行く手を阻む者

「くそっ、アレクシスの奴めっ! まさかこんなタイミングで裏切るとは!」


 ヘイデンが敷いた陣の奥には、街道への繋がる細い道がある。

 いざという時の為に用意しておいた馬車に続く道だ。


 協会支部長の言を発端ほったんに、多くの親衛隊員が離反を起こした。

 今までヘイデンは部下達を恐怖で支配して来たのだが、その恐怖はもはや彼に対してではなく、今では魔法協会に対するものへと置き換わってしまったのだ。


 だが、その矛先が元の主人にまで届く事も無かった。

 ヘイデンの元を去りたいと思っていた兵士もいれば、ヘイデンの元で甘い汁を吸って来た者もいる。

 数は少ないながらも、ヘイデンに味方をする兵士も少なからず存在していた。


(お陰で態勢を整えるチャンスは出来たが──)


 安心して護衛を任せられるような、信用の出来る側近は他にいない。


 ヘイデンにとって、アレクシスの離反は晴天の霹靂へきれきであった。

 それくらい彼は長い間ヘイデンに仕えていたし、今まで叛意はんいを見せたことなど一度も無かったからだ。



 とは言えヘイデンは彼の父や息子のような凡庸な人間では無い。



(ザウロー家に傷が付いたとしても、まだいくらでも手はある。コントロールしやすい傀儡かいらいを立てれば良いだけの話だ)



 様々な利権を餌にした繋がりがまだまだ沢山ある。

 そしてそう言ったクセのある者たちを束ねられる人間は、彼以外にはいないのだ。


(それにしてもかなり手間がかかるだろう。そもそもこんな自体に陥ったのも──)



「全てあの闇魔術師のせいだっ!」



 そう叫んだ彼の先に、街道沿いに係留されている馬車が見えて来た。

 安堵しかけたその時、その馬車を遮るようにして現れた一人の男。


「闇魔導士とは? わたくしの事でしょうか、ヘイデン様?」


 燕尾服調のスーツを身にまとい、如何いかにも紳士然とした態度だ。


「きっ、貴様っ!」

「はい。ヘイデン様の忠実なるしもべ、ジェイドにございます」

「こんなタイミングでおめおめと……貴様のせいでザウロー家は……」

「ケビン様の事でございますか? あの方は精霊魔法も使えず、ずっとお悩みになられていたようでして。どうしてもと頼まれたのでお教え差し上げたのです」


 自分がケビンの悩みを解決した事を誇るように、経緯を説明した。


「自分にも魔法が使えたと言って、それはそれはとてもお喜びになられておりましたよ! そしてその後も熱心に鍛錬なされて。それで──そのケビン様は?」

「あやつは死んだ。魔法協会内で精神魔法を使ってな……」

「なんと! あの忌まわしき魔法協会でですかっ!? これはもう、ケビン様を英雄として語り継がねばなりませんね!」


 ジェイドを自軍に取り込んだのはヘイデン自身だ。

 だから当然、彼が魔神シンテザ信奉者である事はヘイデンも知っている。

 それを知るが故か、ヘイデンは怒る気にもならなかった。


「そんな事よりも──今更何しに来た? わしを笑いにでも来たのか」

「とんでもございません! 何やらヘイデン様が大急ぎで親衛隊をお動かしになられたのを知って、私も遅ればせながら馳せ参じたのです」

「もう大勢は決した。結局、魔法協会への恐怖には一般人は抗えぬ。お前らとの関わりが露見した途端、兵士共のほとんどが離反したのだ。わしは急いでカークトンに戻り、次の一手を打たねばならぬ」

「そうでしたか……でしたら追手を撃退する兵がご入用でしょう? 実はそんな事もあろうかと、此度はしっかりと連れて参りました」


 ヘイデンは自分の馬車の奥に、檻を積んだ荷車がある事に気付く。

 ジェイドは『兵を連れて来た』と言っていたはずなのだが──


 目の前の男は魔神シンテザの信奉者である。

 檻の中に何がいるのか知れたものではないと、ヘイデンは感じていた。


「これ以上お前らと手を組んでいては、再起も叶わなくなるわっ! もうわしの目の前に現れるでないっ!」

「そんなご無体な……ケシの取引では我々、かなり全面的にご協力差し上げたでは無いですか……」

「あんな危険なものをずっと領内で栽培させていては、そのうち連邦本部に目を付けられるだろうが! いいからそこを退くのじゃ! お前らと取引する事など、金輪際お断りだ!」

「金輪際──そうですか。それでは仕方がありません」


 彼は一言だけそう言うと、ヘイデンに向けて呪文を放った。





── ᛈᛟᛏ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ᚱᛖᛞᚴ ──






    ◆  ◇  ◇






 混戦の中、何人かの親衛隊員が襲ってくることはあった。

 だが俺がヒース本人だとわかると、それ以上手を出しては来なかった。



(魔法協会への畏怖いふっていうのは、相当なものだな──)



