亜神
セレナがその場所に着いた時には、二人はほぼ戦闘不能状態に陥っていた。
特にゲルトに至っては片膝を付き、意識を失う寸前である。
「今ヒールかけます!」
ニーヴがマナヒールを詠唱する。
── ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ᚠᚨᚱ ᛒᛟᚾ ──
ヒールもマナヒールも、相手の回復速度を上昇させる魔法である。
止血程度の効果はすぐに発揮されるが、即座に傷が塞がったりはしない。
だが元々体力のあるゲルトである。
すぐに戦線復帰は出来ないにしても、身を守るくらいの行動は出来そうだ。
「ロルフ殿、これは!?」
「兵が……ヘイデンの兵が召喚の犠牲に……」
その言葉を確認するべく、セレナは前方を確認した。
遠くに円陣を組む集団がいるのが見える。
低いトーンの不気味な詠唱が辺りに響いていた。
「「「── ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᛞᛖ ᛗᛏᚱᚨ ᛚᚨ ᚨᛚᚣᚲ ᛚᚨ ᛏᛁᛟ ᚨᛚ ᛚᚨ ᚳᛁ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛈᛚᚨᛋ ᛞᛖ ᛗᛏᚱᚨ ᛚᚨ ᚨᛚᚣᚲ ᛚᚨ ᛏᛁᛟ ᚨᛚ ᛚᚨ ᚳᛁ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛗᚲᛋᛃ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ──」」」
彼らは途切れる事無く、同じ呪文を繰り返し詠唱しているようだ。
「あっ! あの子たち、
真っ先に気付いたのはベァナだった。
魔術師一人につき複数人の獣人が従っていたのだが、彼女達には一人の例外なく、首輪がはめられていた。
マナ欠乏のせいでふらついている者もいれば、既に倒れている者もいる。
(あの首輪、盗賊団に囚われていた獣人と同じ──)
そして詠唱の合間に聞こえる叫び声。
「お願いだ! やめてくれっ! 助けてくれぇぇっ!!」
セレナの位置からは良く見えないが、陣の真ん中に数名縛られているようだ。
剣を抜き、魔法陣のある方へ移動しようとするセレナ。
だがその前に暗色のローブを身にまとった者達が立ちはだかる。
ローブの随所に施された、『
(この
相手の力量が掴めず、様子を窺うセレナ。
すると信徒達の後ろに、場違いな燕尾服の男がゆっくりと姿を現した。
「おやおや。今度は華やかなお嬢様方がいらっしゃいましたか」
「余計な話はいい。即刻その召喚を中止しろ。さもなければ全員斬る」
「初対面の相手に斬るだなどと、随分物騒な事を
「お主らを斬らねば、何の罪も無い人々の命が危険に晒される事になるからな」
「何の罪もない? これは異な事を」
男はセレナに対し、まるで出来の悪い教え子を諭すような表情で言葉を続ける。
「他の生命を奪ったり危害を加える事を罪と言うのであれば、この世に罪の無い人間など存在しませんよ? 貴方自身だって、自分が生きるために他の生物の命を頂いているわけでしょう?」
以前ヒースと食事の挨拶について話した際、セレナも同じ事を考えた。
「なるほど、そう言う屁理屈を言うのであれば言い方を変えよう。貴様らが行おうとしている無駄な殺生から他の者を守るため、お主らを斬る」
「無駄かどうかは主観の問題。長い目で見れば魔法協会のような組織こそ、人類に仇成す存在なわけですが──残念でしたね。召喚はもう完成してしまったようです」
「なんだと!?」
特別な原料を使っているとは言え、元々魔法陣は塗料で描いただけのものだった。
それが今では妖しく発光している。
「ああっ、たすけっ、助けてくれぇぇ……」
拘束されていた数人の兵士の体が、魔物の遺体のように分解されていく。
「間に合わなかったか──すまぬ」
一度はヒースに牙を向いた親衛隊員とは言え、彼らは職務としてヘイデンの命に従っていただけだ。
このような形で命が奪われるのは、セレナにとっても本意ではない。
