魔法と記録

「ちょっとヒースさん、それはあんまりじゃないですか!」

「いや、一応俺にも考えがあってだな……」


 まさかベァナに噛み付かれるとは思わなかった。

 もちろんニーヴがつらい思いをしているのは解る。

 しかし……


「あんなに大変な思いをして過去の話をした直後に、辛い思い出の元になった魔法を強制するなんて!!」

「いや強制をしたつもりはないし、むしろ俺はその辛さを無くすために……」


 俺達のいさかいを執り成すかのように当のニーヴが間に入る。



「私っ、やります!」



 心配そうにするベァナ。


「本当に大丈夫? 無理はしちゃダメだからね?」

「私は奴隷から解放されたあの日、ヒースさまに一生付いていくと心に決めたのです。そのヒースさまの命令であれば、たとえ火の中でも……」

「いくら何でも、火に飛び込めなんて頼みは絶対にしないからな!」


 今後、使う言葉や言い回しには気を付けよう。


 本人がやると言ったためか、ベァナも少し落ち着いたようだ。



「いきます」



 軽く息を吸い込むニーヴ。

 そして彼女の口から、今まで何度も唱えてきたであろう呪文が詠唱された。






── ᚣᚨᛈᚱ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᚠᚨᚱ ──






 アクアの詠唱が終了する。






 人が感じる時間というのは、意識をすればする程長く感じられるのだろう。

 ほんの一瞬の時間が、やはりダメだったと思う程に……


 長く感じられた。





 しかしその沈黙も長くは続かなかった。


 薄水色の髪の少女がかざす、右手の先。

 その虚空からは、無色透明な液体が──





「ニーヴちゃんっ! みずっ!!」

「あっ、あっ──」





 そして術者の目からもまた、無色透明な液体が一筋流れていく。





 彼女は長年抱え続けてきたトラウマを今、乗り越えたのだった。






    ◆  ◇  ◇






「つまりマナ欠乏の影響で、認可が取り消されて『ロック』状態になっていたと?」

「おそらくそうじゃないかと考えている。実際に俺の記録にロック状態の項目があるので、そういった仕組みがあるのは間違い無い」


 ベァナは何やら考え込むような仕草をしていた。

 セレナが素朴な疑問をする。


「なぜその『ロック』状態というものになってしまったのだ?」

「これは仮説だが、一種の安全装置のようなものじゃないかと思う」

「何らかの危険を回避するためという事か?」

「ああ。魔法の使い過ぎで体が思い通りに動かせなくなるという話は色々な所で聞くし、ニーヴも実際にそうなったと言っている。安全な場所でそうなるなら休めば良いだけだが、もし戦場でそんな状態が長く続いてしまったら……」

「敵の格好の餌食だろうな」

「そういう事だ。セレナは直接会っていないと思うが、ダンケルドの農場主カルロも長い間マナ欠乏状態だった。彼はベッドから起き上がる事も出来なかったし、マナ欠乏の影響で寿命が縮まっていた可能性もある」