 元の世界でも、住む土地や国が変われば風習や信仰は変わっていた。

 ある地域では単なる家畜や狩猟対象だったりする動物が別の土地では信仰対象だったり、神と同一視される事もある。

 だから魔法協会へのそれは、この世界に生きている者で無いと分からない感覚なのかも知れない。



 とにかく今の俺にとっては都合が良い状況なわけだが──



 どんなものにも例外が存在するものだ。


「おやおや、あんたがヒースだね。あんたに会えてあたしたちゃラッキーだねぇ」


 少し離れた場所に立つ女に呼び止められる。

 こんな場所に居るのだからヘイデン配下の兵士に間違い無いはずなのだが──


 場違いに思われる程、際どい服装をしていた。

 剣も弓も持っていないのでおそらく魔法使いなのだろうが、その出で立ちは魔法使いというよりも、まるで夜の街角に立つ娼婦のようだ。


 比較的整った顔をしていたが、性格というのは表情に出るものなのだろう。

 その目はあくまでも冷ややかで、優しさの欠片も感じられなかった。


 ふと彼女の後ろに視線を移すと、そこには柄の悪い男達が控えている。

 この女の取り巻きだろうか。


「貴方がどなたかは存じませんが、先を急いでいるものでして。出来ればこのまま通して頂けませんか」

「あんた、こんな状況で面白い事言うんだねぇ! あんたのさっきの口上を聞いて『はいわかりました』なんて通すとでも思ったのかい?」

「ええ。普通の神経を持った人間であれば、魔法協会ににらまれるような真似はしないと思いまして」

「まぁそうさねぇ……確かに魔法協会はあたしだって怖いさ。あんなクソ真面目で融通の利かない連中ばっかり集まってる集団なんて、そりゃ身の毛もよだつ程ね!」


 彼女の感覚は俺にも理解出来る。

 実際に協会の職員は、そういった性向を持つ者を集めた組織だからだ。


 だが、実際の協会の職員はそこまでクソ真面目というわけでは無い。

 順法意識や倫理観が、普通の人々よりも保守的なだけだ。

 彼ら自身に問題があるわけではない。


 問題なのはそういった人々だけを集められる仕組みと、その仕組みを構築した者にある。


「だけどあんた、別に魔法協会の職員ってわけじゃないんだろう? 協会の職員なんぞがあんな派手な演出なんかするはずがないからね」


 彼女の見た目はこんなだが、頭はそこそこ回るようだ。

 丁重に話しかけても意味が無さそうなので、対等に話をする事にした。


「──そこまで理解出来ているのに、なぜまだヘイデンの肩を持つ? このまま彼に従っていても、連邦監察軍による粛清に巻き込まれるだけだろうに」

「あたしゃヘイデンなんかに従っているわけじゃないさ。ただ自分の居心地がいい場所を探していたら、たまたまそれがここだったってだけ。真っ当に生きようとしたってね、このくそったれな世界は絶対に赦してくれないんだよ。特にあたしらみたいに、最初から道に乗れずに生きて来た人間にはね」


 彼女の言葉からは、この世界に対する不信感と諦めがにじみ出ていた。

 彼女自身、今まで大変な目に遭って来たのだろう。


 俺だってこの世界に対する理不尽さはかねてから感じていた。

 今でこそ協力を仰いではいるが、ニーヴやプリムが受けた仕打ちを考えれば、魔法協会という組織への不信感が全く消えたわけでは無い。


 だが、直近で最も危険なのはヘイデンの存在である。

 彼をそのまま放置していては、俺達やトレバーに明日は無い。


「どうあっても通してくれないのですね」

「えぇ。というかむしろ貴方、私の元で働かない? 色々な面でいい思いをさせてあげられると思うわよ?」


 彼女は微笑みながら、自身の唇を少しだけ舐める。

 きっとそうやって後ろの男達を手懐てなずけて来たのだろう。


「申し訳無いが、そこの男共と同じ立場になるのだけは絶対に御免なのでな」

「あぁら。その強気な態度もそそるわねぇ。プロテクションをあんな広範囲で平然と展開出来るくらいだから相当の使い手だとは思うけど──」

「あっ、姉御っ! あっしらにやらせてくだせぇ! この男の態度、もう我慢ならねぇ!」


 後ろに控えていたうちの、一人の大男が吠える。


「お黙りっブルーノ! いつ私が話をしていいって言ったの?」

「あ、あっしはただ姉御が──」

「黙れと言っているのが分からないのかしら」


 かなり粗暴そうな見た目の大男だが、彼女の一言で先程までの威勢が消えた。


「私はね、欲しいものは自分の力で得たいタイプなの」

「それはそれはご高尚なことで」


 相手の女が右手を突き出す。

 俺は左手を前に構えながら、右手を背に伸ばす。



 近接攻撃をするには距離がありすぎる。

 それに相手に取り巻きがいる以上、乱戦は不利だ。


 とは言え、片手ではこのクロスボウは扱えない


 二人同時に詠唱を行う。






── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ ᛚᚨ ᚣᚨᛈᚱ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᚳᛁ ᛞᚨᚢᚱ ──






── ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──






土魔法ペブルか)



 俺が先程と同じプロテクションを唱えたのを確認して、大笑いする女。



「あーっはっはっっはっ! 第五段階の共通魔法プロテクションなんて使うからどんな手練れかと思ったら──もしかして精霊魔法が使えずに、そっちの道に逃げたってパターンかしら!」

「そう思いたければそう思っていればいい」


 魔法が発動する。

 ペブルは、高速の石礫いしつぶてが襲い掛かる土魔法である。

 即死するような魔法では無いが、生身で食らうと戦闘不能状態に陥る。


 だが結局の所、単なる物理現象だ。

 飛んでくる石から身を守るには、固い壁さえあれば事足りる。


「フンっ。でもまぁうちの下僕共には頭の足りない前衛しかいないから、やっぱりあんたみたいに魔法を使える下僕は必要ね。うちのよりはいい男だし」

「そりゃどうも」




 話をしながらその時を待つ。



(ここだ)



 多くの精霊魔法は、ある一定の時間が経つと自動的に終息する。


 俺が待っていたのは、そのタイミングだった。

 魔法が途切れるタイミングで、クロスボウを撃つつもりだったのだ。



 この距離ならば、一撃で仕留める自信がある。




 だが──




(俺は──つくづく甘ちゃんだよ)




 先程の会話の中で、この女を不憫だと思ってしまったのだろう。

 俺はクロスボウを掴む右手を放した。



(こいつの威力では、下手すると命まで奪ってしまう)



 この世界の理不尽さに翻弄ほんろうされ、道を外さざるを得なかった人々の一人。

 ニーヴやプリムだって、運が悪ければ彼女のような人生を歩まざるを得なかったかも知れないのだ。


 この女がそんな人生を歩んで来たのならと思うと、非情にはなれなかった。



 俺はクロスボウでの攻撃を止め、攻撃性の低い精霊魔法に切り替えた。





── ᚣᚨᛈᚱ ᛈᛚᛁᚷ ᚣᚨᛗᛟ ᛈᛚᛁᚷ ──





 強風が敵を襲う。

 布地の多い服を着ていた取り巻きの何人かが後方に飛ばされた。

 木に頭を打って気絶した者もいる。


 だが元々布地の少ない煽情的な服装をしていた女は、その場に踏みとどまった。


 今まで見たことが無い規模の風魔法だったのだろう。

 彼女は少し驚いた表情をしていたが、それが使だと知って、再び大声で笑いだした。


「どんな魔法を使ってくるのかと思ったら『風』じゃないのっ! こんな高いレベルのゴミ魔法なんて初めて見たわ!」

「そのゴミ魔法のせいで、何人かが気を失っているようだが」


 女はその言葉を単なる罠だと捉えたのか、用心深く後ろを振り返る。


 しかし俺が言った言葉は真実だ。

 実際に数人の男が転がっている。



「確かに──そんな魔法でも役に立つ事はあるのねぇ。わかったわ。私も本気で行かせてもらうわ。ああ、それと──もし死んでしまったらごめんなさいねっ!」



 冷たい目付きが更に鋭くなり、右手をかざす。





── ᚣᚨᛈᚱ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛈᛚᛁᚷ ᚲᚨᛃ ᚱᛖᛞᚲ ᚣᚱᛗᛟ ᚠᚨᚱ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──





 呪文の内容から水魔法だと分かる。


ヘイル──いや、第四段階の氷柱アイシクルか!?)


 俺もすぐに右手を翳し、プロテクションで応戦する。





── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ 





「ッツ!?」



 何かが左肩をえぐった。

 不意を突かれたのと激しい痛みによって、詠唱を中断してしまう。



(まずい!)



 前方を確認すると、地面に倒れた大男が弓を構えていた。

 女の部下達を遠くに吹き飛ばした事で、確認を怠ってしまったのだ。



(油断というのは、こういう事を言うのだろうな)



 今から詠唱しなおしても間に合わない。

 咄嗟とっさに剣を掴み、当たる面積を少しでも減らす為に体を斜に構える。



(生身でアイシクルなど……運が悪ければ即死)



 女の氷柱アイシクルが発動する。



(みんな──本当にすまない)



 あの時セレナに、あれだけ強い口調で『斬り捨てる』と約束したのに。





 そしてベァナ──





(こんな事なら──君にきちんと思いを伝えておくべきだったな)




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