しかしそんなセレナの思いも霞んでしまう程、目の前の光景は異様だった。
人の二倍はあるかと思える程の体躯。
周りにいる召喚者達がその場に伏しているせいもあり、より威圧感を感じる。
そしてより特徴的なのが──目が一つしかない事だ。
「な、なんなのだ……その怪物は!?」
「怪物とは失敬な。かのお方は雷を
「キュクロプス? これが──神だと言うのか?」
魔法陣上に現れた巨体は、みるみるうちに実体を得ていく。
「はーっははははっ! もうこの町、いやこの町の協会支部も終わりでしょう! 何しろ彼は数十名の魔法使いから同時に攻撃を受けても倒れませんでしたからね!」
「貴様はあの怪物と戦った事があるのか!?」
「私は確認の為に見学させていただいただけですねぇ。結局百人の魔法使いが半日かけてやっと無力化させていただきましたが、こんな田舎では百人の魔法使いなんて集まりっこないでしょう? ここももうおしまいですね。あと申し訳ないのですが、神に対して『怪物』などと言う失礼な物言いは止めていただきたい」
「貴様等こそ、無力化するために神に牙を剥いたのであろうが」
「ええ。我々の目標の一つは
(こいつの話が信用出来るか疑わしいが、見た目からして強敵であるのは確か)
「ひとまず目的は達成出来ましたので、これにて失礼します。召喚担当の皆さんお疲れ様っ! 各自この場から早急に撤退っ! 早くしないと神様に食べられちゃいますよ!」
ジェイドの一言で、陣を囲んでいた魔術師が一斉に詠唱を終了する。
そしてジェイドを含めた各人は、認識阻害の魔法を使って次々と姿を消していく。
だが召喚された怪物は既に辺りを認知していたらしく、逃げ遅れた魔術師を手で捕まえ、そのままその体を
幸い獣人達は驚異的な身体能力のお陰で捕まる事は無く、倒れた仲間を抱えながらどこかへと去って行った。
「あっ、あんなのって……」
ニーヴが震えた声で呟く。
まだ距離が離れていたから良かったものの、戦いなれていない少女達にとって、それが衝撃的な場面であったのは間違いない。
ベァナとシアは目を背け、ニーヴとプリムは怪物から目を離す事が出来なかった。
「あんな怪物を町中に入れる訳にはいかぬ。どうにかして食い止めるぞ」
冷静なのはセレナだけだった。
(魔術師百人が半日かかってやっと戦闘不能。そんな化け物を、我らだけで倒せるはずもない)
彼女とて、このような存在と戦った事など一度も無い。
だが、そもそもこのような不測の事態を察知し、トレバーへ戻るよう指示を出したのはヒースだ。
彼はきっと町に戻って来る。
「いいかみんな。あの怪物を倒そうなんて考えるな。魔術師の話を全面的に信用するわけではないが、あれはきっとヘイデンの親衛隊千人が束でかかっても倒せるような相手では無い。ヒース殿が到着するまで、足止めに徹するように」
「わっ、わかりました」
「りょうかいです!」
ほぼ放心状態に近かったニーヴとプリムも、ヒースが来るまでの辛抱だという言葉に勇気を奮い立たせる。
ベァナとシアも、それぞれゆっくりと頷く。
それも当然の事だろう。
ヒースからは別れ際、心からのお願いをされていたのだ。
『自分の命を一番大事に』と。
◆ ◇ ◇
一行は丸太を掴んでゆっくりと歩む巨人を、後方から追っていた。
「ベァナのバインドも、シアのフローズンも効果なしか」
召喚によって出現した巨大な怪物『キュプロクス』
燕尾服の男はこの怪物を『神』と言い張っていたようだが、メンバーの誰一人としてそれを信じる者はいない。
「そもそも神がこのような低俗な願いに応えるはずがありません!」
そう言い切るのはベァナだ。
彼女はメンバーの中では最も信心深く、特に治癒魔法を司る『アズナイ』を最も熱心に敬っている。
「でも場所によっては亜神信仰を行う地方もあるそうですし。
シアは魔法協会の保護を受けている身ではあったが、ベァナ程信心深くはない。
それは彼女自身の生い立ちも影響しているのだろうか。
グリアン人は『神から呪いを受けた民族』として語られる事がある。