 カルロは若くはなかったが、老衰で亡くなるには早過ぎた。


「なるほど……ではニーヴの魔法が過去にロックされていたとして、いつどのようにしてアンロックされたのだ?」

「それこそが俺が解こうとしている謎だ。ニーヴ、毎回嫌な話をして申し訳無いが、君が奴隷になったのはどれくらい前か教えてくれないか? 嫌なら答えなくていい」


 彼女は既にいつもの状態に戻っていて、プリムに他の魔法の話をしていた。

 今回の質問は、それ程辛いわけではなさそうだ。


「大丈夫です。えーと、二つ前の春の事だったので、一年半くらい前じゃないかと」

「なるほど。思ったよりも短かったな」

「期間が関係あるのか?」

「メアラが以前教えてくれたんだ。何かの魔法を使えなくなった魔法使いが五年程魔法を断つ修業をした所、再び使えるようになったという話があると」

「五年とは長いな……しかしニーヴは一年半」

「ああ。そして俺もおそらくは数か月前、いくつかの魔法がロック状態になったと考えているのだが、未だロックは外れていない」



 俺がこの世界に意識を持ったあの日。

 焚火を前にした俺は、殆ど身動きが出来ない状態だった。



 もちろん怪我や病気などはしていない。

 今思えば、きっとあれがマナ欠乏の症状だったのだろう。



「もしその説が本当なのであれば、一・二年待てばロックが外れると」

「それがそう簡単では無いようなのだ」


 横目でベァナを見る。

 やはり明らかに意気消沈している様子。


 彼女はもう訓練を始めてから数年以上、一つの精霊魔法も使えずにいる。

 ここら辺で話を切り上げたほうが良さそうだ。


「とにかくだ。魔法の訓練は疲れたら即時中止するようにな!」

「承知した」

「はいです!」

「わかりました!」


 その後、各々がそれぞれの訓練をするために散っていった。





    ◇  ◆  ◇





 その場には俺とベァナだけが残る。


「ベァナが一番辛かっただろうに。すまんな」

「いいんです。私はもう慣れっこですから」


 彼女の冒険者カードは事前に確認させてもらっていた。

 その紙をベァナに渡す。





  褒賞ポイント   424 ᛈᛈ


  第二    4  アンロック

  第三    2  アンロック

  ᚷᛖᚾᛖᚱᚨ   1  アンロック

  ᚣᛁᚣᛟ     1  ロック

  ᚣᛖᛏᛖᚱᛟ   1  ロック





「これが、私の?」

「ああ。君の冒険者カードを訳したものだ」

「ニーヴちゃんの表記を見ると下から二番目が水魔法で……一番下は?」

「風だ。俺がベァナに、暫く精霊魔法を使わないように頼んだのはこれが理由だな」

「私の魔法がロックされている事を、ヒースさんは事前に知っていたのですか?」

「もちろんそこまでは解らなかった。そもそも今までこんな重大な情報が実際に確認出来るとも思っていなかったし」

「では、いつもの推測というものですか?」

「それが正しいかどうかはわからない。でもメアラに聞いた五年間の断魔法修業の話や、ティネさんの『むやみに魔法を使わないように』という言葉から、その可能性はあると考えていた」


 ベァナが押し黙る。

 彼女はティネさんの忠告を無視し、その後も精霊魔法の訓練を行っていたのだ。


 ベァナが精霊魔法を初めて教わったのは12歳の頃。

 記録を見るに、水と風の魔法を使えたのは明らかだ。

 本人の記憶が定かでないのでなんとも言えないが、何らかの理由によりロックされてしまったらしい。


 しかし勉強熱心で非常に真面目な彼女は、その後も毎日のように魔法の詠唱を欠かさず行っていた。



 四年もの間。

 詠唱が成功しなくても、諦めず、何度も。

 いつかきっと、自分も母のようになれると信じて。

 大切な人を、自らの手で守れるようになるために。



「ニーヴが再び魔法を使えるようになったのは、またこんな事言うと怒られるかもしれないが、不幸中の幸いだったんだと思う」

「別に本気で怒ったりしてませんよ」


 ベァナの表情が少しだけ柔らぐ。


「奴隷になると魔法を一切使えない。この理由についても一応俺なりの考えがあるのだが、今回重要なのは強制的に使えなくなっていたという事実だ」

「一切使えないって事は、禁魔法生活しているのと同じって事ですね」

「そう。魔法を再び使えるようになった人の共通点は、魔法を使わない事にあった。こんなに相反する事、知っていなければなかなか出来ないだろう?」

「そんなものでしょうか?」

「魔法は使い続けなければ、難易度の高い魔法を会得出来ない。だから魔法使い達は、魔法を使わないとそのうち使えなくなるという妄想にとらわれる」

「そうですね。私も使っていないと魔力が鈍るって考えてました」

「普通の人ならそう考えて当然だと思う。ところがニーヴの場合、図らずも魔法を使えない状況に置かれてしまった。そして彼女の受けた境遇を考えると、奴隷の間は一切詠唱なんかしなかっただろう」

「それで長い期間、全く魔法に関わらない期間が出来たと……」


 彼女はそう言って何やら考え込む。


「ベァナは精霊魔法を最後に詠唱したのはいつ頃か覚えているかい?」

「火は使える人が少ないので早々に、土と風は一年前くらいに諦めました。水は母が得意な魔法だったので、ヒースさんに出会った後も暫くは……」

「なるほど。確かに火魔法は情報も少なく、発動イメージも不明だから難しそうだ。可能性が高いのは土と風か。土は表示すら出ていないのが謎だが……とにかくお互いもう少し辛抱してみよう」

「はい。そう言えばヒースさんは母とで練習しに行ってましたよね?」


 ベァナの鋭い視線が突き刺さる。


 まずい。

 あの時の事を言っているのか?

 ここはなんとかスルーしなければ!


