だ。先程のガイの発言を思い出したヨウサが、ハッとしたように口元を押さえた。
「え、待って。もしこれが霧の湖ってことは……。ここに不思議なものが映っているの?」
と、恐る恐るヨウサが足元を見るので、思わず反射的にシンも自分の足元を見てしまった。
ぎょっとした。
水面ならば、そこに映るのは自分が覗き込む顔のはずだ。しかし、シンの足元に映っていたもの――
――それは自分には似ても似つかぬ、黒い頭の何かだった。
「う、うぎゃーー!!」
驚きと恐怖からとっさに悲鳴を上げたシンだったが、なんと悲鳴をあげたのは隣のシンジも、そしてガイもだった。
「うわぁーーー!!」
そしてそのまま三人はそんな水面から逃れようと、森の中の日の差す方向に向かって一目散に駆け出していた。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ、何があったのよ〜!?」
唯一驚かなかったのはヨウサだけだ。取り残された少女は、慌てて三人を追いかけていった。
*****
きれいな月の夜だ。紺色の空に金色の月が輝く。少し欠けた月は、あと数日で満ちるだろう。その月を祈るような瞳で見上げるのは、長い黒髪の美しい一人の少女だ。月明かりに照らされて、その黒髪は一層美しく輝いて見えた。少女はろうそくの弱い明かりの部屋で、窓を開けて空を見上げていた。簡易ながらもきれいに整理された部屋は、村の小さな宿屋のようだ。
「月光浴、かな」
不意に声をかけられて、少女は慌てて声の方向を向いた。声をかけたのは、今しがた部屋に入ってきた背の高い黒髪の若い男性だ。男は先程までかぶっていた黒い帽子を取りながら、少女に歩み寄る。青年の優しく微笑むその表情を見て、少女ははにかむように笑った。
「あ、はい……。ちょっと考え事してただけです」
そう答える少女の隣に男性は静かに歩み寄り、そしてまた優しく微笑んだ。
「きれいな月だからね。つい見上げる気持ちもわかるな」
と、少女がしていたように月を見上げる男性の横顔に、少女は見惚れるような視線を向けていた。その視線に気がついて男性が視線を向けると、少女はたちまち頬を赤らめた。そんな少女の様子を、優しい瞳で見つめていた青年だったが、また視線を月に戻し、思い出すように言った。
「またこうして、一緒に旅ができるとは、正直思っていなくてね」
その言葉に少女が思わず目線を向けると、男性は言葉を続けた。
「まさか私を追ってくるとは思わなかったんだ。私も正直、今回の旅には連れて行きたくないと思っていた。でも誤解しないでほしい。危険な目に遭わせたくなかったから、なんだ」
そう言われて、男性が次の句を口にするより早く、少女が慌てるように首を振った。
「危険だなんて、そんな……。そもそも危険な旅だったら、尚の事、私だって付いていきます! クーフさんの助けになりたいですもの」
その言葉に、クーフと呼ばれた男性は、優しい笑みを浮かべ、少女を見た。
「ありがとう。そう言われると、正直とても嬉しいよ」
男性にそう言われて見つめられると、たちまち少女の頬は熱っぽくなってしまう。そんな少女を、迷うことなくまっすぐ見つめてくる男性に、少女の方は目線をどこに向けるか迷ってしまうのだった。しかし少女は一瞬目線を外すも、また恥ずかしそうに視線を戻し、か細い声で言葉を紡いだ。
「お、覚えてますか、クーフさん……。あ、あの……私、次の満月のとき、十六歳になるんです……」
消え入りそうな声でようやくそれだけいうと、少女は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。そんな少女の様子に一瞬目を丸くするも、男性は優しく微笑んでいた。ただ先程よりも少し甘さのある微笑みで。
「かわした約束、忘れてはいないよ」
その言葉に、ますます少女は頬を赤らめ、はっとするように顔を上げた。
「次の満月の時、か……。その時には、伝える。必ず」
穏やかだが強く言い切るその言葉に、恥ずかしそうに、でも笑顔で少女はうなずいた。
二人にとって大切な、約束の日――
ずっと前から少女が待ち望んでいた時――それが次の満月の日なのだ。
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