今でこそグリアン人に偏見の目を向ける人は少なくなったが、彼女が敬愛していた祖父母の時代には、まだまだそういった行為が頻繁にあった。
祖父母はシアにその話を一切しなかったのだが、そういった情報というのは色々な所から耳に入るものだ。
そんな彼女の神に対する思いはあくまで『人とは異なる存在』という認識だけであり、仲間達の中ではヒースに最も近い。
「まぁ確かに何を
メンバーは様々な方法でキュクロプスに攻撃を仕掛けたが、相手はそれらを意に介する様子もなくゆっくりと、そして一方向を真っ直ぐ目指して歩いていた。
「どこかを目指して歩いている?」
「多分ですが……巨人が進むずっと先に、魔法協会の建物があるのです」
そう報告するニーヴ。
彼女はこの数か月間、町の端から端まで水を供給して回っていた。
町内の何処に何があるのかを、今では住民よりも熟知している。
「協会か……ロルフ殿もそんな事を言っていたな。狂信者共の狙いは魔法協会だと」
「以前先生に聞いた話ですが、召喚魔法は召喚対象に指示を与える事も可能だそうです」
ベァナが召喚魔法について補足する。
「となるとやはり目的地は魔法協会で間違いなさそうだな。しかしこのキュクロプスという怪物、まるで目的地がどこにあるのか分かっているかのようだ。まだ協会の建物は見えていないというのに」
「あのっ! このまま協会に真っ直ぐ進もうとすると、何件かの民家にぶつかります! 空き家も多いですが、中にはまだ住んでらっしゃる方も──」
「ニーヴ、それは真か!?」
「はい。特にタバサさんの家はここからかなり近いです!」
「それはまずいな──」
彼女達も、既に考えられる手は一通り行っている。
そして有効的な手段は今の所一つも無かった。
「わたくしがこの先の住民を安全な場所へ誘導します。皆さまはどうかあの巨人の足止めを」
「承知した。住民の避難は任せたぞ、シア殿」
領主の娘である彼女にとっては、領民の安全こそ最優先事項なのだろう。
彼女は巨人を避けるようにして、住民の誘導に向かった。
(出来れば建物への損害も食い止めたい所だが)
巨人はただ真っ直ぐ歩くだけではなく、自らが進む道の上にあるものを
手に持っている丸太も、移動途中に引き抜いた杭である。
「結局足止め出来る確実な方法は、近接攻撃だけだったか──」
「だめですよセレナさん! こんなにゆっくり歩いているくせに、近付くとものすごい速さで襲ってくるんですから」
「ああ。あれは本当に肝が冷えた」
クロスボウ、そしてニーヴのヘイルやシアのアイシクルといった精霊魔法による攻撃も、キュクロプスには一切効果が無かった。
そこでセレナは一度、怪物に対して近接攻撃を仕掛けてみた。
歩く姿から想像するに、きっと動作の遅い魔物だと判断しての行動だ。
しかしキュクロプスはセレナが一定の距離に近づくと、それまで見せなかったような素早い動きでセレナに攻撃を仕掛けてきた。
一つ目のはずなのにまるで後ろにも目があるかのように、手に持った丸太を思いっきり振り回してきたのだ。
「あんなのにぶつかったら、森のむこうまでとばされちゃいます」
「ははっ、プリムの言う通りだな。だがまぁ……
「絶対ダメです! 他の方法を考えましょう!」
ベァナに同調するように、ニーヴとプリムも全力で
ホブゴブリンの一撃であれば、すぐに治療さえすれば助からない事は無い。
実際、ホブゴブリンの棍棒をまともに食らったブレットも命拾いしている。
だがこのキュクロプスの一撃は良くて即死。
最悪、原型を留めない姿に変わり果ててしまうだろう。
「とは言っても魔法攻撃もまるで歯が立たないし、クロスボウも通らない」
「ヒースさんが以前、人型のモンスターだったら必ず頭は弱点だって言ってたので今回も目を狙ってみたのですが──」
「あの巨大な一つ目。確かに弱点っぽそうだよな」
「攻撃する度に瞼を閉じられてしまって、全部防がれちゃいましたが」
目への攻撃で脳にダメージを与えるというのは、ダンケルドでホブゴブリンと対峙した際にヒースが取った戦法だ。