「いやー、あの時は一回詠唱しただけで辞めたから、それがどう影響しているのかはちょっとわからないな。影響無いといいんだが!」


 まだ視線集中は続く。


「正直な話、もしロックという機能が単なる安全機構だとすると、そんなに長い期間使えなくなる理由が分からないんだ。だっていくらマナを使い果たしたとしても、数日あれば回復するだろう?」

「確かにそうですね。でももしそれを行っているのが神様だとしたら、反省する期間という事で長めに使えないようにしているのではないでしょうか?」

「反省期間か──なるほど一理ある。だが神によるものだとしたら魔法協会にもそういった話は伝わっていそうなものだが。ベァナだってそうと知っていれば破ったりしないだろう?」

「当然です!」


 ベァナは神に関わる話になると、少しだけ意固地になる所がある。

 それくらい純粋な心の持ち主なのだろう。


「まぁとにかく俺は諦めていないよ。君の希望が叶うまで、いつまででも付き合うからな」

「ヒースさん……」


 ベァナの瞳が少し潤んだように見えた。

 しかし次の瞬間。





「それで……母と二人で何をされていたのですか?」





 まだ諦めていなかったか!




 俺は仕方なく、その時のブリジットさんの様子を話す事にした。

 彼女が一般的な魔法イメージでは発動しなかった話、それで独自の魔法イメージを考案した事、得意な魔法と苦手な魔法の話など。


 特に風魔法をストーブの熱のイメージで発動させた話はベァナも知っていたようで、暫くブリジットさんの話で盛り上がった。

 どうやらうまく回避出来たようだ。





 というか本当に何もしてませんからね、何も!






    ◇  ◇  ◆






 ベァナとの話で一つ思い出した事があった。

 彼女の母であるブリジットは、確かにこう言っていたのだ。




『土と火は全然ダメだったから呪文も覚えなかった』




 つまり彼女はその二つの魔法を使えなかった。


 使用者の少ない火魔法には、謎も多い。

 詠唱イメージが明確に伝わっていないのだ。

 呪文の解析でなんとかなりそうなのだが、今の俺の知識量ではまだ難しい。

 どちらにせよ、火魔法が使えなかったのは仕方が無いと言える。


 しかしベァナの故郷であるアラーニ村にはジェイコブの工房があり、鉱石が溶ける様子は小さい頃から見ていたと言う。


 土魔法のイメージは岩石の融解だ。

 そしてそのイメージが正しかった事は、メアラが実証してくれている。


 ブリジットさんもベァナも、土魔法のイメージが出来なかったとは考えにくい。

 つまり俺の理論からすると、三つの条件が全て揃っていたはずなのだ。


 一体何が足りないのだろう。




 『才能』……なのか?




 いや、そんな言葉で一くくりにしてはダメだ。

 魔法が何らかの形で管理されている以上、そちらの線を考えていくべきだ。





 俺は現代語に訳した自分の記録を取り出した。

 皆には敢えて伏せていた部分を、俺なりに解釈して記入したものだ。



 そしてそれは──







  褒賞ポイント   101,520 ᛈᛈ


  第二    3  アンロック

  第三    3  アンロック

  一般    3  アンロック

  兵器    1   ロック

  警備    4   ロック

  生活    3   ロック

  開発    4   ロック

  気象    2  アンロック







 『一般』と書かれている部分が、魔法協会の使う英知魔法に該当する。


 最初は俺の訳がおかしいのではないかと思ったのだが、どんな文献を見ても『魔法協会』や『英知』といった言葉はあてはまらない。

 一番近かったのが『一般』や『総務』といった単語だった。


 また『警備』以下の項目も同様だ。

 現在この世界で呼ばれている魔法の名称と照らし合わせると、火が『警備』、水が『生活』、土が『開発』、風が『気象』となる。

 つまり俺は四大精霊魔法というものを、過去には全て使えていたらしい。



 しかし不思議な事に『精霊』を連想出来そうな記述は一切見当たらない。



 中には『兵器』なんていう物騒な項目もある。

 これに関しても特に文献は無かった。

 ブリジットが以前触れていた『武装魔法』がこれに当たるのかも知れない。



 とにかくこの記録が魔法と連動している事実から考えると、これらの表記が本来のものであるのは間違いない。


 となると、そもそも魔法と精霊なんてものに、一切関連は無いのではないか?





 魔法とは一体なんだ?





 俺はこの文字の並びを見て、『部署』や『組織』といった言葉を連想した。


 あくまでジャストアイデアだ。

 この世界を旅してみて、そんな現代企業のような組織があるわけが……


 いや。

 一か所だけ存在していたではないか。








 魔法協会という組織が。







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