その時ベァナはホブゴブリンを一撃で仕留めている。
頬に手を当てて考え込むベァナ。
そんな中、プリムが珍しく自分の意見を述べる。
「あの、ちょっとおもったのですがー」
「ん、プリムどうした?」
「クロスボウで目をこうげきすると、かならず二びょうごに目をあけます」
「そうなのか!?」
「はい。ベァナねぇさまのこうげきをみて、かぞえてました」
「プリムちゃんすごいっ」
プリムは普段から口数が少なく、感情を顔に出す事も少ない。
そのため一見ではわからないのだが、彼女の観察眼は確かだ。
そしてニーヴによる称賛は決して口だけのものでは無い。
今までそういった場面を、最も間近な立場で何度も見てきている。
「という事は、最初の攻撃の二秒後に同じ場所へ攻撃すれば、瞼を開けた瞬間に
「そういう事になるな。他に有効手段も無いし、ものは試しだ。やってみよう」
「わかりました。じゃあさっきの話通り、私が先に撃つのでプリムちゃんがタイミング合わせて撃ってもらうって事でいい?」
「はい。だいじょうぶです」
一行はキュクロプスの単眼を狙う為、その巨人の前方に移動した。
同方向からの攻撃だと見切られてしまう可能性があるので、ベァナとプリムそれぞれが左右に分かれて配置に付く。
「いきます」
特に誰が聞いていたわけでも無いが、掛け声と共に狙いを付けるベァナ。
限界まで引き絞られた弦が、不意に空気を振動させる。
その瞬間、クロスボウから
矢弾は空気を切り裂き真っ直ぐに進み、巨人の眼前に迫る。
だが次の瞬間、巨人の瞼は閉じられた。
瞼によって遮られた矢弾は、あえなく弾かれてしまう。
直後。
最初の矢弾が放たれてからきっちり二秒後。
もう一方の射手が矢弾を放った。
全く別の方角から飛んできた矢弾だが──
それは一本目の矢弾と全く同じ目的地を目指して飛ぶ。
怪物の瞼が開いた。
視界を取り戻した怪物が初めに目にしたのは、プリムの放った矢弾だった。
「ゴァァアアアアァアアァッ!!!」
辺りに振動を与えるほどの雄叫びを上げるキュクロプス。
今まで一切傷を負わなかった怪物だったが、流石に眼球まで鋼鉄の硬さを持っているわけでは無かったのだ。
両手で目を覆い、苦しんでいる。
「やったねプリムちゃん!」
ニーヴが喜びの声を上げるが、当のプリムは怪物から目を離さない。
「だめです。まだたおれてない」
プリムは狩りをする際、獲物を確保するまで気を緩める事は無い。
その傾向は戦闘時には更に顕著で、敵が戦闘不能だと確認が取れるまで緊張を解く事は無かった。
また離れた位置にいるベァナとセレナも、怪物の様子を注意深く観察する。
「狙い通り上手く行きましたね! 貫通はしなかったようですが」
「ああ。怪物が手で目を覆う直前、矢弾が眼球に刺さっているのが見えた。即死というわけには行かなかったが──」
「でも今までどんな攻撃も効かなかった事を考えれば大成功ではないかと」
「そうだな、少なくとも足止めには成功──なっ!?」
キュクロプスの行動を注視していたセレナが思わず声を上げる。
ベァナも巨人の手の動きに気付き、声を震わせた。
「あの怪物、もしかして……」
「ああ間違いない。あれは両手で目を覆っているんじゃない。目に刺さった棘を抜いているんだ」
眼球に刺さった棘。
つまりプリムの放った矢弾である。
「オオォォォォォッ!」
棘を探り当てた巨人は大声を張り上げながら、目に刺さった矢弾を抜き放った。
そして──
「ああっ、なんて事──」
ニーヴが絶望の声を漏らす。
眼球から流れる青い血。
しかし、ニーヴがショックを受けたのは血の色に対してでは無い。
眼球の傷が、ものの見る間に塞がっていく様にショックを受けたのだ。
「こいつは本当に──『神』なのか──!?」
思わず声を上げるセレナ。
彼女達にそれが何であるのかを知る術は無い。
ただ少なくとも目の前の存在が、人を超越した何かである事だけは確かだった。
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